『ベイブルース~25歳と364日~』
2013年日本映画 120分
原作・監督:高山トモヒロ
脚本・監督補:金田敬
撮影:志賀葉一 美術:寺尾淳 衣裳:岡本佳子 編集:鈴木理
音楽:安田spacey尊行
出演:波岡一喜(高山知浩)、趙珉和(河本栄得)、小川菜摘(高山秋子)、石田えり(河本末子)、安田美沙子(高山美喜子)、柳憂怜(高山の父)、申相祐(オリーブのマスター)、山口馬木也(スイミングスクール所長)、仁科貴(先輩倹l)、iLHWA、かつみ♥(かつみ♥)、オール巨人(オール巨人)、宮迫博之[友情出演](大家さん)、遠藤章造[友情出演](桜高校野球部監督)、梶原雄太[友情出演](借金の取立)、坂城君(野球部・矢野輝弘)、光永(トゥナイト・なるみ)、杏さゆり(トゥナイト・しずか)、アャ鴻梼R崎(雨上がり決死隊・蛍原徹)、和泉修[ケツカッチン](漫才コンクール司会)、森本のぶ(焼肉店店主)、こりん[小二子町](長女・高山衣世)、みずき[小二子町](次女・高山光永)、安田善紀[りあるキッズ](チンピラの連れ)、長田融季[りあるキッズ](同)、カバと爆ノ介(テレビでコントをしているコンビ)

かつて風のように時代を駆け抜けた若き漫才師がいた。彼の名は河本栄得。高校時代の同級生である相方・高山知浩とともに吉本総合券\学院“NSC”の門を叩き、7期生として雨上がり決死隊、トゥナイトのなるみ、ナインティナインの矢部浩之の兄・矢部美幸たちと机を並べた。卒業後はコンビ名を“ベイブルース”と改め、上方お笑い大賞最優秀新人賞やABCお笑い新人グランプリなどの新人賞を次々と獲得。若手有望株の筆頭に躍り出る。歌手としてCDリリースも決まり、ベイブルースは将来を嘱望される漫才コンビとなった。漫才に対する姿勢は、同期の中でも群を抜く厳しさで、寝る間も惜しんでネタ作りと漫才の練習に打ち込む日々。ボケとツッコミのタイミングも徹底的に拘り、コンピューター並みの正確さを要求。自分のボケに対してツッコミが期待通りではなかったと、高山を怒鳴りつけることも少なくなかった。人は河本を“天才”とも“悪魔”とも評し、畏敬の念を抱きつつ、その活躍を見守っていた。しかし今、彼の姿はない。何もかも絶好調だった1994年秋、河本はテレビのロケ中に体調不良を訴えて入院。それからわずか2週間後の10月31日、劇症肝炎による脳出血のため、25年と364日の生涯を閉じた。その短くも鮮烈な生き様は、激しさと優しさに溢れ、今でも倹lたちの心に生き続けている。【「KINENOTE」より】
お笑いコンビ・ベイブルースの河本栄得さんの短い生涯を描く。
かつての相方・高山トモヒロさんが書いた小説を自ら映画化。
そんなに詳しく知っているわけではなかったが、当時関西に住んでいたこともあり、ベイブルース・河本さんのあまりにも若すぎる死は衝撃的であった。今回、映画化にあたって元相方が監督を務めることを不安視する向きもあろうが、相方だからこそ撮れた作品だと思う。むしろ、当時のことを思い出して辛いだろうによくぞ最後までやり遂げたとも思う。
ただし、事実とは違う部分も多々あるようで、死去直後のラジオではその死を告げず、告別式では「皆さん、天国に向かって"河本のアホ"と叫んで下さい!!」とファンに呼びかけたとのこと。さすがにケーキを持ってきて「ハッピーバースデー」を歌ったりはしなかったんだろうな。
波岡一喜さんと趙珉和さんのコンビが実に素晴らしい。
当然、漫才シーンもいくつかあるが、気がつくと自然に笑っていた。
石田えりさんの肝っ玉母ちゃんっぷりもいいなぁ。
ちなみにトゥナイトなるみさんを演じていたのは、高山さんの次女・光永さん。
実際にお笑い倹lになっていたのね。
★★★1/2
2013年日本映画 120分
