えどがわ革新懇の第三回総会の記念講演が行われ、前川喜平氏が縦横に語りました。憲法・教育基本法の学問の自由、学ぶ権利、心に響く素晴らしい内容でした。
日本学術会議の任命拒否は、勝手に変えているのに「変えていない」といい、詭弁の連続。権力者の下僕になってしまった官僚。かつては幅が広かった自民党・与党の変質。最高裁判事は「お友達」ばかり、かつては推薦された人を任命していたのにス選されていない人を任命する。職業裁判官は保身と出世を考える。朝鮮高校授業料は制度設計では無償化だ、自分が法律にのっとってやった。それが、大阪以外の4つの朝鮮高校裁判はまけた。三権分立が壊れている。メディアも独立すべき。正論をいう人と、うそをついている人を同等に扱うのはおかしい。
学問の自由の上に教育の自由がある。学習指導要領は、学問の成果に基づいてやるべき。たとえば、南京大虐殺はあったこと、犠牲者の数は諸説あるが「なかった」ということはない。政治的中立というが、政治にふれなくなっていく。学校の中で主権者教育が行われなくなっていく。
新自由主義は弱肉強食、個人より国家を大事にする考え方は戦前のこと。日本国憲法は、人類普遍の考え方をしめし、これを、教育を通して実現していくとした。憲法の理想を教育が実現する。1947教育基本法制定。道徳教育のよってたつものは憲法だ。市民教育は必要。これと関係ない道徳教育がもちこまれている。一人一人誰もがかけがえのない権利を持っている。騙されない人を育てていくこと。
憲法が教育の在り方をささえている。個人の尊厳を保証するのが学習権。1976年旭川学テ裁判最高裁判決、子どもの学ぶ権利が含まれている。学習権は複合的で、自由権的側面、社会権的側面、平等的側面、参政権的側面がある。権力の不当な介入はやってはならない。日本国憲法にのっとった教育をやるべき。学ぶことは本来自由。今回の日本学術会議の問題は、教育全般に関わる。人間の心の自由にも深くかかわってくる。政府権力から見れば、日本学術会議は邪魔な存在、軍事研究を妨げている存在。「軍事研究は行わない」と声明を出している。2018年の文書は事務局が作ったというが、日本学術会議の会員が知らないで作るなどやってはいけない。論点ずらし、デマがひどい。「10憶使っている。アメリカは使っていない」「250万円の年金をもらえる」(会員になったら年金をもらうことはない。別の資格要件)「前任者が推薦する」(全員から推薦できる)「やるべき仕事・答申をやっていない」(諮問がないから答申は出せない)。いいたいほうだいだ。廃止したいという本音がでている。ここ崩れると学問の自由があぶなくなる。
自由にものを考える人間を育てていく、教師自身が自由であるべき、そこを考えること、このまとめの言葉は、最も大切な指摘でした。多くの教員に聞いてほしかったです。学校現場で頑張っているみなさん、前川さんのいう、学習権を広くとらえる視点を大切にしていただけたらと願います。憲法、教育基本法に依拠していきたいですね。