5月25日(土)午前、久しぶりに訪れた。
近江商人の発生前、この地を起源とする「保内商人」の事務所機能(庵室)があったのが「今堀日吉神社」である。
保内商人は比叡山の僧得珍が拓いた荘園の商人である。近江商人の起源前に活躍した下4郷と呼ぶ金屋、中野、今崎、小今、今堀、蛇溝、東市辺の7ヶ村と保外の三津屋の特権的商人により構成していた。近代の商人組合・ギルドを組織していたのだ。
特に下4郷は上郷と呼ぶ玉緒地区の上大森、下大森、尻無、下二俣、柴原南、柴原村の6ヶ村に比べ水利が悪く商業により生活の道を求めたものである。
保内商人は商売利権確保のため、後白河天皇宣旨が使われ、それらの活動について今堀日吉神社の文書で知られる。
この地域は比叡山の荘園に始まり、近江の守護となった佐々木氏の強く影響を受けていたが織田信長の台頭により、昔からの荘園や武士の庇護がなくなり、商勢は最終的には衰退し、中郡、近江八幡、日野を中心とするその後の近江商人に移って行くのである。
今堀日吉神社にはこれらのことを裏付ける蒸気の歴史的文書が残っており、今では重要文化財になっている。それらは滋賀大学にも保管され、祭事については現在滋賀県立博物館が調査中とのことだ。未だに今堀日吉神社は研究者の対象となっている。
また、今回、偶然の出来事だったが神社の現社守が同級生だったことが分かったのだ。私が郷里を離れていため50年近く会っていなかったので互いに容姿が変わり直ぐ分からなかったが話している内に思い出した。近況や旧友のことなど色々と説明を受け、祭事、伝統を維持する課題も聞いた。連絡先も交換し、有意義な一日だった。
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日吉神社
所在地 東近江市今堀町450(旧八日市市)
■祭神
大山咋神
〔配祀神〕白山比賣尊 事代主命
〔配祀神〕白山比賣尊 事代主命
■由緒
平安初期の創祀で、山王十禅師社として尊崇される。明治より日吉神社と改称す。中世期以降の古文書が多く「今堀日吉古文書」として著名である。祭祀も古式を多く伝える。祭儀には宮座と称する大人衆が宗祀(行い)を斎行する。明治9年村社に列し、後白河法皇院宣の「お手判」がある。
■本殿・境内建物
〔本殿〕三間社流造 間口二間 奥行一間三尺
〔拝殿〕入母屋造 間口二間 奥行二間
〔拝殿〕入母屋造 間口二間 奥行二間
■境内社(摂社・末社)
天照皇大神 熊野社 多賀神社 松尾社 八幡宮 恵美須大國社 大将軍社 (境外) 見送稲荷
付近の神社
長緒神社 徒歩 7分(560m)
日吉神社 徒歩 8分(610m)
布施神社 徒歩 13分(1km)
中野神社 徒歩 16分(1.2km)
三所神社 徒歩 17分(1.3km)
玉緒神社 徒歩 17分(1.4km)
長緒神社 徒歩 7分(560m)
日吉神社 徒歩 8分(610m)
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↑面々と続く祭事リスト