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★気動車が無人駅に着く。 僕の場合、電車は想定していない。 無人駅といえば気動車だ。 プラットホームに降り立ち、遠ざかっていく気動車を見送る。 このとき―― 「遠ざかる気動車の速度」=「僕が、僕のうちに向かって駆けだしていく速度」。 無人駅は、僕に、魂の内側への初速度を与えてくれる、ま、いってみればパワースポットだ。 ★東日本大震災被災後、僕が気にしていたJR八戸線の有家駅と陸中八木駅は、僕にとって特別な無人駅だ。 どう特別なのかを語りだせば長くなる。 きょうは「魂の内側への初速度」に限定して、ひと言だけ述べる。 有家駅=僕にとって、もっとも強烈な初速度を与えてくれる無人駅。 陸中八木駅=魂の内側から外側への出口。「催眠術を解く」というが、有家駅が「催眠術をかける」駅で、陸中八木駅は「解く」役目の駅。 ★東日本大震災被災後、一刻も早く訪れなければ……と思っていた。 しかし、スケジュールの関係で、なかなか実現しなかった。 一度は、計画の前日に再び被災(余震)するという不運もあった。 昨日、往訪。 駅舎は無事だった。 しかし、窓も扉もない。 屋根の破風はボコボコだ。 プラットホームは踏切側(陸中中野方向)も反対側(陸中八木駅方向)も大きく損壊。 有家浜沿いの、陸中中野駅に向かっていく線路――僕の魂の内側では、2000年末、大阪・河堀口駅を発した、闇から闇を疾駆する深夜特急が、有家駅を出て、人生の夜の終わりを告げる朝の光を目指し、暗い海を抱く弓なりの海岸線に消えていく軌道)は、津波に押し流され、跡形をとどめていない。 踏切内のレールは踏切ガードで強固に保護されている。 しかし、踏切を出たところで45度の角度で内陸側に曲がっている。 浜辺の漁師小屋も完全に消滅。 秘境駅情報で「駅前に人家3軒/国道45号からは遠い/太平洋をダイナミックに眺望/締め切り可の綺麗な待合室/潮騒の音が静かに鳴り響く」と紹介されていた「人家3軒」は全壊。 山の稜線のカタチだけが変わっていない。 ★線路跡に立ち尽くした。 線路「跡」のカタチに手を触れると、意外と堅固だ。 八戸線の、あるいは深夜特急の執念だろう。 「このカタチのうえを、今、僕が歩いてやらなければ……」と思い、一歩、二歩と歩いた。 ★関連記事 ・JR八戸線・有家駅 空間軸上の茫漠&時間軸上の茫漠 ★公式ホームページへ ★WEB無人駅線ページへ |
アップテスト | 大甘な感想であることを前提にしつつ |
★先週、○○県○○町教頭会(小中教頭会13名・○○町教育委員会指導主事1名)の方々が来校された。 |
◆〈乱氏チャット〉における、わしの一方的&片道コメント。 ☆千葉ロッテ、CSパ制覇、おめでとう!(^^)! ☆昨夜は、4-0までTV観戦。成瀬の出来&鷹の体質(&表情)から、鷹の逆転は不可と判断(←ま、成瀬みたいにCSになって突如、変身、復活というのは相手にとっては、ホンマ、迷惑でんなぁぁ~(ノ△・。))して、即、就寝。 ☆今回のCSは、直前のオリ、ハムとのデッドヒートからスタートしたわけですね。 ☆そのときは、わしのライオンズを中心に考え、ハム(←やはり、ダルが怖い)よりは、ロッテ(←怖い投手がいない)が組みしやすいm(_ _)mと、ロッテを必死で応援^^; ☆ライオンズがみっともなく負けてしまってからは、やや複雑な心境。2つの心がありました。 ☆(1)「生涯、よくて3位・4位人生、通常5位・6位人生」のわしとしては、谷底から怒濤のようにはい上がったロッテへのエールをおくりたい……。(2)しかし、しかし、鷹はせっかく優勝したのに、それにそれにCSではこれまで1度もいい思いをしたことがない。なのに、ここに及び、またまたまたロッテに敗戦というのでは、鷹もいくらなんでも、かわいそう……。 ☆ま、(1)か(2)かは、あえて結論を出さないで観ていました(*^_^*)。結論を出さない心境の深層は、自分でもよくわかりまへん。ま、もともと1位~5位まで、ほとんど差がなかったので、この点は、気が楽だったということもありますね。 ☆さて、次は、日本シリーズ。 ☆もし、鷹が出場していれば一切観なかったと思います。ロッテですから、チラチラ、観るつもり(^_^)v。 ☆パ・リーグとしては絶対に負けるわけにいきまへんから、もちろん完膚無きまでの4連勝を期待します。 ☆相手はやっぱり、やっつけがいのある、落合・中日がいいですね。 ☆話は変わり、選挙:衆院選・道5区補選(10月24日投開票)。 ☆現時点で自民リード(らしい)。 ☆圧勝という声も。 ☆もし自民が負けたら(1)これは、もう、そのショックは計り知れまへんよ。困ります。でも、自民の安倍晋三化は確実に促進します(^_-)。絶好のチャンスですね。 ☆しかし、自民が勝ったら(2)安倍晋三化が一頓挫。 ☆勝っても負けても、わしとしては困るわけですよ。選挙に勝ち、かつ、晋三化促進……というのがベストです。 |
