すっかり、日本代表清武弘嗣のフレーズが定着してしまったが、今日のニッカンスポーツには2足の草鞋で、A代表とU-22を掛け持ちするのがJFAの希望らしい。
ただ、やるのは清武弘嗣選手一人なだけに、怪我や疲労やチームに対する迷惑(ACLほか各種大会)も関するので、簡単には本人だけの希望で決めるわけにはいかない。
そんなわずらわしさも、協会としては十分配慮して決めてやって欲しいのである。途中でつぶれたら元も子もない。
ニッカンスポーツの記事を紹介しておきます。
---/ ニッカンスポーツ記事より
◆清武が代表初選出 五輪代表と掛け持ち
初の日本代表選出に驚きを見せたC大阪MF清武(撮影・福岡吉央)
ザックジャパンに若きサイドアタッカーが誕生した。C大阪のMF清武弘嗣(21)が日本代表に初選出された。10日の韓国戦(札幌ド)での代表デビューを狙う。ロンドン五輪を目指すU-22(22歳以下)日本代表でも主力を担っており、今後はA代表と五輪代表の掛け持ちとなるが「いまは必死にやるだけ」とフル回転を誓った。得点も狙える清武にはA代表、五輪代表でのカンフル剤の期待もかかる。
自分でもまさかの代表選出だった。清武はこの日、チームスタッフから代表入りを伝えられると、思わず目を丸くした。「驚きました。五輪優先という報道も見ていたし。でも入ったのはうれしい。いつもいろんなコーチが(試合に)来てくれていたし、そうやって見てくれていたんだと思った。試合でもいいところをしっかり見せたい」。
今季はここまでリーグ戦13試合で4得点、ACLでも7試合2得点と、コンスタントに結果を残してきた。3日まで札幌で行われた代表合宿でも精力的な動きで存在をアピール。想像力豊かな動きで前線を走り回り、積極的にゴールを狙うひたむきな姿勢が、ついにザッケローニ監督の目にとまった。
代表では香川、本田、岡崎、松井らとともに2列目のサイドアタッカーの座を争うことになるが、遠慮はしない。「やっていることは(U-22と)同じだと思うし、全然苦労はしないと思う。海外にいる選手とも一緒にサッカーができる。その中でたくさん吸収して、またチームにいい流れを持ち帰りたい」と前向きだ。
2つの代表を掛け持ちすることは日程的にはハードだが刺激も多い。「どうなるか分からないし、自分で決めることはできない。今は必死に頑張るだけ」と、まずは10日の日韓戦に照準を合わせる。2つの代表で吸収したことを生かし、チームのカンフル剤にもなれる。
念願の代表入りだった。小学校時代には、同じ大分市・明治北小出身の三浦淳寛(当時は淳宏)が代表でプレーする姿に憧れ続けた。02年日韓W杯では大分でメキシコ対イタリア戦を観戦。「僕もこんなピッチに立ちたい」と、日本の代表として世界を舞台に戦うことを心に決めた。あれから9年。ついにその扉をこじ開けた。【福岡吉央】
[2011年8月5日8時57分 紙面から]
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そして海外移籍に関しては
---// ニッカンスポーツ記事より
◆清武、海外移籍に「そのことは話せない」
日本代表MF清武弘嗣(21=C大阪)は11日、札幌から大阪に戻り、チーム練習に参加した。「シュートを打ちたかったが、自分が出た時に点が入って良かった。みんな自信に満ちあふれていたし、メンタルが強くなればああいう風になるのかなと思った」と、A代表デビュー戦での収穫を明かした。
大阪ダービーとなる明日13日のG大阪戦(長居)はザッケローニ監督も視察予定。「(代表の)雰囲気も少し分かったし、あとはJで結果を出してやるしかない」。A代表とU-22代表の掛け持ちについては「それはオレが決めることじゃないんで…」と、多くは語らなかった。希望している海外移籍に関して「そのことは話せない」と口をつぐんだ。
C大阪の梶野智強化部長は、清武の今後のA代表とU-22代表への招集について、日本協会に配慮してもらうよう要請することを示唆。「両方フルでとなると大変なことになる」と話した。
[2011年8月12日8時9分 紙面から]
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以前の自分だと「まだ海外は早い」と叫んでいただろう。
しかし、今は違う。今が旬である。行くべきである。そしてもっと高いレベルの選手・チームの中で、自らを向上させる経験を、数多く体験してきてもらいたい。
それが貴重なたった1回のサッカー人生を、高みに押し上げる機会だから、是非とも挑戦してもらいたい。
