Flour of Life

煩悩のおもむくままな日々を、だらだらと綴っております。

松井今朝子「円朝の女」

2015-03-18 00:52:09 | 読書感想文(時代小説)


図書館で松井今朝子の「円朝の女」を借りて読みました。

円朝とは、幕末から明治にかけて、当代随一の名人と謳われた名落語家、三遊亭円朝のことです。といってもこの本は単なる落語家の伝記小説ではなく、東京がまだ江戸だったころ、月代をそり髷を結っていた若い頃から、世は明治と移りすべての価値観が変わり、大名人の円朝ですら失うものが多々あった晩年まで、円朝を愛し円朝に愛された5人の女について語っています。語り部は円朝の元弟子で後に五厘(マネージャーのようなもの)になった八つぁんです。八つぁんは円朝と女たちの物語を語るのに忙しくてあまり自分の話はしませんが、それでも彼の語り口から、彼が師匠の円朝を慕い、また身近にいたからこそ冷静に分析し、女たちのことを大切に覚えていることがわかります。そしてなによりその話しぶりのなめらかなこと!文字を目で追いながら、まるで名人の落語を聞いているかのように、言葉が頭の中で次々と再生されました。

5人の女たちの話は重なるところがあったりして、独立しているわけではないのですが、若い頃から晩年までそれぞれ円朝と女たちの関わり方が違うので、独立したまったく違う話のようにも思えます。時代の変化とともに、人の価値観や考え方も変わるもの。ましてや幕末から明治への大転換期ならなおさらです。それでも変わらないものがあるとしたら…。

「惜身の女」
まず1人目は、武家の娘の千尋。父親から「女にしておくには惜しい身だ」と嘆かれるほど才気煥発だった千尋。しかし幕末といえども世はまだ徳川の治世、武家の娘と芸人の男の恋など、実るはずがありません。しかし、動乱の時代に巻き込まれ運命を狂わされたからこそ、2人の人生はほんの一瞬だけ交わり、そしてまた離れていった…こう書くと切ない悲恋物語みたいですが、八つぁんのさらっとした語り口だと、そんなに湿っぽくは感じませんでした。
円朝と千尋は、絵草子の男女のように結ばれてめでたしめでたしとはなりませんでしたが、普通とは違う絆のようなものがあって、「そういうつながり方もあるんだなぁ」と、興味深かったです。

「玄人の女」
武家のお姫様の次は、吉原の花魁、長門太夫です。八つぁんによれば、徳川の時代の吉原と明治になってからの吉原には雲泥の差があって、徳川の時代の吉原はそれはそれはもう桃源郷のようなというかざっくりいうと男のロマンのワンダーランドだったみたいです。なんかあまりにも当時の吉原やそこに暮らす花魁たちを良いものとして持ち上げるので、一応性別が女の私としてはひっかかるものがありましたが、この時代を生きた男である八つぁんの目線なのだから、これが当時の男性の価値観として普通なのでしょうね。
長門太夫の場合、玄人の女とその上客の男という関係なので、惚れた惚れられたというよりも少し距離がありました。でもそれがこの章の最後の文でぐらりと揺れたのが予想外で驚きました。気が強い女が哀れに思えたとき、男は惚れるもんなんですかねぇ。勉強になります。

「すれ違う女」
3人目は、円朝の一人息子・朝太郎(後に廃嫡)を産んだ女、お里の話。お里もまた千尋と同じく武家の娘ですが、円朝の追っかけみたいなことをしていたそうで、千尋とはだいぶタイプが違います。円朝の追っかけから恋人に昇格し、子供まで産んだお里はかなり積極的な女性ですが、だからと言って円朝と夫婦になって幸せに暮らしました、で終わらないのが人の世の儚いところ。子供は生まれたものの、性格の不一致のせいなのか武士の時代が終わったせいなのか、2人の心はすれ違い、結局円朝はお里のもとを去り、他の女と所帯を持ち、お里は酒におぼれて身を持ち崩してしまいます。この転落ぶりを、傍で見つめていたのが八つぁんです。2人の間に生まれた朝太郎の不行跡のせいもあって、この章での八つぁんの語り口はあまり明るくないですが、それが単に厳しいのではなくお里にも朝太郎にも同情しているのがわかるので、切なく思えました。相思相愛だったはずの2人でも、ほんの少しの行き違いから、修復不可能なまでに破綻してしまうこともある…ふと、我が身を振り返ってしまいました。

「時をつくる女」
円朝の子供を産んだ女の次は、円朝の妻になった女、お幸の話です。柳橋の人気芸者だったお幸は、その豊富な人脈と花街で培った社交術で円朝を支えたいわゆる“あげまん”だったようですが、そんな彼女でも完璧な幸福は手に入れられなかった…というのがリアルでした。
面白かったのは、円朝が明治政府の要人たちの仮装パーティに参加したエピソード。歴史の教科書に載っている人たちの馬鹿騒ぎには人間味を感じるけれど、はてこんな催しが政治の世界で何かの役に立ったのかしらと、当時を振り返る八つぁんと一緒に首をかしげたくもなりました。実際のところ、どうだったんでしょうねぇ。
名人と謳われた円朝が、晩年住むところにも窮していたというのを知って、時代の変化をせちがらく感じましたが、それはそれとして「まあしょうがねぇや」で済ませてしまっているのは、あきらめが悪くて湿っぽい性格の私としては羨ましい限りです。

で、その円朝の最晩年はどうだったかというと…。

「円朝の娘」
最終章に出てくる円朝の娘は、お里との間に生まれた朝太郎しか子供がいなかった円朝の実の娘ではなく、さらにお幸の身内から引き取って養女にした2人の娘でもなく、円朝の父親の芸人仲間の娘、せっちゃんのことです。養女ではないせっちゃんは、父親が亡くなって円朝に引き取られた身なので、娘半分女中半分みたいな立場でしたが、それでも円朝を実の父親のように慕い、亡くなるまで付き添った孝行娘です。せっちゃんもまた、時代に翻弄されて辛い目に合うのですが、最後は幸せになったのでほっとしました。しかも意外な形で。
最後の章はそれまでの女たちの話よりも八つぁんの語りに熱が入ってましたが、それだけ日清戦争は、八つぁんの心に重くのしかかる辛い出来事だったということでしょう。その語り口があまりに真剣なので、100年以上も昔の戦争を語っているようには思えませんでした。いや、この重さ辛さは、時代に関係ないのかもしれません。戦争で傷つき、苦しめられるのはいつも弱い立場の人たち。貧しい男たちは武功を立てて出世しようと戦場で向かって命を落とし、残された女や子供たちは嘆き悲しむ。時代が変わっても価値観が変わっても、それだけは変わらない。


読みながら「これNHKの木曜時代劇とかでドラマ化できるんじゃないの」とちらっと思いましたが、まあテレビで放送するにはきわどい部分が多々あるので厳しいかもしれません。もしドラマ化するなら円朝の役は堺雅人にしてもらいたいけれど、来年の大河があるからそれもまた無理ですね。残念。



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