★寺山修司記念館に関する次のような記事を見つけた。 三沢市寺山修司記念館(寺山孝四郎館長)の来館者が5年ぶりに年間1万人を突破し14日、同館で記念セレモニーが行われた。 (中略) 同館は1997年に開館し、これまでの来館者数は約17万6千人を数える。客層の半数以上が県外観光客といい、同館では「今年は広報体制を充実させたのが奏功した。イベントも充実させ、今後は地域の人々にも積極的に来てほしい」としている。(「記事」以上) ★記事を読み、わたしのうちに、2つの短い、ぼんやりとした感慨が(――「感慨が」と打ち込んだところで思考がストップ。 感慨が……「どうしたのか?」という部分の、適切な述語がみつからない。 いつも、こういうことで、逡巡し、修業不足を痛感し、ひたすらに落ちこんでしまう。 「感慨が生じた」でいいのかもしれない。 だが、「生じた」では、その感慨がわたしにとって重要なものなのか、いや、どうでもいいものなのか、その度合いがわからない。 ま、自分でもわからないから逡巡しているのだろうけど……。 逡巡を振りはらい振りはらい、手探りしつつ、なんとかことばにするとすれば、雲=感慨が頭上を通過し、その影が野に映り、その映った影が、結構、鮮明に目に焼きついた……というところだろう。 では、それを一言で何といえばいいのか?^^; ここでまたまた逡巡。 でも、いつまでも立ち往生しているわけにもいかないから……、このあたりで妥協。 で、結局――)生じた^^;。 ★感慨の1つは、ああ、寺山修司記念館を訪れる人は1年間に1万人前後ということなのだから……365日で割ると1日30人弱……ほう、わたしのホームページと同じくらいなんだ……おお、今、わたしは、わたしの現在の精神拠点(=現時点を離れ、過去記事の世界に突入。その後、再び現時点に戻ろうとして、戻りきれず、現時点からも、過去からも、微妙にズレた「時空間」)のカタチを、より鮮明に、より具象的に顕現させるために「メタファー(metaphor)を創出しよう」としているが、寺山修司記念館は、その創出の参考になるかもしれない……というのが1つの感慨だった。 もう1つは、この感慨を打ち消す方向で、2008の冬に訪問したときのわたしの印象が蘇った……という内容だ。 ★パンフレットによると、記念館の竣工は平成9年3月だから、わたしは開設12年目に訪問したことになる。 12年間のあいだに、わたしは、何度か(いや、何度も)記念館の近くを通過している。 毎年のように近くのキャンプ場に来ている。 同じく近くの市民の森温泉にも来ている。 そのたびに「寺山修司記念館」という案内板が目に入った。 気にはなる。 が、どうしても「よし、入場しよう!」という気には至らない。 これがわたしと寺山の関係の象徴であるともいえるのだが、2008年冬は、三沢市出身の亜紀さんにポンと背中を押される格好で、遂に訪問したのだった。 ★記念館そのものについての説明は省略する。 直接、行かれるといいと思うし、ステキなHPもあるので、ぜひご覧になるといい。 一歩踏み込んだ瞬間、わたしは(きわめて狭い経験から)この記念館は、花巻・太田山口の高村光太郎山荘&記念館とは対極にあると感じた。 わかりやすくするために、高村記念館から先に説明すると―― 高村記念館は、ごく一部の例外を除き、展示の対象は、高村光太郎が太田山口の山小屋で独居自炊生活をした1945年~1952年までの7年間に限定されている。 留学生活を送ったニューヨークも、ロンドンも、パリも、さらにはパンの会の時代も、さらにはさらには戦争詩(←わたしは高く評価しているが……)の時代もいっさい展示の対象になっていない。 限定して限定して展示し、あとはあなたの中に存在する「高村光太郎」と組み合わせて、あなたの「高村ワールド」を創ってください……というのが高村記念館のスタイルだ。 ★これに対し、寺山修司記念館は、まさしく寺山ワールドだ。(だから、どうだというのでは決してない。記念館のめざす方向性が違うのだ。) 詩に、短歌に、俳句に、映画に、演劇に、写真に、スポーツに、メルヘンに、さらには寺山が興味をもったもの、集めたもの、かかわりのあった人々等々……さまざまな足跡を展示し、訪問者が寺山ワールドに侵入できることを展示の基本方針としている(のだろう……)。 