世界的数学の大家、菊池大麓博士が曽て英国ケンブリッジ大学に留学中、常に首席を占めていた。ある時ふと病気になり入院のため学校は永い間欠席せねばならなかった。英国の学生は日頃の鬱憤を晴らすはこの時なりと次席のブラウン君を捉えて他の学生は「この時だよ彼は病気で講義を筆記することができない、今度こそ大英国の名誉にかけても君が首席を取ってくれなければ」と励ましていた。やがて菊池の病気も癒え、学期試験も終って発表されたのを見ると矢張菊池が一番でブラウンは二番であった。ブラウンは只一人莞爾として「ああ僕はこれで英国人の誇を傷付けなくて済んだ」と菊池の病床中ブラウンは毎日ノートを送っていた。なんと奥床しい高潔な紳士だろう。人の不幸を願い、人の蹉跌を慶ぶ人世に、人の縮尻を求め人の苦悩を笑う人世になんと雄々しい友情だろう。
(「教訓」p111~p112)
(「教訓」p111~p112)