原作・監督:高山トモヒロ
脚本・監督補:金田敬
撮影:志賀葉一 美術:寺尾淳 衣裳:岡本佳子 編集:鈴木理
音楽:安田spacey尊行
出演:波岡一喜(高山知浩)、趙珉和(河本栄得)、小川菜摘(高山秋子)、石田えり(河本末子)、安田美沙子(高山美喜子)、柳憂怜(高山の父)、申相祐(オリーブのマスター)、山口馬木也(スイミングスクール所長)、仁科貴(先輩倹l)、iLHWA、かつみ♥(かつみ♥)、オール巨人(オール巨人)、宮迫博之[友情出演](大家さん)、遠藤章造[友情出演](桜高校野球部監督)、梶原雄太[友情出演](借金の取立)、坂城君(野球部・矢野輝弘)、光永(トゥナイト・なるみ)、杏さゆり(トゥナイト・しずか)、アャ鴻梼R崎(雨上がり決死隊・蛍原徹)、和泉修[ケツカッチン](漫才コンクール司会)、森本のぶ(焼肉店店主)、こりん[小二子町](長女・高山衣世)、みずき[小二子町](次女・高山光永)、安田善紀[りあるキッズ](チンピラの連れ)、長田融季[りあるキッズ](同)、カバと爆ノ介(テレビでコントをしているコンビ)



かつて風のように時代を駆け抜けた若き漫才師がいた。彼の名は河本栄得。高校時代の同級生である相方・高山知浩とともに吉本総合券\学院“NSC”の門を叩き、7期生として雨上がり決死隊、トゥナイトのなるみ、ナインティナインの矢部浩之の兄・矢部美幸たちと机を並べた。卒業後はコンビ名を“ベイブルース”と改め、上方お笑い大賞最優秀新人賞やABCお笑い新人グランプリなどの新人賞を次々と獲得。若手有望株の筆頭に躍り出る。歌手としてCDリリースも決まり、ベイブルースは将来を嘱望される漫才コンビとなった。漫才に対する姿勢は、同期の中でも群を抜く厳しさで、寝る間も惜しんでネタ作りと漫才の練習に打ち込む日々。ボケとツッコミのタイミングも徹底的に拘り、コンピューター並みの正確さを要求。自分のボケに対してツッコミが期待通りではなかったと、高山を怒鳴りつけることも少なくなかった。人は河本を“天才”とも“悪魔”とも評し、畏敬の念を抱きつつ、その活躍を見守っていた。しかし今、彼の姿はない。何もかも絶好調だった1994年秋、河本はテレビのロケ中に体調不良を訴えて入院。それからわずか2週間後の10月31日、劇症肝炎による脳出血のため、25年と364日の生涯を閉じた。その短くも鮮烈な生き様は、激しさと優しさに溢れ、今でも倹lたちの心に生き続けている。【「KINENOTE」より】
お笑いコンビ・ベイブルースの河本栄得さんの短い生涯を描く。
かつての相方・高山トモヒロさんが書いた小説を自ら映画化。
そんなに詳しく知っているわけではなかったが、当時関西に住んでいたこともあり、ベイブルース・河本さんのあまりにも若すぎる死は衝撃的であった。今回、映画化にあたって元相方が監督を務めることを不安視する向きもあろうが、相方だからこそ撮れた作品だと思う。むしろ、当時のことを思い出して辛いだろうによくぞ最後までやり遂げたとも思う。
ただし、事実とは違う部分も多々あるようで、死去直後のラジオではその死を告げず、告別式では「皆さん、天国に向かって"河本のアホ"と叫んで下さい!!」とファンに呼びかけたとのこと。さすがにケーキを持ってきて「ハッピーバースデー」を歌ったりはしなかったんだろうな。
波岡一喜さんと趙珉和さんのコンビが実に素晴らしい。
当然、漫才シーンもいくつかあるが、気がつくと自然に笑っていた。
石田えりさんの肝っ玉母ちゃんっぷりもいいなぁ。
ちなみにトゥナイトなるみさんを演じていたのは、高山さんの次女・光永さん。
実際にお笑い倹lになっていたのね。
★★★1/2
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