【岡潔の思想】304「1969年の質疑応答」
【岡のカミナリ】
(岡) もう、その辺でやめなさい!君のいってることはことごとく意識を通していってる!その前に、意識を通さないでいうとわかるということがなければ!
(質問) あのう、どうも先生、失礼しました。
(岡) 君は馬鹿です、完全な!泥吐きして白紙に帰りなさい!真新しい心、真新しい知情意を持って、君が無自主的、無批判的に詰めこんだ欧米の観念を洗いなさい!何だこの、自由だの権利だのと‼
(質問) 私は先生に罵倒された!
(岡) 罵倒じゃない!
(質問) しかし、私としての21年間の生きて来た人間としての、その人生の中で・・・
(岡) あなたは!いや、そんな石地蔵はそのまま死ぬだけだ。穴開けて、もっとよく見るんだな。
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横山賢二さんの解説です。
🔶岡潔講演録(17):【24】 岡のカミナリ (okakiyoshi-ken.jp)
※典比古
横山さんは「この質問者は当時の左翼系学生で、大学改革をもっともらしい言葉を並べたてて発言したのだが、岡の我慢もこの辺が限界だったようである。『罪を憎んで人を憎まず」という言葉があるが、岡の「カミナリ」は相手が憎くてのことではない。その考えの軽薄さや傲慢さに対してのことなのである。」と。
ここを読むと、岡さんが目の前にいて、なんだか自分が叱られているようにも感じてしまいます。しかし叱られた人の多くは、後日このことが「爽やかさ」となって甦ってくる経験をされるそうだが、この学生も後日、欧米の観念を洗うことができたのではないかと思っています。
本当に叱ることのできる人は心底の愛情をもっていないとできないことだということを感じさせる場面です。
よく「カミナリ」に打たれて生還したあとは、がらっと人が変わってしまうという体験を読んだことがあります。それと似ていますね!
横山さんは最後に「岡の「カミナリ」の意味するところは、人類の自滅を止める可能性のある日本人に「その責任感を持ってくれ‼」という岡の声を枯らしての絶叫なのである。」と。ここはぜひ事情を知っている横山さんの解説をお読みになってください。
仕事で海老名の「ララポート」に。店内に金色のゴリラと亀 撮影10日 典比古