上州からの山旅

凡人noyamaの山旅の記録

大平山・晃石山(3社3寺)を巡る

2023年12月09日 | 山2023
【山 名】大平山 341m 晃石山 419m(栃木県)
【日 程】令和5(2023)年12月8日(金)
【同 行】単独
【天 候】晴れ
【ルート】六角堂10:25---10:47太平山神社10:51---10:53太平山神社駐車場10:53---10:58太平山神社奥宮---11:06太平山11:06---11:20ぐみの木峠11:24---12:02晃石山12:02---12:26清水寺観音堂裏の展望台12:26---12:31清水寺観音堂12:38---12:39清水寺12:43---13:24大中寺駐車場13:24---13:30大中寺13:31--13:53謙信平展望台13:53--14:07六角堂
【行 程】 L=8.9km +-580m 行動時間4:00

六角堂下の市営駐車場(無料) 平日だが結構車がある


大平山神社参道入り口わきに六角堂はある



太平山連祥院(六角堂)
「明治期以前まで太平山は、神仏が混在しており、山上には慈覚大師円仁が創建した太平大権現社、当山のご本尊虚空蔵菩薩を安置した本地堂、釈迦堂、大日堂等の堂宇が並び、下に仁王門(現在は随神門。当時は連祥院の仁王門でした。現在でも裏側に仁王さまが安置してあり、かつて寺院として栄えた頃を偲ばせる建造物です。)そして、あじさい坂のわきには、三光院、多聞院、法泉院、報恩院等の寺院がありました。」>六角堂について
*慈覚大師円仁:794年(延暦13年)下野国の生まれ。第3代目天台宗座主。遣唐使として入唐して中国各地を巡礼した旅行記【入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)】は、玄奘の《大唐西域記》,マルコ・ポーロの《東方見聞録》とともに,東アジアの三大旅行記といわれる。



この「あじさい坂」、大平山神社まで1000段程あるそうだ



少し登ると「銭洗弁財天」が横道に誘う



洞窟を覗くと錦鯉が泳いでいた


上に貞治6年(1367年)建立の供養塔婆板碑(いたび)がある
板碑は>鎌倉街道上道でも沢山見たが、鎌倉武士と関係が深いらしい



急階段は続くが、先方に赤い門が見えた




大平山神社の隋身門、これが以前は六角堂の山門だったそうだ
明治の廃仏毀釈で壊された仏像などあるそうだが、左右大臣と仁王像を裏表入れ替えて残すとは大らかな処置だったのだろうか?


表の左大臣

右大臣


裏側に阿形

吽形



山門からもマダマダ階段





大平山神社
西暦827年、慈覚大師円仁により創建されたといわれている
天狗党とのかかわり
元治元年(1864)横浜港鎖港、攘夷を唱え筑波山に挙兵した天狗党は徳川家康を祀った日光東照宮を占拠して攘夷の軍事行動に踏みきる予定であったが、日光奉行の通報を受けた近隣各藩の兵が出動したため、日光から太平山へと移動し、この地に4月~5月まで45日間滞在した



神社の間が登山路



階段を登り山頂への登山路を少し外れると大平山神社奥宮
奥宮の後ろに回ると登山路に戻る




大平山山頂の富士浅間神社



大平山から晃石山方面への下りはかなり急こう配



急坂を下りきればなだらかな尾根歩きが待っている




ぐみの木峠 南の市街地を望む


大平山を振り返る




馬のヒズメで蹴りこんだような跡がある



晃石山山頂 晃石神社奥宮
由緒ある神社 手前の三角点は栃木県には11,群馬県には9か所しかない一等三角点だ


北に男体山や日光白根が見える
日光白根は山頂だけが白く見えるが、男体山に雪は見えない




晃石神社






清水寺(せいすいじ)観音堂
本尊十一面観音像が拝める、天井画も美しい




紅葉する参道を下った所に清水寺本堂がある



清水寺本堂





清水寺から東へ車道を進むと昔の東山道が残っている



石碑は「猿田彦」と読めるが当時の物だろうか?

馬頭観音




大平山大中寺



山門前には石塔石仏、大日如来は寛政7年(1795)と刻んである



大中寺七不思議の解説版は残念なことにかすれてしまった大中寺 七不思議 | 日本伝承大鑑 (japanmystery.com)

不用の雪隠

馬首の井戸
井戸脇の坂を登って六角堂へ戻った



現在中山道歩き下諏訪あたりまで歩きましたが天狗党と高島・松本藩と戦った(1864年)慰霊碑浪人塚や官軍の先方隊として東進しニセ官軍の汚名を着せられ処刑された(1868年)慰霊碑魁塚があった
天狗党は水戸から越前(福井県)まで攘夷を訴え西進し、赤報隊は官軍の先遣隊として東進した
旧街道や神社仏閣を訪れると、天狗党・赤報隊・廃仏毀釈など幕末から明治の激動と大変革を感じることができます
僅か1860年代の数年間に日本の歴史は大転換し、活躍する若者が多数生まれたことに改めて驚かされます
馬齢を重ねるばかりの我が身を振り返る今日この頃でもあります

  そんな訳で ボタンを押して頂けると嬉しいデス



 

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