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ゾイさんのブログ

ゲーム、街ブラ、ごはん、などなど。

次から次へ、それじゃダメ~エメラルド

2020-09-30 23:05:12 | GEYSER
次から次と、理想を追い求めて乗り継いじゃダメなんです。

それで辻褄が合う人もいらっしゃるでしょうけれど、ゾイさんはそうじゃないみたいです。

乗り捨てはダメ。ゾイさんはそうみたいです。


人生を見つめ直して正しく生きるには、環境を安定させるには、パッと絵に描いたような理想が目に入ったとしても、それが今目の前にあるものと違うのならば。たとえ一歩ずれてちょっと背伸びすれば届きそうなところにあったとしても、足下を動かすべきではないようです。ゾイさんはね。
ボルダリングと一緒。あそこ掴めれば、と思ってギリギリ無理して掴んでも、後にも先にも進めなくなる。しかも人生のことは、ボルダリングと違って落っこちることができないから、そのちょっとを無理したがために相当に壮絶なイタイツライ思いをすることになる。下手したら一生引きずるほどのね。
繰り返すけど、これはゾイさんの話。そうじゃない人もそもそも関係ない人もいるから、あくまでゾイさんはの話ですからね。


そういう意味で自分と調和することができなければ、当然人となんて調和できません。
また、ギフトは思ってる通りじゃないことの方がほとんど。自分が夢想する理想は大概現実を完全シカトして夢想の中だけで出来上がってるもんだから、そんな理想はそもそも理想なんかじゃない。
今握りしめてる石はエメラルドじゃないけど、それが本当に必要があって手元に来た石ならば、理想のエメラルドなんかよりよっぽど力づけてくれる。


ということで、トラップを回避したので休みます。
体調など崩されませんよう、大事に過ごしてくだないね(^_^)





あーすっきりしたw

思い込みを離れる~アクアマリン

2020-08-31 10:01:10 | GEYSER
アミュレットが超常的なことを避けることで守護するお守りであるのに対し、タリスマンは超常的なことを呼び込むことで幸運をもたらすお守りなんだそうです。

いずれも意識や思い込みの点をサポートすることに変わりはなさそうですね。


今日はアクアマリン。
スギライトのエリア、シヤッタカイトのエリアに続くこのエリア、いわゆる喉のチャクラは、思い込みを離れる重要なポイントです。
あるがままを感じ、観ずるために、思い込みや不要なエネルギーを選別し、送り出すポイントです。
外界へと通じるあらゆる出口、喉を司るチャクラ。自他を選り分けるポイント、自分の本質を選ぶポイントとも言えるかもしれません。


アクアマリンとタリスマンって似た音だなぁと、ふと思いました。それでこんな感じの書き出しに。
今日は思い込みを封じる日にしたいと思います。

それでは(^_^)

事わからぬ者~スギライト

2020-08-30 10:13:41 | GEYSER
どもーゾイさんですー(^_^)

わからぬ者がわからぬままにあれこれ解釈しようとするのは危険です。

己の気持ちを晴らそうと行動するのではなく、行動した上で感じた気持ちでひとくくりになるもの。
導かれるというのはそういうことで、己の気持ちというのはまた別、己の中だけの問題です。
事を行うにあたっては、解釈や気持ちというものは問題ではないのであって、そちらを先に立たせることがまずもって傲慢であり、事の本質には気を払わないという態度の現れに他なりません。

何事も、握りしめていることは妨げです。何事も、己のものではないのですから、握りしめているものがないがために劣っていると言われようとどうしようと、本質でものごとに向き合うのであれば気にすることはありません。
理由を探して気を揉むと、かえってそちらに引っ張られてしまいます。
わからぬのなら、わからぬままに素直に取り組むのです。


今日はスギライトです。6番、7番と、上(便宜上、上)のチャクラに響きます。
チャクラの象徴するエネルギーは、上に進むほど己から離れますから、上のチャクラに相当する石が出る時は、己にとらわれない必要がある時ということ。
また、己から離れるということは他に振り向けるということでもなく。


慈悲というのは誰彼かまわず施すということとは違うと思います。施す対象は、あくまで己をこえた己であるのではないでしょうか。
「ひとのため」という事わからぬ解釈を挟むから、どうどうめぐりにはまる羽目になるのだと思いますよ。

それでは(^_^)

愛と平和と調和とは~クリソプレーズ

2020-08-17 20:54:18 | GEYSER
相手の言うことも正しいのかな、と、たまには思ってみる。


ども。これ、ゾイさんの話です。


理論的に云々とかじゃなしに。また、言い負かす/論破する/従わせる、といったことでもなく。

自分が正しいと信じているものを、同時に疑いの目で見ることができるくらいの公平さをアクティベートしたならば、その「正しさ」とやらがどの程度のものなのか、自ずと見えてくるものでしょう。


自分の人生を否定されたら困るから、躍起になって正しさを主張するのですよ。
生まれてこの方、仕方なしに、あるいは選んでなってきた自分というものを揺さぶられないために、「本当はこうしたかった」を掘り起こされないために、異なる意見や価値観に対し防御体制を執るのです。

いっそのこと、なりたかった方の自分になってしまえばいいんじゃないでしょうか。
残りの人生を常に警戒状態で暮らし、争い、疲労困憊しながらどうにかやっていくのと、固着した舵を思いきって直して動かすのと、どちらが楽でしょうか。


相手の主張は、相手の人生において正しいのです。
公平でないだとか、理不尽であるだとか感じるとしたら、それはその方の人生がそうだから。
それはそのまま放っておきましょう。
こちらはこちらの人生を歩んでよいのです。
あなたの心はあなたにのみ従い、しかもあなた自身にもねじ伏せることなどできないのですから。

ペリドット?宝石がなにさ

2020-08-14 07:56:26 | GEYSER
いつか痛みさえ愛せる時が来ます。
罪さえ心が引きちぎれるほど愛しく思える時が来ます。
心臓に穴があいたって構わない、私こそがこの世界に君臨する太陽、と思える時が来ます。


石がなくちゃ輝けないような自分ですか?
自分こそが輝く宝石だとは思わないですか?
わたしたち人間は生きていますよ。
そりゃ宝石よりは汚いです。
悠久の時をかけて醸成された宝石とは違ってブレるし穢れるし、宝石の目からすれば瞬きにも満たないほどの間にあっけなく割れたり砕けたり壊れていく生命ですよ。

けれど、宝石が光らない暗い夜道でも、わたしたちは夢や希望に燃えて歩くことができます。
心の内に灯火を掲げて歩いていくことができます。


石は、石です。
使いこなしてなんぼのもんです。
わたしちを別人にしてくれるものではありません。
各々が各々にとっての最強の宝石であり、各々の世界に君臨する太陽なのですから、それに勝るものなどそう多くはないのです。