”スローライフ滋賀” 

【東近江・寺社総巡り】第81回・河桁御河邊神社(東近江市神田町)

 
 8月25日(日)午前、東近江市神田町にある「河桁御河邊神社」を初めて訪れた。
「御河邊(みかべ)神社」の名で有名な神社で場所もよく知っていたがよくよく考えて見れば初めての訪問であった。
河桁御河邊神社」は由緒もあり、元御薗村の総社で立派なたたずまいの神社である。
 
****************************
河桁御河邊神社
所在地 東近江市神田町380(旧八日市市)
 
■祭神
天湯河桁命 瀬織津比咩神 稲倉魂命
■由緒
社蔵文書によれば、宣化天皇4年、当地の名族玉祖宿称磯戸彦連が勧請し、桓武天皇延暦3年2月初午日の神祭が、今日の例祭日となっている。天長2年には弘法大師が、17日間仁王盤若経を続誦された。延喜式の神名帳の川桁神社が当社と言われているは定かでないが、この時代から神田村を神領としたと伝えている。
惟喬親王の御子小椋兼賢王の崇敬厚く、社殿を造築をされたが承安3年に兵火の為焼失した。建暦2年に神殿、拝殿、神楽殿、楼門、鐘楼等が再建されたが、これも建武の年の兵乱で悉く焼失し、今の社殿は慶長15年に、田中河内守吉久によって再建され、棟札に「江州神崎郡柿御園三河辺正一位大明神」とあり、早くから柿御園の産土神として崇敬された。
社名については、「輿地志略」に御川辺の御名は、愛知川の源、君ヶ畑に惟喬親王の宮居があったから、川の名は御川といい、川の辺に鎮座の故に御川辺大明神と元慶年の再建の時に号したと記されている。古くは柿御園18ヶ村の崇敬を受け、中世以降は旧御園村全域の崇敬を集め、三川辺大明神と称したが、明治初年に今の社名となった。
明治14年郷社に列し、大正4年神饌幣帛料供進指定となる。式内社。
■本殿・境内建物
〔本殿〕三間社流造 間口三間三尺 奥行三間
〔拝殿〕入母屋造向拝付 間口三間三尺 奥行三間三尺
■境内社(摂社・末社)
大神宮 竈處神社 日吉神社 籠守神社 恵美須神社
■社宝・文化財
六角石燈籠(国指定重要文化財)
■梵鐘 大永元年(1522年)製、八日市新兵衛作。寛政6年(1794年)、慶応元年(1865年)再鋳。
■主な祭礼
ハダカ祭 オハケ神事 粥占神事 講社祭 
 
付近の神社
 御河辺神社 徒歩 1分(9m)
 河桁御河辺神社 徒歩 4分(265m)
 八咫神社 徒歩 12分(902m)
 日枝神社 徒歩 13分(983m)
 八幡宮 徒歩 13分(1km)
 若松天神社 徒歩 13分(1km)
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「東近江・寺社総巡り」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事