大沼法龍師の言葉

故・大沼法龍師の著作の中から、お気に入りのものを、皆さんに紹介させていただきます。

仏教諸歌 2 (「明闇」より)

2007-09-05 00:29:27 | Weblog

数あれど 正しい道は 唯一つ

目に見えぬ 徳散ずれば 拝まるる

嫉妬して 怨み呪えば 身の破滅

施しは 富貴長寿の 元と知れ

法財施 生きる力の 元と知れ

八つ裂きに 逢うても足りぬ この身なり

わが心 瞋り呪いの 地獄道

寒風を 凌いで香る 梅の花

遠き道 ふりかえり見ば 近い道

明日はなし、笑顔で暮らせ、今日限り

仏教諸歌 1 (「明闇」より)

2007-09-02 23:50:45 | Weblog

仕方ない 蒔いた種なら 生えるもの

美人でも 笑顔忘れりゃ 五割引き

親捨てた 報いで子にも 捨てらるる

臨終を 今出して聞け 三定死

狂いなし 因果の理法 鮮かに

謗法も 闡提も皆 仏の子

立ち上れ 今日が報謝の 最後の日

正も邪も 勝手に決める 我執から

広大の 恩に泣きつつ 果しつつ

呼べば呼び 呼ばねば呼ばぬ 山彦ぞ

苦に病むな 憂いも辛いも 流れゆく 苦にする心 自業苦なりけり

財産も 名誉も一時の 稲光り あとに残るは 夢の溜息


145 ひょっと

2007-09-01 01:37:22 | Weblog
 楯師が「婆さんたちはひょっともはっともない、地獄一定じゃぞ。譬えていえば、町内一の金満家の一人息子が大学を卒業して帰って、嫁を探している。十八から二十二までの娘を望んでいるので、親族からも写真を持って見せに来る。用事もないのに、近所の娘は満艦飾しては家の前を通ってみる。その話を聞いた同じ町内の七十になる小ぎれいな婆さんが『あそこの息子さんは嫁を探しているということだが、わしは髪を染めたらきれいだし、腰も屈ってはいないから、まんざら捨てたものではない、ひょっと貰いに来やせんだろうか』自惚れるなよ、私は素直に聞いている、願力の不思議に目はつけているが「ひょっと」堕ちはすまいか。とぼけるな、お前が墜ちんで誰が墜ちるのだ、ひょっとは彌勒菩薩しかつけられない言葉だぞ」
                                (「教訓」p188)

102 親殺しの罪人

2007-09-01 01:28:01 | Weblog
 世の中に、親を殺したほどの重罪はない。いかなる処刑にすべきかを大名に尋ねたら、馬鹿大名だったので考えた末「東海道五十三次を駕籠に乗してぶらぶら歩いてやれ、これが一番辛い」と言ったそうなが、経験のない者は情ない、徒歩や乗馬よりどれほど楽な旅行かわからないのに、楽づくめの中にいるものは、その楽が苦痛なのだ。楽して楽知らず、信仰も体験のない人間には、仏法の妙味はわからない。
                             (「教訓」p138~p139)

