●演出
― 本当に才能のある役者が揃って、ちゃんと準備が出来ていて、しっかりリハーサルをしていたならば、予定もしていなかった事、狙ってもいなかった事が起こるかも知れない。それまで、刺激を加えて待つ。まだ駆出しだった頃は、妙な事が起こる度に「カット!」と声を張り上げていた。
●リハーサル
― 2週間。出来れば、3週間は欲しい。私は、空間的なものの考え方をする。だから、先へ進めて行く為には、直線的に1-2-3-4-5って遣り方ではなく、ポラロイド写真が浮かび上がって来るような、いっぺんに全体を見なければならない。
― リハーサルでは撮影台本にはない、ただ役者に記憶させる為だけのシーンを付け加える。よくやるのは、物語ではとっくにお互いが知り合っている場合でも、敢えて二人の人物が初めて出会うシーンを作るんだ。アーティストとしてシーンを演じる時には、記憶を共有しているだけで、お互い同士を深く理解し合う為の、心の銀行口座になるんだ。そして、即興やら、身体で覚えた僅かばかりの貯金やらを通して、リハーサル期間中全員を一緒に過ごさせ、演技のプレッシャー抜きの新しい関係を生み出すんだ。組織培養するのと同じだ。生命を使って、だけど計画に沿って成長し進化させてあげる。例えば、男優が女優を殴るシーンがあったら、女優の方がよけてしまったりする。即興だと男は殴り兼ねないからね。完全に機械的に処理してしまうにはデリケート過ぎる事なんだ。自分の衝動に従わなければならない。俳優と仕事するのは、凄く感覚的な仕事なんだ。
●映画界の全体主義
― 私が嫌いなのは、全ての映画は同じであらねばならない、とする全体主義だ。現在アメリカで最も有名な監督を10人並べて、クレジット・タイトルを取ってしまったら、どれが誰のものか区別が付かないだろう。だけど、イースト・ヴィレッジに行って、有名な画家を10人並べたら、どの2人を取っても全く似ていない筈だ。なぜ、我々の芸術形式だけが奴隷化されなければならないのか。これほど広い世界なのだから、少しくらいは変化とヴァリエーションがあっても良い筈だ。
●マスコミ
― マスコミは国の重荷だ。あれは道義や、倫理や、真実を求める力じゃない。駄法螺を撒き散らしているだけだ。所詮はマスコミも、ビジネスという事。連中は、何が経営の役に立って、何が役に立たないか、という事にとても敏感だ。それを、自分たちが公器だって振りをしたがる。大抵の場合、ジャーナリストは最初からストーリーを作っているし、写真家も絵を作っているし、彼らと会うのは、そのストーリーに嵌め込まれるだけの事だ。
●若者へのアドバイス
― 霊感に恵まれた人間と、努力を欠かさない人間とでは、最後に深遠な芸術を生み出せるのは、努力の人の方だと思う。とんでもない大根役者が5年後、「おや、何が起こったんだ!?」と驚嘆するような、芸術の、そんなところが気に入ったんだ。努力と想像力を充分に活用しさえすれば、才能は実現できると考えている。 (『INNER VIEWS 映画作家は語る』デヴィッド・ブレスキン=著、柳下毅一郎=訳/大栄出版より)
― 本当に才能のある役者が揃って、ちゃんと準備が出来ていて、しっかりリハーサルをしていたならば、予定もしていなかった事、狙ってもいなかった事が起こるかも知れない。それまで、刺激を加えて待つ。まだ駆出しだった頃は、妙な事が起こる度に「カット!」と声を張り上げていた。
●リハーサル
― 2週間。出来れば、3週間は欲しい。私は、空間的なものの考え方をする。だから、先へ進めて行く為には、直線的に1-2-3-4-5って遣り方ではなく、ポラロイド写真が浮かび上がって来るような、いっぺんに全体を見なければならない。
― リハーサルでは撮影台本にはない、ただ役者に記憶させる為だけのシーンを付け加える。よくやるのは、物語ではとっくにお互いが知り合っている場合でも、敢えて二人の人物が初めて出会うシーンを作るんだ。アーティストとしてシーンを演じる時には、記憶を共有しているだけで、お互い同士を深く理解し合う為の、心の銀行口座になるんだ。そして、即興やら、身体で覚えた僅かばかりの貯金やらを通して、リハーサル期間中全員を一緒に過ごさせ、演技のプレッシャー抜きの新しい関係を生み出すんだ。組織培養するのと同じだ。生命を使って、だけど計画に沿って成長し進化させてあげる。例えば、男優が女優を殴るシーンがあったら、女優の方がよけてしまったりする。即興だと男は殴り兼ねないからね。完全に機械的に処理してしまうにはデリケート過ぎる事なんだ。自分の衝動に従わなければならない。俳優と仕事するのは、凄く感覚的な仕事なんだ。
●映画界の全体主義
― 私が嫌いなのは、全ての映画は同じであらねばならない、とする全体主義だ。現在アメリカで最も有名な監督を10人並べて、クレジット・タイトルを取ってしまったら、どれが誰のものか区別が付かないだろう。だけど、イースト・ヴィレッジに行って、有名な画家を10人並べたら、どの2人を取っても全く似ていない筈だ。なぜ、我々の芸術形式だけが奴隷化されなければならないのか。これほど広い世界なのだから、少しくらいは変化とヴァリエーションがあっても良い筈だ。
●マスコミ
― マスコミは国の重荷だ。あれは道義や、倫理や、真実を求める力じゃない。駄法螺を撒き散らしているだけだ。所詮はマスコミも、ビジネスという事。連中は、何が経営の役に立って、何が役に立たないか、という事にとても敏感だ。それを、自分たちが公器だって振りをしたがる。大抵の場合、ジャーナリストは最初からストーリーを作っているし、写真家も絵を作っているし、彼らと会うのは、そのストーリーに嵌め込まれるだけの事だ。
●若者へのアドバイス
― 霊感に恵まれた人間と、努力を欠かさない人間とでは、最後に深遠な芸術を生み出せるのは、努力の人の方だと思う。とんでもない大根役者が5年後、「おや、何が起こったんだ!?」と驚嘆するような、芸術の、そんなところが気に入ったんだ。努力と想像力を充分に活用しさえすれば、才能は実現できると考えている。 (『INNER VIEWS 映画作家は語る』デヴィッド・ブレスキン=著、柳下毅一郎=訳/大栄出版より)
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