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“ 嵐が吹き消した 恵みのろうそくを 再び取り上げ、それに新しい明かりを灯さなければならぬ。” 教皇ヨハネ二十三世

file.no-19+α 『 ICO 霧の城 』

2005-04-28 01:43:52 | 書籍
さぁ、今宵は、以前にも書きました『 ICO 』レヴューを仕上げます。
宮部さん作『 ICO 』小説版の簡単なところと、"失われたレヴュー"(笑)については、以前のfile.no-19を見ていただくとして、今回はもう少しだけ深くツッコミます。
( この画像は、『 ICO 』のファンの方が運営されているサイト『 常温解凍 』から、管理人さんのご厚意で転載させていただいたものです。石の腰掛に座ってうたた寝している少年イコと少女ヨルダのイラストです)

『 ICO 霧の城 』
 宮部みゆき:著 講談社 2004年

先ずは、あらすじです。
物語は、"いつだかわからない時代の、どこだかわからない場所でのお話"として始まります。
 数十年に一度、トクサの村では、頭に「角」を持つ子供が生まれてくる。
 それは、「生贄」の証。
 角を持つ子は、「霧の城」へ生贄として捧げられるのが村のしきたりだった・・・。
 少年イコもまた、角を持つ生贄の子だった。
 霧の城へ捧げられる日の朝、村長は護りの紋様を織り込んだ「御印」と呼ばれる織布をイコに与える。
 「"霧の城"に何があるのか、その目で見て、その耳で確かめておいで。おまえならばできる。必ずできる」

 帝都の神官や神兵に連れられ、イコは霧の城へ向かう。
 城は大きく、生きた者の気配はなく、冷たい静寂に包まれていた。まるで時が止まっているかのように・・・。
 イコは、城の祭壇の石棺に入れられ、そのまま「喰われる」はずだったが、御印の加護で石棺から出ることができた。
 城から外に出るため、城内を探索するイコ。
 彼は、鉄の鳥籠に閉じ込められていた少女と出会う。
 イコは彼女の手を取って、一緒に行こうとする。
 「さ、行こう」

 少女は鳥籠から出た途端、黒い影たちに襲われる。
 影たちは、少女を鳥籠に戻そうというのか・・・なぜ?
 イコは少女に触れるたび、城の過去の姿を垣間見る・・・なぜ?

 やがて、イコは少女の名前が"ヨルダ"だということを知る。
 ヨルダが、なぜ鳥籠の中に居たのかも。かつて、この城で何があったのかも。なぜ、角持つ子らが生贄として捧げられねばならないのかも。

 イコは、運命に抗おうとする。
 ヨルダも、いつしか、凍っていた時間を動かそうとし始めた。
 しかし、霧の城の主と、その虜囚である影たちは、二人の行為を許そうとはしなかった・・・。

小説のよいところは、物語の細かなところまで言葉を使って、理解しやすく明確にできるところです。伝えたいメッセージ、人物の描写、設定・・・。これらは、ゲーム版ICOではきわめて曖昧にされていたそうです。なぜ、角持つ異形の子がイコの村に生まれてくるのか。イコを城まで連れて行った覆面男は何者なのか。霧の城の城主は、いったい何者だったのか。少女ヨルダは、なぜ、影を前にして彼らに身を任せようとするかのように立ち尽くしていたのか・・・など。
宮部さんの解釈ではあれ、すべてのものが、その理由がわかるように書かれています。
順を追って語られる物語は、理解しやすい反面、あらかじめ展開を知っている者にとっては、自分の理解とは食い違っている部分が不快に思うことがあるかもしれません。
「ここは、そうじゃないんだよ。ここは、こうなんだよ」とでも言う具合に。
宮部版ICOは、ゲーム版ICOとは違い、かなり細部の説明までがなされており、ゲームファンからは賛否両論があるそうです。その理由は、こんなところから来ているのかも知れません。

私は、第三章"ヨルダ 時の娘"の半ばあたりまでは、とても興味深く、また楽しんで読みました。
第三章は、霧の城で過去に一体何があったのかについて語られる大事な部分です。ヨルダや城の主についても語られます・・・が、このあたりで妙な具合に話が大きくなります。
それまでは、物語の世界は、どこかの地方の国と城と村を領域としていたのですが、城の主が実は闇の魔神の申し子であり、世界に破滅を導く魔女だった・・・そういう話になって、正直、面食らいました。
その後は、「神聖帝国」やら、「太陽神」やら登場してきて、スケールがとてつもなく拡大しました。城の主は倒されなければならない悪であり、イコのやらねばならないことが主を滅することになってしまったのが残念でした。
私は、もとカトリックですが、いわゆる悪魔と呼ばれる存在ともできれば共存すべきだと考える人間ですので、あのあたりは読んでいて渋かったのを覚えています。

あ、さて。
結果的に、この本はいわゆる良書だったのか。答はイエスでしょう。
人の営み、想い、善の心、不屈の心、愛、絶望・・・酸いも甘いもすべての要素が入っており、読んでいて胸震わせられる本なのですから。
では、これは原作:ゲーム版ICOの味を活かしきった本だったのか。答は、必ずしもイエスではないでしょう。それどころか、ノンであるとも言えます。
途中に宮部さん解釈を差し挟んだとは言え、霧の城の主を世界の破壊者にして、イコを生還すべき人としたのですから。ゲーム版のファンから、拒否されるのも仕方のないことでしょう。
では、究極的に、この本は読んでつまらないのか。答は、これこそノン!です。
大人にも読めるファンタジーを追求したJ.R.R.トールキン教授や、M.エンデ氏のような、深みのある物語です。私は、この本を初めて読んだ時、夜の午後8時から、翌日朝の午前6時まで、徹夜で読破したものです。
眠るのを忘れさせてくれるほど、頁を閉じるのが惜しくなるほどの本というのは、なかなか無いものなのですから。
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