2019年11月16日(土)午前、「大城神社」を訪れた。この神社は中世の近江守護佐々木氏の庇護を受けていたとある。金堂地区の唯一の神社で大きく近江商人も寄進していたであろう。
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大城神社
所在地 東近江市五個荘金堂町66
■祭神
高皇産霊神 菅原道真公
〔配祀神〕伊邪那岐神 天兒屋根命 武内宿彌大神
■由緒
推古天皇の御代厩戸皇子当地に金堂寺を建立され其の護法鎮護の為字大城の地に社檀を造り勧請奉斎されたのを創りと伝える。嘉応2年現在地に社殿を改造し、天満天神・大梵天王・八幡大神を勧請して合祀し当庄の産土神と仰いだ。是より山前五箇庄を始め、山上村並に愛知郡高野村・長野村はじめ大門・川原・中村・沓掛村等から例祭に参仕し3月の初午から2の午迄の祭礼であった。近江の守護職佐々木氏の観音寺城よりは丑寅の位置に当ることより城郭守護神として特に崇敬され、殊に佐々木高頼は祭祀米を献ぜられ又陣太鼓を奉納された。永禄6年観音寺騒動の時兵火に罹り社殿記録等を消失せりと云う。延いて江戸時代に及び、此の地方は大和郡山藩の領となり、元禄6年当村に代官所を置かれてから例年正月15日藩公代参の儀があり、神楽を奏し、徹下の供物を贈るを例とした。亦例祭には奉行参拝して祭儀を警衛し以って明治に至る。天保2年3月祭神大梵天王を七里村に分祀する則ち五箇神社である。安政2年4月八幡宮を川並村・塚本村に分祀する。今の結神社・八幡神社である。例祭は4月20日とし五箇祭礼と称し郷中七ヶ村より神輿を奉じて参拝渡御を行う。本社表鳥居より御旅所に至る約2丁余を桜馬場と称し往時は両側に桜を植えた小堤があったが、万延元年曳山車を造るに及び此れを伐る。古くは大宮天神・天満宮等と称したが明治3年今の称に改める。同14年6月郷社に列する。
■本殿・境内建物
〔本殿〕三間社流造 間口二間三尺 奥行二間三尺
〔拝殿〕入母屋造 間口四間三尺 奥行三間三尺
■境内社(摂社・末社)
黄沙神社 日若宮神社 境外社 稲荷神社
付近の神社
八幡神社 徒歩 6分(422m)
大郡神社 徒歩 8分(594m)
八幡神社 徒歩 10分(779m)
結神社 徒歩 12分(912m)
五箇神社 徒歩 13分(972m)
三俣神社 徒歩 15分(1.1km)