娘殺害された母親2人「真相聞く機会必要」加害者と対面
犯罪で娘を失った宮城県内の2人の母親がこの夏、山形市の
山形刑務所でそれぞれの加害者の男と対面した。
民事裁判などで2人が示してきた意向に刑務所側が配慮したと
みられる。
9日に対面を果たした2人は「被害者遺族として加害者と会う
機会は必要」とあらためて感じたという。
2人は仙台市青葉区の関本圭子さん(47歳)と
宮城県柴田町の曵地豊子さん(51歳)。
関本さんは2004年、娘のかほりさん当時(18歳)
を交際相手による殺害事件で亡くした。
曵地さんは2000年、集団暴行死事件で里美さん当時(20歳)を失った。
2人は04年、みやぎ被害者支援センターの自助グループで知り合い
「事件の真相を知る加害者と会って話したい」と訴えてきた。
対面が実現したのは、関本さんが加害者と手紙をやりとりしたのがきっかけ。
曵地さんは関本さんに付き添うとともに、山形刑務所に収容されている里美さん
事件の加害者の一人に、亡き夫正美さんと2人で出版した本を渡そうと訪れた。
曵地さんは当初、面会予定はなかったが、関本さんに促されて申請したところ、認められ、対面が実現した。
面会が認められる対象は「被害者は含まれない」(仙台矯正管区)のが原則。
ただ、刑務所長の裁量で面会が認められることもあるという。
刑務所に拒まれることも覚悟していた2人は面会後、「会えて良かった」と口をそろえた。
◎関本さん/更生の意思感じ取る
関本さんは、かほりさんを殺害した男(25歳)と面会室で対面した。
「大変なことをしてしまい、申し訳ありませんでした」。
頭を下げた男にイスに座るように促し、約30分間にわたって話した。
男は仙台地裁での刑事裁判では終始無言だった。関本さんが06年12月、
仙台地裁に起こした損害賠償訴訟では、対面の機会がないまま、地裁は
今年6月、男に5,900万円の賠償を命じた。
「なぜ娘を殺したのか」。
関本さんが聞きたかった動機に対し、
男は「シンナーを吸って頭がおかしくなっていた」と答えた。
関本さんは、かほりさんの葬儀の様子も伝えた。
「事件が公になって肩身の狭い思いをした。
(葬儀は)隠れるように執り行わざるを得なかった」。
男は泣きながら聞いていた。
「顔を向けようともしなかった公判時と違い、わたしの目を見て自分の言葉で語ってくれた」と、面会の様子について話す関本さん。
更生しようという気持ちを感じ取り、最後には「頑張って」と声を掛けた。
男が語った動機について納得はできなかった。
それでも関本さんは「会って話をしないと互いの気持ちが伝わらない。
やっと気持ちが楽になった。また話をしに行くつもり」と話した。
◎曵地さん/あふれる涙残る疑念
「初めまして。会ってくれてありがとう」。曵地さんは面会室
に入ってきた作業着姿の男(26歳)に、思わずこんな言葉を掛けていた。
男は加害者男女計8人のうちの一人で、里美さんとは面識がなかったのに暴行に加わり、懲役10年の刑で服役中。
曵地さんにとって、05年に夫と主犯格の男女2人と会って以来、3人目の加害者との対面となった。
男は落ち着いた様子で話に応じた。「突然の面会を受けるかどうか迷った」
「曵地さんから手紙の返信がなく、次の手紙を出せずにいた」と語り、里美さんと会った時の印象も話した。
遺族の思いをつづった本「再会の日々」(本の森)について尋ねると、
「(本が出されたことは)知らなかった。読みたい」と答えたという。
曵地さんは里美さんの写真をズボンにしのばせていた。
話していて涙があふれ出し、面会時間の30分たたずに自ら席を立った。
「裁判の時は悪人に見えたが、今は小さくやせていて、別人のようだった」
と曵地さん。すべてを聞けたわけではなく、男は正直に話したと思う半面、
その場しのぎでないかと疑う自分もいた。
持っていった本も結局、「内容をきちんと受け止めてくれるかどうか」と
不安がよぎり渡せなかった。それでも、曵地さんは言い切る。
「加害者の更生を知るためにも会う意義がある。話ができて良かった」
[関本かほりさん殺害事件]2004年6月21日未明、仙台市青葉区のホテルで、
交際していた男がかほりさんの首を絞め、顔を洗い場にためた湯に浸すなど
して殺害した。
男は殺人罪で懲役10年が確定した。
[集団暴行死事件]2000年12月19~24日、当時18歳から25歳の男女8人が、
曵地里美さんを仙台市青葉区の暴力団事務所などに監禁、木刀やフライパン
で殴るなどして死なせ、遺体を青葉区の山林で焼いた。
8人は傷害致死罪などで,7人が最高懲役12年,1人が少年院送致となった。
2007年08月16日木曜日
----------------------------------------------------------------
自分には息子と娘がいる。
どちらも年頃だ。
娘が殺され仮に犯人が刑に服されたとしても、きっと許せないだろう。
「犯人を殺してやりたい。」
反対に息子が罪を犯し女性を殺すことがあった場合、どうだろう?