今後の活躍を期待します。
ただ、やるのは清武弘嗣選手一人なだけに、怪我や疲労やチームに対する迷惑(ACLほか各種大会)も関するので、簡単には本人だけの希望で決めるわけにはいかない。
そんなわずらわしさも、協会としては十分配慮して決めてやって欲しいのである。途中でつぶれたら元も子もない。
ニッカンスポーツの記事を紹介しておきます。
---/ ニッカンスポーツ記事より
◆清武が代表初選出 五輪代表と掛け持ち
初の日本代表選出に驚きを見せたC大阪MF清武(撮影・福岡吉央)
ザックジャパンに若きサイドアタッカーが誕生した。C大阪のMF清武弘嗣(21)が日本代表に初選出された。10日の韓国戦(札幌ド)での代表デビューを狙う。ロンドン五輪を目指すU-22(22歳以下)日本代表でも主力を担っており、今後はA代表と五輪代表の掛け持ちとなるが「いまは必死にやるだけ」とフル回転を誓った。得点も狙える清武にはA代表、五輪代表でのカンフル剤の期待もかかる。
自分でもまさかの代表選出だった。清武はこの日、チームスタッフから代表入りを伝えられると、思わず目を丸くした。「驚きました。五輪優先という報道も見ていたし。でも入ったのはうれしい。いつもいろんなコーチが(試合に)来てくれていたし、そうやって見てくれていたんだと思った。試合でもいいところをしっかり見せたい」。
今季はここまでリーグ戦13試合で4得点、ACLでも7試合2得点と、コンスタントに結果を残してきた。3日まで札幌で行われた代表合宿でも精力的な動きで存在をアピール。想像力豊かな動きで前線を走り回り、積極的にゴールを狙うひたむきな姿勢が、ついにザッケローニ監督の目にとまった。
代表では香川、本田、岡崎、松井らとともに2列目のサイドアタッカーの座を争うことになるが、遠慮はしない。「やっていることは(U-22と)同じだと思うし、全然苦労はしないと思う。海外にいる選手とも一緒にサッカーができる。その中でたくさん吸収して、またチームにいい流れを持ち帰りたい」と前向きだ。
2つの代表を掛け持ちすることは日程的にはハードだが刺激も多い。「どうなるか分からないし、自分で決めることはできない。今は必死に頑張るだけ」と、まずは10日の日韓戦に照準を合わせる。2つの代表で吸収したことを生かし、チームのカンフル剤にもなれる。
念願の代表入りだった。小学校時代には、同じ大分市・明治北小出身の三浦淳寛(当時は淳宏)が代表でプレーする姿に憧れ続けた。02年日韓W杯では大分でメキシコ対イタリア戦を観戦。「僕もこんなピッチに立ちたい」と、日本の代表として世界を舞台に戦うことを心に決めた。あれから9年。ついにその扉をこじ開けた。【福岡吉央】
[2011年8月5日8時57分 紙面から]
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そして海外移籍に関しては
---// ニッカンスポーツ記事より
◆清武、海外移籍に「そのことは話せない」
日本代表MF清武弘嗣(21=C大阪)は11日、札幌から大阪に戻り、チーム練習に参加した。「シュートを打ちたかったが、自分が出た時に点が入って良かった。みんな自信に満ちあふれていたし、メンタルが強くなればああいう風になるのかなと思った」と、A代表デビュー戦での収穫を明かした。
大阪ダービーとなる明日13日のG大阪戦(長居)はザッケローニ監督も視察予定。「(代表の)雰囲気も少し分かったし、あとはJで結果を出してやるしかない」。A代表とU-22代表の掛け持ちについては「それはオレが決めることじゃないんで…」と、多くは語らなかった。希望している海外移籍に関して「そのことは話せない」と口をつぐんだ。
C大阪の梶野智強化部長は、清武の今後のA代表とU-22代表への招集について、日本協会に配慮してもらうよう要請することを示唆。「両方フルでとなると大変なことになる」と話した。
[2011年8月12日8時9分 紙面から]
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以前の自分だと「まだ海外は早い」と叫んでいただろう。
しかし、今は違う。今が旬である。行くべきである。そしてもっと高いレベルの選手・チームの中で、自らを向上させる経験を、数多く体験してきてもらいたい。
それが貴重なたった1回のサッカー人生を、高みに押し上げる機会だから、是非とも挑戦してもらいたい。
今後の活躍を期待します。
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