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【滋賀・近江の先人第55回】近江高宮の豪商布屋「布惣」・堤惣兵衛(彦根市)

堤 惣兵衛は、1824年(文政7年)ー1891年(明治24年)、「布屋惣平」の3代目として犬上郡高宮(現彦根市)で生まれた。
幕末の安政期の麻織物取引で財をなした近江商人。
 
堤家は正利ー惣三郎ー政次郎ー惣次ー惣三郎と茶業を営んでいたが1764年から(明和年間)、堤惣平は新家して高宮布商人となった。その3代目が堤惣兵衛である。
 
近江の高宮宿があった高宮最大の「高宮布」の問屋「布惣」こと、「布屋惣平」は堤惣兵衛家の店名で、多賀大社の鳥居近くに大きな店を構え、高宮布の小売と問屋を兼ねていた。高宮布は彦根藩の特産品として犬上郡、神崎郡一帯で農家の婦女子が副業で織る麻布で高宮が集散地だった。
 
豪商「布惣」の地位を築いたのが「3代目惣兵衞」である。大胆で巧みな商法を駆使し発展させた。高宮の布惣は、能登川の阿部家(阿部市郎兵衛)、五個荘の山中家と共に「近江三福」の1つと言われた。
平生は倹約に徹し、時をみて大胆な支出が近江商人の特色を備えていた。
1891年(明治24年)67歳で没。
 
高宮布が有名になったのは近江商人によるもので高宮の豪商には堤惣兵衛、不破弥三郎、前川太郎兵衛がいる。
明治の中期頃から絹や綿に押され高宮布は次第に衰退したが「布惣」のみ明治末期までただ一軒老舗を守り続けたが明治44年頃、時代の波に勝てず遂に繁栄の幕を閉じた
期せずして同業で「近江三福」の1つであった「布惣・能登川の阿部本家」も、10代目で消滅している。
 
余談になるが、
堤惣兵衛家と西武グループの創始堤康次郎家とは同じ堤性であるが親戚関係はなかったようだ。しかし、高宮(彦根市)と八木荘(愛荘町)は比較的近く、江戸中期まで遡れば両家は関係があったかもしれない。
また、堤康次郎家も農業の傍ら、麻布の仕立てに関わる商売もしていたので関係はまんざらでもなさそうである。(????)
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