大沼法龍師の言葉

故・大沼法龍師の著作の中から、お気に入りのものを、皆さんに紹介させていただきます。

44 怒らぬ人

2007-08-24 23:30:55 | Weblog
 スイスの哲学者アボレー博士は怒ったことのない人であった。十年間も仕えている下婢がまだ嘗て博士の怒った顔を見たことがなかった。悪戯好きな博士の友人が密かに下婢に話をして、もしお前が博士を怒らせたら褒美の金を与えようと言った。下婢はいろいろと考えていたが、博士はベッドを正しく整えておくのを喜ぶ性であったから、ある日わざと床を打ち棄てておいた。叱られると思うと「昨夜は床が整えてなかったようだったね」次の夜も打ち棄てておいた。昨夜も床が整えてなかったようだが忙しかったのだろう今夜は頼みますよ」三度目の朝博士は下婢を自分の部屋に呼ばれた。大眼玉だろうと思いの外、「お前は昨夜も床を整えないようであったが、これには何か訳があってのことだろう、よいよいわしはこれに馴れたからこれからはわしが整えるようにしよう」下婢は堪り兼ねて博士の膝下に泣き伏し訳を話して詫びた。すると博士は相変わらず微笑を洩らしていた。なんと奥床しい心だろう。私には真似もできない、怒りは一切の善根を焼却する毒炎である。ある怒りっぽい主人が僅かばかりの下女の不注意、それは主人の夕食に出す一皿の物を飼っている子羊が食べたのであった。眼に角立て叱り飛ばされた下女はその腹いせにストーブに入れる火を子羊の背に投げた、毛に火のついた子羊は熱さに苦しみ周章て自分の小屋に走りこんだ。何千とも知れぬ羊の群に火がつき遂に家まで焼いてしまったという偶話がある。一人の怒りはどこまでも波及するのだ。怒は敵と思え、堪忍は無事長久の基だ、怒る人は度量が狭いのだ、真の勇気に欠けているのだ、世の中のご主人下級の者を愛して自分を責めようではないか。
                              (「教訓」p54~p55)