想像できない自分が居る。
自分の息子は痩せてヘナヘナでオタクで、とてもそんな事が・・・・。
きっと犯罪者の親もおなじだろうとおもう。
刑務所のあり方も時代と共に変わるんだな~と記事から推察された。
所長さんえらいよ、良く許可出したね。
いっそのこと、日本製品の海外輸出のネックは人件費なのだから
刑務所で民間製品の製作委託を受け、安い賃金で働かせてはどうだろう。
その中では男女も一緒に働き、恋愛をし、上司がいて部下がいて社会
体験を刑務所内でする。
売上げや給与の一部を被害者に送付し、返済額がそのまま刑期と連動
する。
刑務官は社長の立場に立ち民間の仕事を受注する。
定かではないが、封筒貼りや箪笥作りなどを行って民間に売っている
という話を聞くが、折角ならもっと積極的にトヨタや日産の下請け工
場を造るとか、したらいいのでは?とおもう。
人が犯罪者になる要因の一部に秘匿性があると思う。
テレビで連行される犯人は、顔を隠して貰いその後の流れが見えない。
犯罪者のレッテルを貼られることに恐れはない。むしろ「ハクが付く」
ぐらいに思っている輩もいる。
犯罪に対する償いとは、せいぜい自由を奪われるぐらいで苦痛の想像が
欠落している。
江戸時代は公開処刑で磔獄門、さらし首などの刑を民衆に見せつけて
いた。刑務所内をもっとオープンにし、小学校や中学校の社会科見学の
コースに含んでも良いんじゃないかと思う。
少年院もしかり、犯罪者はこうなるんだという教育も必要では無かろうか?
民衆に晒される償いもあるべきだとおもう。
人の感情でなかなか消えないのは屈辱感だというもんね。
犯罪で娘を失った宮城県内の2人の母親がこの夏、山形市の
山形刑務所でそれぞれの加害者の男と対面した。
民事裁判などで2人が示してきた意向に刑務所側が配慮したと
みられる。
9日に対面を果たした2人は「被害者遺族として加害者と会う
機会は必要」とあらためて感じたという。
2人は仙台市青葉区の関本圭子さん(47歳)と
宮城県柴田町の曵地豊子さん(51歳)。
関本さんは2004年、娘のかほりさん当時(18歳)
を交際相手による殺害事件で亡くした。
曵地さんは2000年、集団暴行死事件で里美さん当時(20歳)を失った。
2人は04年、みやぎ被害者支援センターの自助グループで知り合い
「事件の真相を知る加害者と会って話したい」と訴えてきた。
対面が実現したのは、関本さんが加害者と手紙をやりとりしたのがきっかけ。
曵地さんは関本さんに付き添うとともに、山形刑務所に収容されている里美さん
事件の加害者の一人に、亡き夫正美さんと2人で出版した本を渡そうと訪れた。
曵地さんは当初、面会予定はなかったが、関本さんに促されて申請したところ、認められ、対面が実現した。
面会が認められる対象は「被害者は含まれない」(仙台矯正管区)のが原則。
ただ、刑務所長の裁量で面会が認められることもあるという。
刑務所に拒まれることも覚悟していた2人は面会後、「会えて良かった」と口をそろえた。
◎関本さん/更生の意思感じ取る
関本さんは、かほりさんを殺害した男(25歳)と面会室で対面した。
「大変なことをしてしまい、申し訳ありませんでした」。
頭を下げた男にイスに座るように促し、約30分間にわたって話した。
男は仙台地裁での刑事裁判では終始無言だった。関本さんが06年12月、
仙台地裁に起こした損害賠償訴訟では、対面の機会がないまま、地裁は
今年6月、男に5,900万円の賠償を命じた。
「なぜ娘を殺したのか」。
関本さんが聞きたかった動機に対し、
男は「シンナーを吸って頭がおかしくなっていた」と答えた。
関本さんは、かほりさんの葬儀の様子も伝えた。
「事件が公になって肩身の狭い思いをした。
(葬儀は)隠れるように執り行わざるを得なかった」。
男は泣きながら聞いていた。
「顔を向けようともしなかった公判時と違い、わたしの目を見て自分の言葉で語ってくれた」と、面会の様子について話す関本さん。
更生しようという気持ちを感じ取り、最後には「頑張って」と声を掛けた。
男が語った動機について納得はできなかった。
それでも関本さんは「会って話をしないと互いの気持ちが伝わらない。
