・さて、昨日の記事では、私達は「 滅私 I am 」のコップから、「 無私 we are 」の“ 筒 ”になるって~話をしました。
そこで、私達が如何に 「コップ」 から 「 筒 」 に成っていこうかって話なんですが、そんな簡単な話でしょうか。
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・そんな簡単だったら、何も3週間も悩まないぞって~話なんですが、それだと今年の秋からの変化に間に合わないんで、
「 すべてが自分であり他人である。すべてが他人であり自分である。」…の、無私 we are の“ 筒 ”になるお話を!
☝結論から言えば、もともと私達の形状は “ 筒 ” であって コップの形状は後天的なモノです…というより、
そう想いこんでいるからこそ、その様な形状に 観える ・ 感じられるのだと考えてもよろしいかと想います。
純粋無垢な赤ちゃんの頃はモチロンですが、皆さんも記憶の在るであろう幼少期の頃を想いだして下さればそうでしょう。
大人になるにつれ、たくさんの経験値や座学などのデータを集め込んでは、利害損得・吉凶禍福・優勝劣敗…という指標を持って、
『 利するように、害さないように、損しないように、得するように、吉でありますように、凶とは無縁であるように、
禍いなど無いように、福が来るように、優れてくれるように、勝つように、劣らないように、敗けないように』…そう教えられてきて、
そして、そのように、今まで様々な選択をしながら…言葉に行動にゐずまひに顕して生きてこられたのではないでしょうか?!
「 もう一度、言いましょう。」
・私達の周囲に起きる出来事や人の在り様は、私達の成長・進化の為の「必要・必然・最善の過程」…なのです。
そこに利害損得・吉凶禍福・優勝劣敗…という指標機軸をして判断・記憶していく必要などはまったくありません。
すべてを「必要・必然・最善の過程」…として、筒の上から下へと受け流してさえいれば良いのです。
あとは、周囲に対してアナタはどのように在りたいのか! …必要なのはそれだけだ・・・ とは想えませんか?
※ 次回からは、とは言え難しい「コップ」 から 「 筒 」 に成っていくには…の実践編へとまいりましょう。
注 ; 私が受けた印象?盲聴?をリアルタイムでお届けしています。
つまり、今現在の私はこれを他人様にご指南できるほどの能力も実績もございません。
まぁ~私が書いているけど、私が書いているんじゃないような・あるような。
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