6月26日(水)午前、久しぶりに建部日吉神社を訪れた。
旧建部郷17ヶ村の総社であり、建部祭りは有名である。
2018年春の日吉神社のお祭り模様
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日吉神社
所在地 東近江市建部日吉町4(旧八日市市)
■祭神
大山咋神 大國主命 瓊々杵尊 宇伽之御魂神
■由緒
社伝によると、創祀は和銅5年と伝えられ、元は日吉山王権現と称したが、明治2年日吉神社に改称した。建部郷17ヶ村の総社である。
近傍に聖徳太子が瓦を焼かれた瓦屋寺があり、同寺は延暦寺の別院となり、48坊あって、当社はその所轄地となり、社僧が常に奉仕した。
又、守護職佐々木氏の崇敬篤く、社領の寄進がありその頃、京都町尻宰相殿より、家司をもって常燈を献ぜられた。元亀、天正の頃、伽藍社地等一切が兵火にかかり、宝器古文書等悉く焼失した。
郷内山本村は、賀陽宮の御領地であった時、年々御饌米を献納され、又、毎年春季大祭(建部御祭礼)には、彦根藩主井伊氏より、祭礼奉行を派遣されて祭礼を警護し、その祭式は、坂本日吉大社と略同式であり、昔は瓦屋寺48坊の法師が奉仕した。現在でも古例として、瓦屋寺の僧が、宵宮に参詣する。
建部郷の祭礼は、17ヶ村2千余戸の氏子が、七社の神輿を奉じ、春季大祭を斉行する。明治14年郷社に列し、同41年神饌幣帛料供進指定となる。
近傍に聖徳太子が瓦を焼かれた瓦屋寺があり、同寺は延暦寺の別院となり、48坊あって、当社はその所轄地となり、社僧が常に奉仕した。
又、守護職佐々木氏の崇敬篤く、社領の寄進がありその頃、京都町尻宰相殿より、家司をもって常燈を献ぜられた。元亀、天正の頃、伽藍社地等一切が兵火にかかり、宝器古文書等悉く焼失した。
郷内山本村は、賀陽宮の御領地であった時、年々御饌米を献納され、又、毎年春季大祭(建部御祭礼)には、彦根藩主井伊氏より、祭礼奉行を派遣されて祭礼を警護し、その祭式は、坂本日吉大社と略同式であり、昔は瓦屋寺48坊の法師が奉仕した。現在でも古例として、瓦屋寺の僧が、宵宮に参詣する。
建部郷の祭礼は、17ヶ村2千余戸の氏子が、七社の神輿を奉じ、春季大祭を斉行する。明治14年郷社に列し、同41年神饌幣帛料供進指定となる。
■本殿・境内建物
〔本殿〕三間社流造 間口三間 奥行三間
〔拝殿〕入母屋造 間口四間 奥行三間
〔拝殿〕入母屋造 間口四間 奥行三間
■境内社(摂社・末社)
早恵神社 神明神社 八幡神社