上州からの山旅

凡人noyamaの山旅の記録

中山道を歩く(坂本宿から軽井沢宿・碓氷峠越え)

2022年12月03日 | 街道を歩く

 2022年12月2日(金) 晴れ
 同行:中・鈴・田
 行程
 自宅6:00==7:15横川駅07:46-----08:39坂本宿08:39---09:00旧中山道口09:01----09:46覗09:53----10:08碓氷坂の関所跡10:09----11:06めがね橋分岐11:06----11:55山中学校跡11:55----12:13陣場が原12:13-----14:19旧碓氷峠遊覧歩道入口14:19----14:33軽井沢宿14:33----14:37旧軽井沢14:37----15:12軽井沢駅15:35==バス(520円)==16:09横川駅

 冬は雪山へ行かなくなり、陽だまり山行主体の今日この頃
 街道歩きに挑戦してみようと思った
 まずは、碓氷峠越え


 
 横川駅で待ち合わせ
 駅前には創業明治18年、駅弁峠の釜めし「おぎのや」がある


 
 自分は駅近くの町営駐車場(無料)に駐車
 7:46発


 
碓氷関所跡
 
 駅からまもなく碓氷関所跡がある
 安中藩が管轄し東海道箱根関所と同格の関所として1623年設置され
 「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まった
 
 
 「おじぎ石」
 通行人はこの石に手をついて手形を差し出し通行の許可を受けた


 
 川久保薬師堂
 


 
 薬師の水
 この湧水を用いた心太(ところてん)を商う商店があった


 
 原村水神宮

 
 村内を流れる用水路の起点


 
 8:39 坂本宿の江戸(東)口
 


 
 佐藤本陣跡
 

 


 
 永井脇本陣跡


 
 酒屋脇本陣


 


 

 
 かぎや

 
 つたや

 
 たかさごや


 
 突き当たりは刎石山(はねいしやま)、碓氷峠はその向こう
 真っすぐに伸びる坂本宿の街並み
 
 
 
 上木戸跡 坂本宿の京(西)口


 

 
 芭蕉の句碑
 芭蕉没後100年の後に作られた句碑、江戸期を通して俳諧が盛んだったのだろうか?
 街道のあちこちに江戸期に作られた句碑がある


 
 坂本八幡宮


 
 八幡宮の入口の街道沿いに雀荘があった
 嘗て、神社仏閣の境内に博打場があったとも聞く
 ここはその名残だろうか?


 
 坂本宿を抜け山道に入る所に獣害を防ぐ電気柵があり、これを外して通る


 
 碓氷峠入口 ここから山道に入る
 右の小屋は「碓氷小屋」で旧バス停


 


 
 堂峰番所跡 
 こんな狭い道の何処に番所があったのだろうか


 
 スギ林の中に番所同心の住居跡があった
 嘗てはスギは無く日当たりの良いところだったのだろう


 
 何処までも続くスギ林の道


 
 急坂を登りきるころ柱状節理が現れる
 「火成岩が冷却し柱状に割れた」との朽ちかけた解説版がある
 

 
 「馬頭観音」や「大日尊」などの石碑が並ぶ

 
 

 
 石碑群を抜けると「上り地蔵・下り地蔵」の案内板があるが
 あたりを見回しても地蔵は見当たらない


 
 9:46 覗(のぞき) 坂本宿がよく見える
 正面奥は東御荷鉾・西御荷鉾


 
 覗を曲がると馬頭観音の大きな石碑


 

 
 何か視線を感じたので振り返ると、道脇でカモシカがこちらを見つめていた
 おなかが減っているようで逃げない
 鈴を鳴らすと少し離れたがこちらを見つめている


 
 刎石茶屋跡

 
 ここに4軒の茶屋があった、石垣が残る


 
 10:08 碓氷坂の関所跡
 刎石茶屋跡の近くにあり、四阿が建っている


 
 堀切
 天正十八年豊臣秀吉の小田原攻めで、秀吉方の北方隊(前田・上杉・真田軍)を
 松井田城主大導寺駿河守が防戦しようと両側を堀切し道を狭めた
 しかし突破されてしまった


 
 堀切を過ぎるとすぐ右にに南向馬頭観音がある。頭に馬の耳の様なものが見える
 


 
 先の左に北向馬頭観音 逆光で顔がよく見えない


 
 座頭転がし 
 急坂で湿っていて滑りやすいことから来た地名


 