やっと気持ちが楽になった。また話をしに行くつもり」と話した。
◎曵地さん/あふれる涙残る疑念
「初めまして。会ってくれてありがとう」。曵地さんは面会室
に入ってきた作業着姿の男(26歳)に、思わずこんな言葉を掛けていた。
男は加害者男女計8人のうちの一人で、里美さんとは面識がなかったのに暴行に加わり、懲役10年の刑で服役中。
曵地さんにとって、05年に夫と主犯格の男女2人と会って以来、3人目の加害者との対面となった。
男は落ち着いた様子で話に応じた。「突然の面会を受けるかどうか迷った」
「曵地さんから手紙の返信がなく、次の手紙を出せずにいた」と語り、里美さんと会った時の印象も話した。
遺族の思いをつづった本「再会の日々」(本の森)について尋ねると、
「(本が出されたことは)知らなかった。読みたい」と答えたという。
曵地さんは里美さんの写真をズボンにしのばせていた。
話していて涙があふれ出し、面会時間の30分たたずに自ら席を立った。
「裁判の時は悪人に見えたが、今は小さくやせていて、別人のようだった」
と曵地さん。すべてを聞けたわけではなく、男は正直に話したと思う半面、
その場しのぎでないかと疑う自分もいた。
持っていった本も結局、「内容をきちんと受け止めてくれるかどうか」と
不安がよぎり渡せなかった。それでも、曵地さんは言い切る。
「加害者の更生を知るためにも会う意義がある。話ができて良かった」
[関本かほりさん殺害事件]2004年6月21日未明、仙台市青葉区のホテルで、
交際していた男がかほりさんの首を絞め、顔を洗い場にためた湯に浸すなど
して殺害した。
男は殺人罪で懲役10年が確定した。
[集団暴行死事件]2000年12月19~24日、当時18歳から25歳の男女8人が、
曵地里美さんを仙台市青葉区の暴力団事務所などに監禁、木刀やフライパン
で殴るなどして死なせ、遺体を青葉区の山林で焼いた。
8人は傷害致死罪などで,7人が最高懲役12年,1人が少年院送致となった。
2007年08月16日木曜日
----------------------------------------------------------------
自分には息子と娘がいる。
どちらも年頃だ。
娘が殺され仮に犯人が刑に服されたとしても、きっと許せないだろう。
「犯人を殺してやりたい。」
反対に息子が罪を犯し女性を殺すことがあった場合、どうだろう?
想像できない自分が居る。
自分の息子は痩せてヘナヘナでオタクで、とてもそんな事が・・・・。
きっと犯罪者の親もおなじだろうとおもう。
刑務所のあり方も時代と共に変わるんだな~と記事から推察された。
所長さんえらいよ、良く許可出したね。
いっそのこと、日本製品の海外輸出のネックは人件費なのだから
刑務所で民間製品の製作委託を受け、安い賃金で働かせてはどうだろう。
その中では男女も一緒に働き、恋愛をし、上司がいて部下がいて社会
体験を刑務所内でする。
売上げや給与の一部を被害者に送付し、返済額がそのまま刑期と連動
する。
刑務官は社長の立場に立ち民間の仕事を受注する。
定かではないが、封筒貼りや箪笥作りなどを行って民間に売っている
という話を聞くが、折角ならもっと積極的にトヨタや日産の下請け工
場を造るとか、したらいいのでは?とおもう。
人が犯罪者になる要因の一部に秘匿性があると思う。
テレビで連行される犯人は、顔を隠して貰いその後の流れが見えない。
犯罪者のレッテルを貼られることに恐れはない。むしろ「ハクが付く」
ぐらいに思っている輩もいる。
犯罪に対する償いとは、せいぜい自由を奪われるぐらいで苦痛の想像が
欠落している。
江戸時代は公開処刑で磔獄門、さらし首などの刑を民衆に見せつけて
いた。刑務所内をもっとオープンにし、小学校や中学校の社会科見学の
コースに含んでも良いんじゃないかと思う。
少年院もしかり、犯罪者はこうなるんだという教育も必要では無かろうか?
民衆に晒される償いもあるべきだとおもう。
人の感情でなかなか消えないのは屈辱感だというもんね。
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