会社、部署、プロジェクト、そして、地域、仲間、グループ など 人が集まって何かの目的に向けて、動き出すとき、組織が生まれる。
組織でも、ワンマン××、カリスマ○○がもともといて、そこに人が集まる組織なら、話はカンタン。みんながその人に従ってひとつの方向に進んでいけばよい。
でも、多くの組織は、そーではなく、異なった主目的を保ちつつも、ある点で一致しているために、否応なしに、組織に組み込まれている というケース。
そんな組織を運営していくのは、なかなか難しい。
人の上には立ちたくないなぁー、と思う。
立場のことではなくて、少なくとも、意識の上では。
立場が優先されると、どーしても、判断ができなくなる。そー、いろんな立場の人のことを考えなくてはならなくなってしまうから、だと思う。
そーではなく、大事なことは、「想い」 じゃないかと、思う。
どれだけその 想い が強いか、大きいか、重いか。
自分でその 「想い」 を信じれるか。
たとえ、立場上、人の上に立っていても、その想いに従えれば、適切な判断は、できるはず。
「想い」があれば、 本音 も語れる。だから 周りが信頼する。
「想い」は 語ってこそ 価値がある。 「想い違い」にも 気が付く し。
そして、もうひとつ。
それは、役割分担 と 責任委譲。
これも、想い があればこそ、できること。
そーすれば、何でも話せる環境 みたいなものは、自然と生まれてくる。
組織運営で大事なことは、そーいうことじゃないかなぁー と。
その場しのぎでは、どーしても 見透かされてしまう。どんなに大声を出して怒鳴っても、「想い」がなければ、遠吠え にしか聞こえない。
人の上に立たされる人は、 そんなことは、 わかっている、 と…。
でも、それが出来ないのはなぜだろう。知識も経験も想いもあるはずなのに。
大人の世界には、ガス抜き という方法がある。ガスが貯まっていると気分がよくない。単に酒を呑んでいるだけでは、ガスは抜けない。抜いてくれる人がいないことには。うまーく、抜けると、クールダウンできる。そーすると、ついさっきまで見えていた世界が違って見えてくる。
そーすると、あるはずの、つい忘れていた 「想い」 が蘇ってくるかもしれない。
人の上に立つ人に ? がついたときには、 「想い」 を素直に尋ねてみるのも
いーかも しれない。 勇気 と 思い切り と ある程度の覚悟 は必要だけど。
そんなことが 気になった 一週間だった。
今のところ、勇気と思い切り、は 重い腰 に阻まれている…
とりあえず、\(`O´θ/えいキックじゃ!バキッ!☆/(x_x)
やっぱ人なんですよね。
想いのない人とは、仕事は進められないな?と思ったとき、そんなこと山ほどあるけれど…。
最近の私は、そんなおじさんはムリだから、若者たちを育てていくしかないと思い、若者たちとの時間を出来るだけとるようにしています。
そんな想いを彼らにさせたくないから、今まだ間に合うこのときに、人づくりをしておかないと、私たちも危なくなってしまう…。ちゃんとその想いを理解し、やらなくてはいけないことが、自ら知るような環境づくりをしていかないと考えています。
だからというわけではありませんが、変な組織の論理には、抵抗しています。だって辻褄合わないもの…。
数字の明確化だけが組織づくりの枕詞になっているなんておかしいですよ。その数字の責任の重さは、ちゃんと語るべきだし、その行く先には何が出来て、何かいい事待っているの?って感じですね。
つまり私も\(`O´θ/えいキックじゃ!バキッ!☆/(x_x)
でもね、キックもバキッ!も、いくらやっても、感じない人たちだから。。。。
そこが悩ましいよね。
コミュニケーションって難しい。
忍耐+根気しかないのかなあ。。。。
2can化させないでください、ね。
お酒の席でもないのに、
みょーに、暖かで リビングには、i-tunesのラジオ Jazz(35スリトーム)Abusolutery Smooth Jazz On Sky fm から気持ちのいい音が流れていますよ。
こんな環境で このテーマに向かうと、ちょっと違った 角度から 発想できたりして、、。
こういう、ガス抜きもあるのかなー (^-^)/
やっぱり 想い は あるのだと 思います。ただそれを語らないだけ、
沈黙は、立場がなせる技 と思いこんでいるだけかも。歴史上にもそんな偉大な人物が いたよーな。
ただ、想い は、貯めれば貯めるほどに 重い腰 となっていくよーな。自分が語るのは 意外とカンタンだけど、人に語らせよーと すると、なかなか大変。しかも、語ってしまったあとに、語らせるのは、もっと大変。なので自分の腰が重くなる。
これ ある意味、真理かなー これも弁証法 ですか?
重い腰はひょっとしたら思い過し かもしれないし、、、。