A.N.A.L. Co., Ltd. Executive Office of the President

“ 嵐が吹き消した 恵みのろうそくを 再び取り上げ、それに新しい明かりを灯さなければならぬ。” 教皇ヨハネ二十三世

file.no-104 『 アリス・イン・ワンダーランド 』

2011-01-22 14:18:09 | 映画
『アーリース、教えて~。ふしぎな国へ~、行く道はど~こ~に~♪』

…の歌い出し(日本語吹き替え版)で始まる、ネズミー・アニメーション映画『ふしぎの国のアリス』。
私は、この映画がトラウマです。
いや、内容などは、とてもお気に入りです。なぜ、トラウマか?
それは、高校時代、私は合唱部の掛けもちしており、主題歌『Alice In Wonderland』を四部合唱で歌った黒歴史があるから。
しかも、部員がいないから、実質各々がソリストみたいな感じで…それで、トラウマ。
ネズミーは、「原作を改変しまくる」と、批判されもしますが、私は、それはそれでもいいとは思います。
改変する事で、観客が「感動する」 のなら。
私の場合は、『眠れる森の美女』などは、観ていて「イライラします」 けれど。
自身は原作を改変したり、パクリ、唖然の著作剣更新を平気で行うのに、他者にはそれを一切許さぬ、過剰なまでに自己中。
まさに、ネズミー無双! それが、問題です。

…脱線しましたが、今回のレヴューは、ネズミー制作の映画、

『アリス・イン・ワンダーランド』
 原題:Alice in Wonderland 2010年3月全米公開 4月日本公開 DVD・BD発売中
 配給:ネズミー 画像:movie, Alice in Wondeland より転載


ジョニー・デップ(『パイレーツ』シリーズ)や、
アン・ハザウェイ(『プラダを着た悪魔』)、
ヘレナ・ボナム=カーター(『英国王のスピーチ』)
…といった、名優を豪華に配したのに、なぜか失敗した迷作。
いや、興行収入は、大したものです。 公開当時、日本だけでも1億ドル超えましたし。
ただ、興行収入だけで、映画の評価は決まらない。
世代を超え、観続けられる映画かどうか。 興行は、マーケティングの成果であって、それ以上ではない。
というか、なぜボナム=カーターを「デカヘッド」にしたのか。アレをサイトで観た瞬間、映画館に行くの止めました。

いや、面白いんですよ?
CGのチェシャ猫やアブソレム。常識が破壊され、気が狂うような不思議の国の描写。
まさに、『わんだーらんどぅ』
問題なのは、なぜ、あの導入部から不思議の国、恐怖に支配された世界、そしてあの戦闘のオチをつけ、中国貿易ルートへのエンディングに至ったか。
それに、作中のキャラたちが、謎。

 ****

映画自体は、アニメ映画版での物語を、『あったもの』と踏まえて展開の様子。
赤の女王と白の女王の権力争い。
それ自体は、アイロニックでいいのですが、赤女王に「愛されるより…」と呟かせたりしたのには、スタッフとの温度差を感じました。

ワンダーランドの世界と、人物は、「狂ってる」 というほどに「人間性を感じさせない」 ことが味だと思います。
「首をはねよっ!」 「朝の処刑は、格別ねぇ」
「ブベエッ!!」(縮み薬を作るということで、ツバを口から吐き出す)
こんな台詞を平気で吐かせたり、行為をさせて、違和感を感じさせないのが、作中の世界とキャラ。

原作二篇も、子どもの頃読みましたが、「面白いけれども、真面目に読むものじゃない」 というのが感想。

現実世界から、アリスが「帰ってきて」、ワンダーランドで事件に巻き込まれるのは、いい。
ただ、およそ、現実とは縁遠いキャラや世界観がモリモリの、この世界で、
『赤の女王による、恐怖政治』やら、
『アリスが、預言に謳われる戦士』、
…というのは、ミスマッチもいいとこ。 ネズミー版『アリス』シリーズからは、おおきく乖離しているのでは。
もし、今作のシナリオをベースで映画にするのなら、『アリス』よりは、『ピーター・パン』のほうが、まだマシだったかなと。

いっそ、ジャバウォックを凶暴化させて、ワンダランドが崩壊の危機にある。
それを救うのがアリスで、マッド・ハッターや赤の女王と白の女王が、悪意はないけれど、悪意的に絡むほうがよかったのではと。
「私に手伝わせないなら、首をはねるよっ!!」 とか叫ばせたり。

あの映画に、あんな豪華キャスト、必要だったのか。
「演技」いらないじゃないか、と。
第68回ゴールデン・グローブ賞が、1月16日発表されましたが、もちろんノミネートされただけ。
この映画で「男優賞」や「作品賞」を狙うのは、厚かましいでしょう。

 ****

…とここまで書くと、映画がつまらなかったのかとお思いでしょうが。
そうでもない。 だから、レヴュったんです。

作中の、アブソレムの台詞や赤の女王の行動も、心に響くものがある。
しかし、『ワンダーランド』の設定で、これをされても、
「何言ってんだ、こいつら」
そんな、口が開いちゃう受け取り方しかできない。
ヴィクトリア朝社会の女性観を取り上げていたのに、あのオチの付け方だと、「批判したい」のか、「アウトロー肯定」してるのか、受け取り方に苦しむ。

もし、赤の女王を「愛されたいと願っている」キャラにしたいのなら、別の方向があったのでは。
ランドのクラウンを、姉である自分でなく、妹が継承した。
「デカヘッド」というコンプレックスのために、滑稽と知りつつも、同じように「部位異常」のある者を、廷臣として傍に置きたがった。
ハートのジャックには、彼女は、心の中で愛を抱いていた。
彼女は、困ったヒトだが、愛すべきキャラ。 現実に、王侯貴族にいそうなタイプ。
それを、ハッターが囃したてるシーンがありましたが、あの瞬間は「首をはねよ!」と思いました。
そして、戦闘後の、ハートのジャックの、あのオチ。 救われません。

チェシャ猫が、マッド・ハッターを処刑台から助けて、「チェシャやるぅ☆」と思っても。
その後の、ハッターの行動と「デカヘッドを○○」云々が、ちぐはぐすぎると…。
予算を、俳優やCGに廻し過ぎて、肝心の「お話自体」に不足したんじゃないのか。
美味しそうな伏線があったようなのに、勿体ない。
    

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 天使の囁き、悪魔の雄叫び。3 | TOP | 天使の囁き、悪魔の雄叫び。... »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 映画