近代日本の経済発展の礎を築いた大実業家「五代友厚」(薩摩出身)の肝入りで、明治初期、奥永源寺地域で操業した「蓬谷(よもぎたに)鉱山」の絵図をはじめ、鈴鹿の山々に点在していた旧鉱山を紹介する展示(主催・鈴鹿旧鉱山の会)が、八日市図書館2階で5月25日(水)まで開かれている。
↑写真:滋賀報知新聞より
鈴鹿の山々には昭和30年代まで30以上の鉱山が操業し、代表的な鉱山の一つが東近江市政所町の「蓬谷鉱山」だった。
↑写真:Wikipediaより
五代友厚が1872年(明治5年)に権利を買い取り、1877年(明治10年)には300人以上が従事するほど活況を呈したが、間もなく鉱脈が細り、鉱石の生産量が減少、1884年(明治17年)に閉山した。
絵図は、東近江市内在住の男性の所有で、旧永源寺町の町史にも掲載されている。煙をたなびかせる精錬所など32の建物や作業場へと登ってゆく人々が描かれ、「滋賀県内の鉱山を描いた絵図はほかに聞いたことはなく、当時の活気を伝える貴重な史料」と郷土史家の中島伸男さんは話す。
制作年は「明治戌秋」(明治7年秋)とあり、五代の資本で新たに操業が始まった1年後。署名の「鴻夫」は鉱夫を意味するとみられるが、雅号の「琴沙鷹」と朱印については不明という。
この他にも、主な旧鉱山13カ所を写真や資料で紹介。事務跡の石垣や、欧米の技術で掘削した坑道跡、精錬カスなどが、往時をしのばせる。
東近江市立八日市図書館
東近江市八日市金屋2丁目6−25
<滋賀報知新聞より>