※言葉や単語に対して抱いているところの…先入観をチョットだけ脇に置いといて…こころで感じ取られてみてください。
再読・三読いただければ、宗教色?というものを超えたところにあるところの…、この詩の真意に気づいていただけるものと想います。
『 洗 心 唱 』
たましい(霊魂)は生命のおおもと(根源)なり。
われら(吾等)が肉体は、これを父母にうくれども、霊魂は神の賜物にして、
生命をうけたる時より吾等のうち(体内)に宿りて、ひとのよ(人生)を支配す。
うつしよ(現世)は即ち霊魂と肉体の修練場なり。
霊魂は時間空間に超絶して厳存すれども、肉体は無限ならざるが故に、
その限りある時を逸しては、霊肉ともに修練の場を久しく失い、
ついには暗黒の洞窟に閉ざされて、その苦悩やむことあらず。
われら(吾等)はつね(恒)に思考し、意志をもち、思情をあらわす。
これ霊魂によりて支配さるる作用なり。即ち心なり。
心豊かに朗らかなればつね(恒)に健やかに、 心まずしく憂うる者、求めて病を招く。
人の禍福は自らの心が織りなせるぬの(布)にして、日夜きよ(浄)らかに安けきとき、
眼にもあでやかに晴れがましき舞台衣装ともなるべく、
ことごとに暗く平らかならざれば、或いはこつじき(乞食)のまと(纏)うぼろぎれ(襤褸)ともならむ。
つね(恒)に吾身を低く持し、強く正しく、明るく、我執を去り、みだりなる欲を捨て、
万民と和して争わず、日常座臥よろずの事物に感謝するとき、
もろもろ(諸般)の苦悩はくもきり(雲霧)の如く消散し、洋々坦々たる天地眼前にひら(展)けん。
憎しみ、嫉み、立腹、恨み、不平不満、あらゆる邪念によりて心燃ゆるとき、
行手にわかに険しく、必ずつまずき(躓き)てわがみ(吾身)を大地に打ちつけむ。
財を得むと欲すればとかく失うこと多く、
徳を積み人のため世のために仕うる者に、天は自らなる財福を与え給う。
天地に風雨あるが如く、人生また順逆を免れず、順にしておご(驕)らず、
逆にして尚その逆たることに感謝し、おの(己)がなりわい(生業)に精励努力せよ。
必ず天の導きあり、神の助けあり。
神に恥じざる志をもち、
おの(己)が総ての力を注ぎて努むるとき、
願わずとても、さいわい(幸)をうくる外はなし。
※資料を、ザ・コスモロジー様より引用させていただきました。ありがとうございます。