Flour of Life

煩悩のおもむくままな日々を、だらだらと綴っております。

「平清盛」第49話。

2012-12-17 00:31:54 | 大河ドラマ「平清盛」


大河ドラマ「平清盛」の第49話を見ました。サブタイトルは「双六が終わるとき」。
現代日本で新たな双六あそびが始まった日にこのサブタイとは、皮肉なものです。

詳しいあらすじはこちらでどうぞ。今週は放送終了後の選挙速報を意識してるのか、割と淡々とした展開でした。

全国各地で平家に対する謀反が勃発するわ、重衡が東大寺を全焼するわで四面楚歌状態の平家。
そのうえ、清盛にとって最後の頼みの綱だった高倉上皇も、病の末に亡くなってしまいました。
平家に、清盛にいいように利用された体の高倉上皇でしたが、徳子との仲睦まじさに偽りはなかったようで、
徳子は上皇亡き後後白河法皇(以下ゴッシー)の後宮に入れという清盛の命をはねつけました。
徳子にとっての「光る君」は上皇ただ一人だと。まあ、確かにあの高倉上皇とゴッシーではあまりにタイプが
違いすぎますもんねぇ。1ミリもかすってないというか。

しかし、「源氏物語」は時子の持ちネタだったのに、しっかり娘の徳子に受け継がれてたんですね。心から愛する人に、
最後まで添い遂げるところも。このドラマでは地味で目立たない存在だった(※個人の感想です)徳子ですが、
母親譲りの強さと一途さを持っていました。

しかし、上皇の父親であるゴッシーは、愛する滋子の忘れ形見が世を去ったというのに、

「お前の天下は終わったよーん♪幽閉されたのも実はわざとだよーん♪」

と、ドヤ顔で清盛にサイコロをぶつけました。ゴッシーによれば、平家の凋落は自分が描いたシナリオなんだそう。
そんなの初耳だよ!とショックを隠せない清盛ですが、テレビを見ている私もほぼ初耳なので大丈夫。
このへんはもうちょっと描写が欲しかったですね。お得意の伏線を貼るとかなんとか。

さて、終わりが近づいてきた頃から、ちょくちょく出番が増えてきた西行が、今週も登場。高倉上皇を偲ぶ歌会で
戦でおびただしい命が奪われ続けている、ここ最近の世を憂う歌を詠んでました。ちなみにこの歌会には
かの有名な藤原俊成もいました。セリフもなくテロップで名前がちろっと出るだけでしたが、どうせその場にいるなら
俊成にも歌を披露させるチャンスを与えてほしかったです。

歌会のついでに、西行は堀河局とも再会。西行も言ってましたが、まだ生きてたんですねーこの人。びっくり。
もともとおどろおどろしかったビジュアルが、年を取ったことでさらに強化されて人間離れしてました。
聖子ちゃんに呼吸法を習わなかったのね。

「優雅に恋の歌を詠み合う平安の世はもうすぐ終わる」

寂しくつぶやく堀河局を、

「それなら今を楽しもうぜ」

と、気軽にナンパする西行。リア充すぎます。この話には清盛も呆れてましたが、本人は

「夜通し歌合せしただけ~♪」

とうそぶいてました。まあ、歳が歳だからほんとにそうかもしれないけど…怪しい。

しかし西行さん、出家してしがらみがないせいかフットワークが超軽くて(もとは武芸に秀でた武士だから、体力も
あるんでしょうなぁ)、なぜか鎌倉にいる頼朝の近況も見てきたように詳しくご存知でした。便利な奴じゃのぉ。
西行の話によれば、頼朝は鎌倉に武士の都を作ろうとしてるとのこと。それはかつて清盛が目指そうとしたのと
同じこと(…なのか?)。自分にできなかったことを同じ武士である頼朝が成そうとしていることを知り、清盛は
何かがふっきれたようです。多分。

でもまあ、その頼朝が築こうとした「武士の都」の中央にある鶴岡八幡宮で、頼朝の息子の実朝は(以下略)。
海人の小舟の綱手かなしも、世の中はいつまでも変わらずにはいられないものですね。

自分が目指した「武士の世」を、頼朝が引き継ごうとしていることを知った清盛は、ゴッシーのもとへ。
何か話すのかと思いきや、「勝ったほうがひとつだけなんでも望みをかなえてもらえる」双六あそびを始めました。
そしてそこからは“メモリー・オブ・ゴッシー&キヨモリ”のめくるめく回想タイム。
「王家の犬!」と蔑むゴッシーをにやりと笑ってかわす清盛、病の床で死線をさまよっていた清盛のもとに
涙目で乗り込んできたゴッシー、清盛は自分とゴッシーの事を「つかずはなれずの関係」と呼んでましたが、
この2人の場合はつくとか離れるとかそんなぬるい者じゃなくて、激しくぶつかっては大きく離れ、その反動で
また激しくぶつかり合う…という、アメリカンクラッカーのような関係だったんじゃないでしょうか。
そのせいで、2人の周りは常にあわただしかったですが。周りを巻き込みましたが。犠牲を払いましたが。

西行は堀河局と徹夜しましたが、清盛はゴッシーと徹夜しました。やってたのは双六ですが。
そして勝ったのは清盛。清盛の願いは「ゴッシーとの双六遊びをこれで最後にすること」でした。

武士はもう王家の犬ではない。王家がこの国の頂に立つ世はもう終わる。これからは武士の世。武士同士が覇権を争う世。

ゴッシーが反論することはありませんでした。結局、この双六遊びには勝者がいませんでした。

頼朝の都づくりに触発された清盛は、隠居じじいらしく縁側で愛刀を磨きながら次の作戦を練ります。傍らには盛国。
しかし、前向きに次の機会を狙っていた清盛には、もう時間がありませんでした…。

最後、伊豆の庵で珍しく熱心に経を読んでいる西行のところに、熱病でうなされているはずの清盛が飛んで来ていました。
シリアスに締めるのかと思いきやまさかのオカルトオチにずっこけましたが、どうやら最終回で西行はもう一度、
重要な役割を果たすようです。何故今頃になって?

次週予告では壇ノ浦の戦いの様子と弁慶の仁王立ちが流れてましたが、清盛の死と平家の滅亡、義経の最期をラスト1話で
納め切れるのか心配です。そんな無理せずに清盛の死後の話は特別編として放送してくれればいいのにね。


あ、あと書き忘れてましたが、梶原景時が源氏に下ったのは頼朝にフォーリンラブしたからだと思います。だってあの状況で
頼朝が「天下を取る器」には見えないもーん。絶対かわいいからクラッときたんだと思います。うん。


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