さらに、記念館は、迫りに迫り、寺山はいったいどこから来たのか?(←寺山自身もきづいていないこと)、あるいは、寺山はどこへ行ったのか?(←もちろん、死んだ寺山が知っているはずがない)、それを突きとめるきっかけをつくることを展示のもう1つの基本方針としている(というふうに、わたしには思える。) これはこれでスゴイ。 特に、わたしが「もう1つの基本方針」といった部分にしびれてしまった。 ★中途半端だが、これで終わる。 つづきは、現在、追究中の、「わたしの現在の精神拠点のメタファー」との関係が明らかになった段階で書くことにしたい^^;。 ★関連記事 ・寺山修司の作品や愛用品等を題材にした「僕の職業は寺山修司です」切手シートを購入というか衝動買い^^; ・文学館は民間の営利・非営利組織の出番
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☆大盛況の文化祭・IS展示。教育の可能性を黙示。撮影は乱氏。 ◆喫茶店で見知らぬ青年からナイフを脇腹に突きつけられた。 「あなたは今、希望を語ることができますか?」 顔面蒼白の青年がたずねた。 何が起きたのかわからぬ困惑のなかで、 「おれには語るべき希望なんてひとつもないよ」 と、蜷川(幸雄)さんは答えた。 「ああ、よかった。僕はずっとあなたの芝居を見てきましたし、影響も受けてきました。あなたが希望を語ったら、刺すつもりでした」 青年は店を出ていった。 学生運動が下火に向かい、多くの若者に喪失感と虚無感が漂いはじめた時期である。 蜷川さんはいまも演出しているとき、青年の視線を感じるという。 「彼のまなざしに拮抗できる舞台をつくらねばならない」と。(讀賣・編集手帳から引用) ◆旧DAKA古書店解体に伴い、古書店内の壁に掛けてあった掲示板を、(少し前に紹介した)開かれた孤独感を味わうことができる「隅っこ」に移動した。 この掲示板の最上部に、上記の「喫茶店で見知らぬ青年からナイフを脇腹に突きつけられた」が、ピンで留められていた。 蜷川氏が、いまも演出しているときに感じる「彼のまなざし」。 こういう「まなざし」が、わたしにも存在する。 幾人かの「まなざし」が、傍らに存在し、それは片時も忘れたことがない。 これらの「まなざし」に拮抗できる、精神の枠組みを創出しなくてはならない……と思いつづけているのだが……。(この「まなざし」が消滅すると、まちがいなく、このわたしも消滅する。) この「創出」の一環として、HPをマイナーチェンジした^^;。 ★関連記事 ・極端な閉所恐怖症だが、(いや、閉所恐怖症だから……かもしれないが)隅っこが大好きである ・会議のあと、授業技量アップをねらい、模擬授業大会をやった。授業者は、佐鷹T(理科)、今江田T(国語) にほんブログ村 ←応援クリック、よろしく!(●´ω`●) にほんブログ村 ★わたしの公式ホームページにも、ぜひ、来てください。公式ホームページには、トータルの、全身の、わたしが存在します。待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! ★公式ホームページへ ★わたしのWEB無人駅線のページにも、ぜひ、来てください。あっというまに、魂が無人駅線の世界に、全身、移動できます。待ってまっせぇ~ィ !!!!!!!!!! ★WEB無人駅線ページへ |
◆今週の前半(11/22~24)、やや体調不良。
だるいとかどこが痛いとかはっきりとした症状があるわけではない。
生きていく上で最低限のことはやっていた。
しかし、それ以上のこと、たとえば、ブログ記事の更新^^;、散歩などは、やる気がないわけではないのに、最初の一歩がどうしても踏み出せなかった。
◆先週、ひさしぶりにジョギングをやって、あまりに快適なものだから、調子にのり、日曜日にクロスカントリー風に田舎道を上ったり下ったりした。
これがまずかったのだろう。
その日は最高気温が20℃近くまであがっていた。
途中から完全に失速。
加えて、翌日(月曜日)の遠方出張。
仕事の中味はそれほど負荷のかかるものではなかったが、知らない街に身を置いていると思うと、気持ちが高揚し、空いた時間で、目抜き通り、商店街、路地裏と、あちこち彷徨。
これもまずかった^^;。
わたしはもうこのままダメになるのか?と、すっかり落ちこんでいたが、木、金、土と徐々に快復(^_^)v。
けさ、早朝の散歩も復活。