暑くなってまいりました。
無理のなきよう
8月向けの伝道板更新です。堀田貫主のことば 7月26日更新(山門の横、おでん屋売店前)
安居なきに非ず、我に安心なきなり 墨子
解説
安じている場所がないわけではない。安じる心がないから安居がないのである。安心、満足があればいかなる場所、境遇でも安居はあるはずである。釈尊の「少欲知足」が思い出されます。
それでは夢、希望がないと云われるが達されると「不安」に襲われてきます。
暑くなってまいりました。
無理のなきよう
8月向けの伝道板更新です。堀田貫主のことば 7月26日更新(山門の横、おでん屋売店前)
安居なきに非ず、我に安心なきなり 墨子
解説
安じている場所がないわけではない。安じる心がないから安居がないのである。安心、満足があればいかなる場所、境遇でも安居はあるはずである。釈尊の「少欲知足」が思い出されます。
それでは夢、希望がないと云われるが達されると「不安」に襲われてきます。
7月上 から 山門横の伝道板の堀田 貫主のひとこと
愚にして自ら用うることを好む
(ぐにしてみずからもちうることをこのむ) 中庸
(解説)
愚かな者でありながら我をはって自分の意見を強く主張する。その種の人間は
災いが必ず自分の身に及ぶものである。 愚も愚を守れば愚ならず。愚者もやはり自ら守るところを
知らなければならない。
もったいない話ですが当山の開山上人は「勢誉 愚底上人」(せいよぐてい)です。
御自ら名乗られたお名前です。
高明を極めて 中庸による。
(こうみょうをきわめてちゅうようによる)
学問でも行為でも 高い明らかな研究を極めることはよいが いざそれを実行し 発表する場合には平凡な形によるべきだ。 ましてや高明を極めたものであれば言行ともにかえって平凡に中庸になるものである。
「実るほど頭の下がる稲穂かな」人は「謙虚けんきょ」が一番大切であります。
(7月度伝道板より 堀田貫主のことば)
今日は群馬県でなんと39.2度という恐ろしい気温になりました。
日中一時間 炎天下にて坪庭清掃をしましたら 体調が悪くなりました。皆さまもご無理なきよう・・・・
さて今日は大樹寺小学校の生徒さんが松平 墓所や境内のよごれたところを清掃してくださいました。炎天下でしたが本当に一生懸命活動いただき見違えるほどきれいになりました。
ありがとうございました。皆さまのおかげにより 大樹寺は保たれています。
今日は暑くなりましたが 東京都の方から お花が届きました。
ステキなご家族 お母様と息子様からの贈り物です。
早速 本尊様の前にお供えさせていただきました。
K様このたびはありがとうございました。
ご加護ありますように 素敵な日々を送っていただけますように・・・
阿弥陀様にお願いしておきました。
今日は所用のついでに直接お礼に職員が伊賀八幡宮様にうかがいましたところ
なんと また 蓮をいただいてきました。
早速 徳川将軍家の位牌をまつる位牌堂の徳川家光公作の徳川家康公木造の前にお供えさせていただきました。
今の見ごろの蓮 宝物の蓮は徳川家ゆかりのご縁にて特別にご許可をいただいたものです。
くれぐれも取ることはやめてくださいね。
伊賀八幡宮のホームページhttp://www.igahachimanguu.com/
こんにちは。
蒸し暑い日が続いています。
どうぞお体にお気を付けください。
さて、今日はいつもボランティアで大樹寺をきれいにしてくださる方が同じ岡崎市内にあります徳川将軍家伊賀八幡宮様より蓮をご無理を申しましていただいてみえました。
伊賀八幡宮様は大樹寺創建の4代松平親忠公が創建なさいまして将軍家ゆかりの八幡宮様です。
徳川家康公も大きな合戦の際には必ず参詣され3代将軍家光公が祖父である家康公を東照大権現としておまつりなさいました。それからも将軍家の崇敬が高く本殿、隋身門、神橋など目にする建造物のほとんどが国重要文化財に指定されておられます。
今 伊賀八幡宮様の蓮池の蓮が見ごろを迎えており連日 テレビなどで話題になっています。すばらしいありがたい景観に多くの方でにぎわいます。どうぞおでかけください。
大樹寺の池にも平成16年ごろに前 貫主 牧 達雄上人が大切にしてみえた蓮がきれいな花をさかせていましたが池に生息する巨大ミドリガメによって根が食いつくされてしまい絶えてしまいました。
何年かぶりにご縁がありましてこのようなかたちで 本尊様の前にお供えできましたこと非常にありがたいことです。伊賀八幡宮様、特別とはいえ 大切な蓮の花をいただきまして本当に感謝しております。ありがとうございました。
今後とも徳川将軍家ゆかりの神社、仏閣としてよろしくお願い申し上げます。
合掌
★伊賀八幡宮様のホームページはこちらhttp://www.igahachimanguu.com/
憤せざれば啓せず
「ふんせざればけいせず。」(孔子の教育法)
伝道板のことばです。
熱情のないものに実りはない。教えを受けるものになお、理解を求めて苦しみ追求する熱心さがなければ、その上これを啓き(ひらき)教えても無駄だ。
「憤」はもう少しというところで合点のいかぬときのもどかしさの意味。「憤せざれば発せず」と合わせて「啓発」(けいはつ)の語が起こった。
実に厳しい教育法である。今はこれがない!
( 堀田岳成貫主の伝道板のことばより)