36 無名の先頭

2007-09-01 01:03:28 | Weblog
 鍋島加賀守が江戸に参勤の為、瀬戸内海を船で走り、その日の内に大阪の川口に着こうという時刻であった。船頭は一点の曇りもなく風もないのに急に叫んで舟子に帆をまかせ、船を高砂の入江に着けようと騒いでいる。加賀守は数度往来して西国の海上には馴れている、これはどうしたことかと船頭をよびつけた。「風が変りそうで油断がなりませぬ」「馬鹿、この天気を見い、うつけ者奴が、かまわぬからこのまま参れ」ときつい下知、船頭は黙って引き退ったが、いよいよ高砂の浜に船を急がすので、加賀守は怒気心頭に発して「おのれ!風が若し変らなかったらそちの首をはねるぞ」「承知いたしました。若し風が変らねば殿にはこれほどお目出度いことはありません。私めは切腹いたしまする」と船頭は答えた。一刻と経たぬうちに烈風忽然と吹き来り、波浪奔騰、船頭は舟子を励まし漸くに九死に一生を得て船を高砂の入江に着けた。船頭は大役を了え、召しつれた十四歳になる一子を前に坐らせ「船頭が一旦舵を握れば誰の指図もうけてはならぬ、たとえその身は失うとも信ずる通りに船を操るのが船頭じゃ、今日の様をよく覚えて忘るるな」と教えた。太守はいたく船頭を賞讃し感嘆した。信じて行えば天下一人と雖も強いのだ、八方より攻撃は受けるとも舵を握ればそれだけの責任があるのだ。三界の導師を以て任ずる我等教家本当に生死の苦海を乗り切る自身があるか、一身を導き、家族を導き、国家を導かねばならぬ責任があるのだが、激浪怒涛を巻き起こす根本の疑雲が見出せたか、晴天無風の阿片に酔うていて永遠の生命を取失うてはならないぞ。
                                (「教訓」p41~p43)

26 少しの糊

2007-09-01 00:49:05 | Weblog
 アメリカボストンのある実業家のところへ救済事業の寄附を頼みに行った人があった。その時実業家は「ほんの僅かばかり使えばすむものを何故こんなに沢山使ったのだ」と叱っていた。何に使ったのかよく聞けば糊であった。糊位いのことであんなにけちけちしているのなら寄附などは思いもよらぬことと思ったけれども折角来たのだから話し出すと、即座に五百弗寄附した。事の意外に吃驚して尋ねると「私は平生少しの糊でも無駄にせぬように心掛けているからこうした寄附もできるわけです」と何と奥床しい心ではないか。一銭を笑う者は一銭に泣く、塵も積れば山となる、大海も一滴の集りではないか、物を粗末にする者は物に嫌わるるから不自由しなければならないのだ。自然のみ恵み、み仏の賜物は決して粗末にしてはならない。
                                 (「教訓」p30)

23 音階に五ヵ年

2007-09-01 00:35:45 | Weblog
 イタリアの有名な音楽家の許に音楽の教授を受けたいと訪ねて来た青年があった。「止したほうがよかろう音楽を学ぶことは一通りの苦辛ではないから」「どんな苦労でもします」「どんな苦労があっても決して苦情も不足もいうてはならないぞ」と教授しはじめた。今の青年は師の家に起居して炊事掃除から一切の面倒を見て暇に教を受けた。はじめ一年は音階だけで終った、二年目もやはり音階だけを繰返された、第三年目こそは変った音符をと楽しんでいたけれども依然として音階のみであった。はじめから不服は言わぬということになっているから青年は忍んでいた、第四年目も音階であったから青年はたまりかねて「何か変った曲譜を教えてください」といった。けれども師匠は一言の下に叱り飛ばした。五年目になって半音階と低音使用法とを教えた。その年の暮青年はまた「何か変った音符」と頼んだ時「もうお前は俺の家から帰ってもよい、俺の教えることは終った。如何なる人の前で唱うても、決してイタリア否全世界でお前は他人に退けを取ることはない」その青年はカファレリと言いイタリア第一の名歌手となった。音階位いはたった一日でできるはずである、それを二年三年と言わず五年までも魂打込んでの教授には人の知らない微妙な点があるのだ、基礎が決ればどんな難しい楽譜でも自由に操ることができるのだ。真宗の信仰も只の只と聞く位いなら一度や二度で決定心はつくはずだ、しかしその只の中には本師法皇の五兆の願行が打込まれ八萬の法蔵も封じ込まれてあるのだもの只の中には無限の妙味が溢れているのだ。一曲に達するにさえ心身を捧げているのだもの無形の信仰の決定を得るに居睡り半分に解決するものかい、極難の信の境を突破して信楽開発さえすれば基礎が決定するから総てに満足して生活することができるのだ。
                                  (「教訓」p25~p26)