【岡潔の思想】

【岡潔の思想】306「1969年の質疑応答」本居宣長のあはれ

【岡潔の思想】306「1969年の質疑応答」

【本居宣長のあはれ】

(質問)山崎闇斎(やまざきあんさい)っていう人は良かったんですか。

(岡) いやいや、1人もいやしません。あの連中で、そんなもの何がいるものか。本居宣長がどれくらい駄目だったか。「あはれ」というのを知りたいと、それで源氏物語を調べたんです。源氏物語に出てくる女性は、あれは作物(さくぶつ)で事実じゃありませんが、あれを餓鬼道というんです 色餓鬼です。

(質問) ああ、色餓鬼ですか。(笑)

(岡)色餓鬼あはれを調べるという風なうつけ者、それで調べて、

  敷島の大和心を人問わば朝日ににほう山桜花

という。さいもんだと思ったんだろうなあ。自然界全体心の表現であるっていうくらいの心が「敷島の大和心」だから。それを「朝日ににほう山桜花」というたんです。全然、わかってない 藤田東湖(ふじたとうこ)の「天地正大の気」という方が少うし近いんです、それにね、真相に。

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横山賢二さんの解説が読めます

🔶岡潔講演録(17):【26】 本居宣長のあはれ (okakiyoshi-ken.jp)

※典比古

 岡潔著『日本民族』(昭和43年・1968・12月10日・月刊ペン社)に「明治維新」というがあり、まず江戸時代俯瞰しながらの言説ですが、次のようにべております。

「次の家重時代に至ってようやく芽が伸びてきたことが始めて私の目に写る。いわゆる国学の研究が始まるのである。人はようやく日本民族というものを、その流れの源にさかのぼって見たくなってきたらしい、上代を見、神代を見たいと思ったのである。」

 そして「くべきことにはきわめて科学的な方法を取っている。万葉集をしらべることから始めたのである。」と指摘し、契沖荷田東満(かだのあずまろ)の名をあげ、「・・・は方々で思い思いに伸び始めたのである。この学統は皇国の苦しさが知りたいのである。茂真淵本居宣長とうけている。」そして

 「敷島の日本心を人問はば  朝日に匂ふ山桜花」

 このを紹介し「これは道歌である。指すところは全くそのとおりである。ではないがよい絵の具である。」と。

注)典比古 道歌 道徳的な教えをわかりやすく読み込んだ和歌。例えば千利休の「その道に入らんと思ふ心こそ我が身ながらの師匠なりけれ」の類(デジタル大辞泉)

 このように宣長さんを評価しております。一方、ワタクシは小林秀雄著『本居宣長』冒頭箇所を思い出してしまった。小林さんが折口信夫さんを訪ねてのお話を伺っての帰途「・・氏は驛まで私を送って来られた。道々、取止めもない雑談を交して来たのだが、お別れしようとした時、不意に『小林さん、本居さんはね、やはり源氏ですよ、では、さよなら』と言はれた。」と。

 世界文学史的視野からみると「源氏物語」日本大文学という評価が定着していますが、それはそれでよしとするのですが、ワタクシは個人的には宣長さんの『古事記伝』高く評価しています。

 小林さんが宣長さんに興味をいだいたのは、書き出しにおいて次の様に述べています。「本居宣長について、書いてみたいといふ考えは、久しい以前から抱いてゐた。戦争中の事だが、『古事記』をよく讀んでみようとして、それなら、面倒だが、宣長『古事記傳』でと思ひ、讀んだ事がある。」と。

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 平安時代からしてもうすでに読めなくなっていた『古事記』が読めるようになったのは、まさに宣長さんのお蔭なのです。

 そして今ワタクシが勉強しております「カタカムナ」を、楢崎皐月さんが、その宇宙観世界観による哲物理学の用語を使って、楢崎流解読をされたのも、この「古事記」からの「ヒント」を得て解読されたといういきさつがございます。

 このような「国学」という学統の流れにおいて、ワタクシ共はその恩恵を受けているのだと思います。

 尚、ここでのさんの発言の真意は、ぜひ横山さんの解説をお読みください。

     

所属しております【じゆう工房】の理事長外山美恵子さんの監督による映画上映がございます。また、中島由美子さんの講演もございます。詳しくは(1) Facebook

   

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