上州からの山旅

凡人noyamaの山旅の記録

群馬の山の文学(みやま文庫 No.116)

2014年06月28日 | 
 みやま文庫から平成2年に発行された「群馬の山の文学」を読みました。中味はみやま文庫のために書き下ろされたものではなく、既刊で群馬の山について書かれた紀行文などを再編集したものです。巻末の執筆一覧表によると
 
 木暮理太郎(明治6年~昭和19年) 群馬県生・登山家
 深田久弥 (明治36年~昭和46年) 石川県生・作家
 武田久吉 (明治16年~昭和47年) 東京生・植物学者
 齊藤近衛 (明治38年~昭和54年) 群馬県生・判事・随筆家
 川浦三四郎(明治44年~)     群馬県生・歌人
 河田 禎 (明治23年~)     登山家
 川崎精雄 (明治42年~)     神奈川県生・登山家
 田山花袋 (明治4年~昭和5年)  群馬県生・作家
 寺田寅彦 (明治11年~昭和10年 )東京生・物理学者・随筆家
 正宗白鳥 (明治13年~昭和37年) 岡山県生・作家
 大島亮吉 (明治32年~昭和3年) 東京生・登山家
 尾崎喜八 (明治25年~昭和49年) 東京生・詩人
 今井善一郎(明治42年~昭和51年) 群馬県生・民俗学者
 木下藤次郎(明治3年~明治44年) 東京生・水彩画家
 平野長英 (明治36年~昭和63年) 群馬県生・尾瀬長蔵小屋経営
 猪谷六合雄(明治33年~昭和61年) 群馬県生・スキー
 関口 泰 (明治22年~昭和31年) 法学者・登山家
 山村暮鳥 (明治17年~大正13年) 群馬県生・詩人 

 の18人。
百名山の深田久弥や尾瀬の父と言われた植物学者の武田久吉、作家の田山花袋・志賀直哉、長蔵小屋の平野長英など様々な分野から著名な人が群馬県の山について書いたものを編集してあり、古きを訪ねて新しきを知る趣で楽しく読めました。
特に印象に残ったものは

深田久弥の「谷川岳」では5歳の息子と妻の3人で西黒尾根を登ったことが書かれており流石百名山の息子は鍛えられている。土合駅からは何時も改札を通らず近道をし、線路沿いを歩いて登山ルートに入っていたそうです。
 「至仏山・尾瀬」では尾瀬ヶ原は今のような木道はなく湿原をそのまま歩き難儀をし土を踏んだときはホットしたようなことが書かれている。
 “湿原を歩いてゆくと、踏む足許がフカフカとして、くるぶしへんまで沈む。その下からジクジクと水が染んでくる。ところどころ壺沼がいくつもあって、中には島みたいに草の生えた地面がういているのもあり、その上に乗るとジワリと沈む。”
今では考えられませんが浮島に乗って遊ぶなんてこともあったのかしらん。


 尾瀬の父武田久吉は地名にうるさい。大源太山は群馬側と新潟側に同じ名前の山があるがこれについて「三国峠」では
 “上州で大源太と呼ぶのは越後でいうセンノクラ山であって、地図にあるのは無名の一峰であることが判明した。近来この山を越後方の沢の名から、河内沢の頭と呼ぶ人もあると聞くが、1764メートルのこの山は厳然たる上州の山であるから発源する渋沢にちなんで、渋沢山と呼ぶべきであると私は信じる”
 また、「尾瀬ヶ原探勝(明治の山旅)」では景鶴山について
“頂上に岩峰が峙つ這摺山(へーずる)は、異様な姿で原に臨んでいる。この名を耳の悪い男が聞き誤って、景鶴山と当て字したのでこれをケイカクと読む粗忽者さえあるとは、情けない話である” と述べており、思わず笑ってしまいました。
 尾瀬ヶ原の東端にある見晴についても
“(見晴らしには檜枝岐の漁夫丈右衛門の小屋があった)小屋前には、四季を通じて滾滾と湧いて涸れない湧水があり、それが流れて細い川となるのを、漁夫丈右衛門に因んで、丈堀と呼び、それが地名となった。--------丈堀の故事を無視して、見晴などと号して満足しているとは、沙汰の限りというほかない。この呼称は檜枝岐村役場よりの取消状の提出さえあれば、地理院においても、地図上から抹殺できるものであるから、村長あてにその趣きを要望したのに対し、一言の挨拶状さえ送致しないとは、村長ともあろう者として礼儀を知らぬ譏りを免れない”
 とあり、尾瀬の父武田久吉は相当な頑固者であったのだろうか。檜枝岐村には村営のミニ尾瀬公園に内武田久吉記メモリアルホールを設け尾瀬の父とした顕彰していますが、今の檜枝岐村長の苦笑いが浮かびます。


 平野長英氏が昭和12年に東京山岳会での講演原稿「尾瀬沼の四季を語る」では、少年時代沼田まで買い物行く途中、片品村役場のある鎌田まで来たとき尾瀬沼に佇む両親お姿が心に浮かび急に尾瀬沼に帰りたくなった。私は永久に尾瀬の地を離れることは出来ないと語っており、そのとおりの生涯を送られて尾瀬沼近くのヤナギランの丘に永眠されてます。


 他にも民俗学者の今井善一郎が前橋中学校5年生の時、4年生7名を連れて赤城山・尾瀬・日光とテントを背負い野宿をしながら9泊10日の山旅をした「半世紀前の尾瀬」などは、感心するやら呆れるやら羨ましいやらで冒険心をかき立てれました。
 
面白い本でしたが、残念なことに「群馬の山の文学 みやま文庫No116」は在庫が無く、図書館で借りるか古本屋で買うしかないようです。



 上記の本を発行している「みやま文庫」は全国的にも珍しい県が関与した出版団体です。その名称は、群馬県を象徴する赤城・榛名・妙義の上毛三山の名を採り「みやま」としたものです。設立は昭和36年で、その目指すところは、商業ベースに乗らない貴重な郷土に関する研究や著作を平易に興味深く編集して県民に頒布し、県内の文化振興に役立てるというものです。
 このため会員制によって組織され、会費は年額制で年4巻配布されます。
 年会費は4千円(郵送会員は5千円)ですが、会員以外でも在庫本は購入できます。
 (在庫本頒布1冊 会員1000円、会員以外1500円)
 *近年会員数の減少で経営が苦しいそうです、会員になって応援願います


  詳しくは、
出版目録
みやま文庫ホームページ


 みやま文庫事務局
〒371-0017  群馬県前橋市日吉町1-9-1(県立図書館内)
TEL・FAX 027-232-4241  
 
1961年から2013年まで発行213冊のバックナンバーは出版目録


  
 ↓そんな訳で ボタンを押して頂くと助かります






最新の画像もっと見る

コメントを投稿