 
 丁度、歩道工事のため石材を運んできた人とすれ違う
 隘路を少しづつ運ぶのは大変だ
 トラック・運搬車・小型クローラ・一輪車・人肩と小規模運搬になって運んでいた


 
 栗が原
 ここまでトラックで石材を運んでいた


 
 道脇に石垣があり人家跡か別荘分譲地のようである


 
 山中茶屋跡
 江戸期には十軒の茶屋があり力餅や蕨餅などが名物だった
 明治期には小学校があった


 
 山中坂 飯食坂とも呼ばれ坂本宿から上ってきた人は山中茶屋で飯を食って登った
 山中茶屋の繁盛はこの坂にあった


 
 飯食坂で出くわした飯を食う猿軍団


 
 山中坂を登り切ったあたりに廃墟があった
 いつのころか別荘分譲した当時の管理棟の様だ
 

 
 一つ家跡 老婆伝説あり


 
 12:13 陣馬が原追分 右は皇女和宮降嫁の際1861年開かれた和宮道
 武田勢と上杉勢が戦った碓氷峠合戦跡ともいわれている


 
 陣馬追分を左に進み坂を下りきると「化粧水跡 」
 旅人が峠町に入る前に姿形を直したところ


 
 12:30 化粧水跡の隣に「陣馬施行所跡」がある
 旅人に粥と焚火、牛馬に桶一杯の煮麦を施した
 間口17軒(約30.6m)・奥行20軒(約36m)の建物があったそうだが
 いまはそんな大きな建物が建つ空間は無い
 

 
 12:54 仁王門跡・思婦石


 
 峠手前の碓氷峠水源地 下にワサビ田がある


 
 12:57 碓氷峠
 手前の茶屋「あずまや」「見晴亭」は廃業または営業休止している


 
 13:00 熊野神社(上州)・熊野皇大神社(信州)

 
 お宮は一つだが、県境にあるため二つの宗教法人
 本殿には上州・信州二つの賽銭箱がある

 


 
 山門

 
 上州側の新宮

 
 古鐘 県指定重要文化財
 
 
 随神 神域に邪悪なものが入らない様に見張っている
 

 
 信州側の社務所奥にあるシナノキの大木(長野県指定天然記念物)

 
 
 日本武尊を道案内した八咫烏が祀ってある
 八咫烏はサッカー日本代表のシンボルマークでもあり
 狛烏にも代表ユニフォームが着せられていた
 おりしも本日は強豪スペインを破ってワールドカップ16強進出した日
 連れは記念に八咫烏の居る信州側で御朱印を頂いていた


 
 13:35 神社前の茶屋「しげの屋」
 この店も県境をはさんで建っているが本籍はどちらなのだろう?
 この店以外の茶屋は廃業か冬季休業だった


 
 力餅蕎麦 920円
 名物力餅をいただこうと思っていたが風花舞う寒さに暖かい蕎麦に変更

 

 
 横川SAで売っている「碓氷峠の力餅」(おぎのや製造)400円


 
 14:00 暖かい蕎麦を食べ元気回復再び中山道へ
 車道擁壁の下がルートだが、落ち葉に隠れて分かりにくい


 
 14:30 ショーハウス
 落ち葉の隘路を30分ほど下り旧軽井沢へ
 避暑地として軽井沢を紹介したカナダ人宣教師の教会と胸像


 
 近くにある芭蕉句碑
 芭蕉150回忌の1843年(天保14年)建立
 江戸期を通して芭蕉人気は絶大だった?


 
 つるや旅館
 「つるや旅館は、江戸時代初期に、中山道の宿場町軽井沢宿の休泊茶屋、旅籠鶴屋として開業しました。
明治に入り、宣教師たちの軽井沢への往来が始まると、つるやは旅館業に転じ、日本風の建物のまま、
西洋風な雰囲気を取り入れました。その後、大正には、多くの文人たちが泊まられました。
芥川龍之介、室生犀星、堀辰雄らが、暖かな雰囲気の中で執筆を行いました。
そして、今、幾度かの改装を重ねながら、軽井沢の昔を今につなぐ旅館として、歴史を守り続けています。」

 つるや旅館ホームページより


 
 
 12月の寒い中でも賑わう軽井沢宿


 
 14:45 パン屋へ寄り道


 
 15:20 軽井沢駅に到着 15:35発のバスで横川駅に帰る




 神社仏閣巡りは百観音巡りをはじめ坂東33と秩父34を満願
 西国33観音は近々巡る予定
 次なる目標は街道巡りと思ったがこれはなかなか大変そうだ
 とりあえず熊野神社詣でをかねて中山道碓氷峠越えに挑戦してみた
 旧道は荒れているところもあったが史跡を探すのも楽しい
 夏は山歩き、冬季は街道歩きを計画したいと思う
 気力・体力が続くことを祈念しながら旅を楽しみたいと思う今日この頃です
 
 ↓そんな訳で 押して頂くとたすかります





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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2022-12-04 06:35:32
昔の人はこの中山道をあるいたのですね。
至る所に茶屋があったのでしょうが、すたれていますね。山賊も出たのですね。
昔あるいた、萩と山口の萩往還を思い出しました。中山道よりはひどくないような気がします。やはり茶屋があり、山賊が出たそうです。
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Unknown様 (noyama)
2022-12-04 07:20:23
コメントありがとうございます
秩父34観音巡りでも旧道を歩きましたが、バブル期などに復旧されその後再び荒れてしまったような所もある様です
五街道のほか様々な旧街道があるのですね
残された人生でどれだけ歩けるか挑戦してみたいものです
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