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ZENON Inc.

私はフィリピンに関連する多種多様な分野においてのコンサルティングを行なう「ZENON Inc.」という会社に属している。

フィリピンの刑務所

2015年07月22日 | ドキュメンタリー

メトロマニラから南方に約30キロ、車で約40分位の南端にあるMuntinlupa市にあるニュービリビッド刑務所(New Bilibid Prison)通称モンテンルパ刑務所。日本軍のBC級戦犯が収監されていた場所で、渡辺はま子さんが歌った名曲「ああモンテンルパの夜は更けて」で有名な日本人からすれば到底理解しがたい刑務所である。今年の春頃に知人の紹介で京都在住の医師の方からフィリピンの刑務所に知人に面会に行きたいのでどうすればよいのか、どんな所なのかアドバイスを求められた。それこそが、このモンキーハウス(現地人はこの様な表現をする。)である。集団ダンスで日本のテレビでもお馴染みの刑務所はセブの刑務所である。モンテンルパ刑務所に昨年の暮れに司法省が抜き打ちの立ち入り検査を敢行した時に、拳銃、手榴弾、ナイフ、覚醒剤、マリファナ、携帯電話、多額の現金等が次々と発見された。汚職撲滅を掲げている現アキノ政権の刑務所改革のパフォーマンスと思われる。刑務所内では贈収賄をはじめセックス(娼婦を刑務所内にデリバリーをする。)、強姦(面会に訪れた少女が被害にあったのも事実である。)、酒、ドラッグが蔓延しているのは周知の事実である。多額の資金力を持っている麻薬王達や政治家達(彼等は通称「ビッグタイム」と呼ばれる。)にしてみれば獄中生活はある意味娑婆よりも快適かもしれない。彼等達が力をつけていき江戸時代の牢名主の様な組織が出来、プリズン・ギャング(刑務所内での麻薬、ギャンブル、暗殺等を手掛ける囚人組織)やメイヤー(タガログ語で市長の意味)と呼ばれ囚人達を支配していくことになる。1万数千人の受刑者に対し刑務官は数百人しかいないのも秩序が保たれない要因の一つと思われる。ある意味において警察が一般市民を助けてくれる国は日本位しか存在しないのではと思う。ただ、この様なプリズン・ギャングの頂点(コマンダーと呼ばれる。)に上り詰めた実在の日本人(19年間服役)もいたのである。男の名は大沢 努氏である。もう一人伝説の日本人と言えば、1994年に日本でもニュースになった鈴木英司氏であろう。彼はフィリピン中部のネグロス島のバコロド空港で知人の女性から渡された土産物の中に大麻1.5キロが入っていたことが発覚(殆どの場合警察官もグルである。)し逮捕され死刑判決を受けた日本人最初の死刑囚である。後に終身刑、最後には恩赦で釈放されるが、事実は分からないが、おそらく冤罪で16年間収監されていた日本人である。因みに刑務所慰問のボランティア女性と獄中結婚をしている。先に述べた面会人も同じ様な手口で逮捕されたという。私も最初は色々なトラブルを経験しているが麻薬、覚醒剤等で嵌められたら最悪である。「知らなかった」は通用しないのである。何故なら麻薬の運び屋は誰もがいう言葉であるからで、どんなに親しい友人、愛人、いや奥さん(これは言い過ぎかもしれないが彼女自身が騙されていることも想定すべきである。)でも信用しない位の認識が必要である。また、犯罪に巻き込まれた時、現地の日本大使館は先にも述べた様にこの手の事件で逮捕された人は全ての逮捕者が「知らなかった」と言うので無実と言われるのであれば弁護士を雇って争って下さい。で終わるケースが殆どであるので海外(特に貧困国や東南アジア)に渡航する場合は自分自身が嵌められない様に情報や対策を普段から身につけて措くべきである。また、フィリピンの刑務所は懲役(労働作業等)はなく隔離されるだけであり刑務所内ではあらゆる生活費(中にはギャングの上納金から看守のワイロをも含む)が必要とされる。唯一配給されるのは食事くらいで、足りない分は刑務所内(日本の刑務所のイメージではなく映画にでてくる様な収容所の雰囲気でそこいらで肉、魚、野菜が売られ、中には散髪屋や靴磨きで収入を得ている者もいる。)のコンビニ(公営というか実は所長クラスが経営する「PX」、私営は「ティンダハン」という。)で買う事になる。紹介された医師にはこの様な説明と心構えを伝えた。医師は面会に行って知人と会うよりもこの刑務所に行く事の方が興味が湧いてきました。と言っておられた。因みにこの方は渡比する事自体が初めてらしい。なかなか胆の座った医師である。






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