大沼法龍師の言葉

故・大沼法龍師の著作の中から、お気に入りのものを、皆さんに紹介させていただきます。

23 音階に五ヵ年

2007-09-01 00:35:45 | Weblog
 イタリアの有名な音楽家の許に音楽の教授を受けたいと訪ねて来た青年があった。「止したほうがよかろう音楽を学ぶことは一通りの苦辛ではないから」「どんな苦労でもします」「どんな苦労があっても決して苦情も不足もいうてはならないぞ」と教授しはじめた。今の青年は師の家に起居して炊事掃除から一切の面倒を見て暇に教を受けた。はじめ一年は音階だけで終った、二年目もやはり音階だけを繰返された、第三年目こそは変った音符をと楽しんでいたけれども依然として音階のみであった。はじめから不服は言わぬということになっているから青年は忍んでいた、第四年目も音階であったから青年はたまりかねて「何か変った曲譜を教えてください」といった。けれども師匠は一言の下に叱り飛ばした。五年目になって半音階と低音使用法とを教えた。その年の暮青年はまた「何か変った音符」と頼んだ時「もうお前は俺の家から帰ってもよい、俺の教えることは終った。如何なる人の前で唱うても、決してイタリア否全世界でお前は他人に退けを取ることはない」その青年はカファレリと言いイタリア第一の名歌手となった。音階位いはたった一日でできるはずである、それを二年三年と言わず五年までも魂打込んでの教授には人の知らない微妙な点があるのだ、基礎が決ればどんな難しい楽譜でも自由に操ることができるのだ。真宗の信仰も只の只と聞く位いなら一度や二度で決定心はつくはずだ、しかしその只の中には本師法皇の五兆の願行が打込まれ八萬の法蔵も封じ込まれてあるのだもの只の中には無限の妙味が溢れているのだ。一曲に達するにさえ心身を捧げているのだもの無形の信仰の決定を得るに居睡り半分に解決するものかい、極難の信の境を突破して信楽開発さえすれば基礎が決定するから総てに満足して生活することができるのだ。
                                  (「教訓」p25~p26)