更年期の箱の中

更年期の毎日の中で思うことなどを書いています。

美容院を変えちゃったぞ

2023-02-12 10:13:00 | 更年期のお悩み

美容院を変えました!先日のマイナス我慢をやめる宣言を受けて、その第一弾として実行に移したのがこれです。

これまで何回も引っ越しをした話は以前書きましたが、引っ越しをするたびに結構困ったのが美容院探し。今の住処へ引っ越して来た時も、しばらく美容院を探して毎月ホットペッパービューティーのお世話になりました。その前に住んでいたところでお世話になっていたスタイリストさんとの相性がとても良かったことと、引っ越し前と引っ越し先の街の規模感というか繁盛感に大差がある(選択肢の数が激減する)ので、それを踏まえて私に合う美容院を見つけることは難しいかもしれないという諦めの準備をして挑みました。

美容院探しはすごく難しくて、まずは価格帯と、美容院という箱の雰囲気との相性みたいなものと、その中にいらっしゃるスタイリストさんの誰に当てがわれるか(運)の3大要素の絡み合いがあり、それらすべてが噛み合ったことがこれまでの人生の中で3回しかありません。母数は、母数はもう3桁になるんじゃないかな?

私は毎月美容院に行きます。私の頭部で極々まだらに市民権を取得中の白髪メンテナンスには時間とお金がかかります(これはまた別の機会に絶対に書きます)。カット+カラー+トリートメントのメニューには少なくとも2時間半はかかるので、毎月、仕事ではない日の少ない自由時間を一緒に過ごす相手選びには慎重にならざるを得ません。

ホットペッパービューティーで振り分けられるところは価格帯と箱の雰囲気。箱の雰囲気はそれでも画像と実際に行ってみての体感とのギャップはかなり大きいことは大前提として、どうにもならないロシアンルーレットがスタイリストさんとの相性です。

引っ越し後の1年間は毎月美容院を変えてみて、スタイリストさんと毎回やらなきゃいけない自己紹介的なトークに疲れ果ててもいて、他の選択肢もなくなりつつあったので、「今日ここのスタイリストさんがイマイチでも、しばらく通うことにしよう」と決めて入った美容院で当てがわれたスタイリストさんに、先月まで4年間ずっとお世話になっていました。

微かな記憶を辿ると、初回もしっくり来ていたわけでは無かったけれど、美容院を変えるという退路を断っていたことと、次回の予約時に初回とは違うスタイリストさんを指名することが小心者の私にはできなくて、そのままズルズルと4年間、思考停止状態のまま髪のメンテナンスをお任せして来ました。

思考停止状態だったとは言え、ロングからボブに、ボブからショートに、つまりカットの技術が問われるイメージチェンジのあとはクエスチョンマークが浮かぶことも。。。「これ、オシャレじゃなくない?」

4年間も毎月通うと、しかも毎回2時間半から3時間も話をすると、「飲みに行きましょう!」とはならないまでも、お互いの家族構成から始まって生い立ちや生き方論や考え方のことまで話すことにもなり、結構知り合ってしまうのです。そうするとなんか噛み合わないなと思っても、髪型がしっくり来ないなと感じても、惰性で通い続けてしまったというか、そう思ってしまうことをスタイリストさんに対して申し訳なく感じてしまうようになり、美容院を変えるなんていう発想は浮かんでこなくなったのです。

それと、これは自分の中に確実にあったのに気づいていないフリをずっとしていたこと。もう40代のいわゆるオバサンの髪型がオシャレかどうか、スタイリストさんとの相性どうのこうのなんて、気にすること自体いい加減にしたら?的なことを、小さな声で自分に言い聞かせ、「でもオシャレじゃないんだもん」と歯向かう自分をなだめすかしていたのです。オシャレかどうかは私より若いスタイリストさんの方がよく知っているはずとか、スタイリストさんも40代のオバサンのオシャレの完成度には手を抜いて当然なのかも、とか。

「40代のオバサン」偶像と自分自身との間に橋が掛かって無くて、「40代のオバサン」偶像の崖っぷちから靄に包まれた自分自身の陣地の方を眺めてはなんともせつない想いのやり場に困っていた、そんな感じです。

そこで、マイナス我慢の潮時を迎えた私は、いよいよ久しぶりにホットペッパービューティーを開き、4年ぶりに違う美容院を予約して、初めて会うスタイリストさんに「今の髪型はオシャレじゃないと感じているのでオシャレにしてほしいです」と伝えました。

結果にはとても満足しています。髪型も気に入っている上に少し高揚感もあって、これは自己肯定感が上がったということなのではないか?と自問しています。


マイナス我慢の潮時

2023-02-11 13:51:13 | 更年期のお悩み

最近胃痛がひどく、先週は胃が痛くて夜中に目が覚めることもあって流石に病院に行きました。診察の結果、いくつか薬を処方してもらってしばらく様子見です。

この胃痛と並行してイライラする日が続きました。特定できる事象に対してすごくイライラしているのではなく、なーんかイライラするわーというやつです。いつもだったら「もうすぐ生理かな?」くらいで片付けていたけれど、今回のイライラはちょっと粘度が強い気もして、胃が痛いっていうのに更にイライラもしていてまったくもってめんどくさいのでした。

そんな状態のピークがやってきました。ハンガーに掛けていた夫の上着が落ちていたので、それを拾って掛け直していた時に、「あー、落としたー」と放った夫の一言に反応してしまいました。普段だったら聞き流して次の瞬間忘れてしまうようなことも、その日はイライラの粘度がそれを逃さず捕まえて「私は落ちていたものを拾って掛け直してるんですけど、私が『落とした』とコメントすることで、あなたは良い気持ちになるんですか?」なんて、言ってしまいました。

夫と私はほとんど喧嘩をしません。言い争いはしたことがありません。夫に対して私が、私に対して夫が嫌味を言ったり声を荒げることなんてありません。なので些細なことで私が突っかかったことに夫はびっくりしているようでした。もれなく私もびっくりしました。

そもそも夫に突っかかるつもりもなく、突っかかるような大事な理由もなかったので、夫にはその後、なんかイライラしているのでいつもとは違う反応をしてしまったことを謝りました。

その後に考えてみました。なんでイライラしているんだろう?まず、朝目覚めてから夜寝るまで、意識のどこかに胃が痛いというのが入っていること、病院に行ったり、いつものルーティーンと違うことが入ったこと、病院に行ったことで仕事のスケジュールが少し押し気味になっていること、挙げればそれらしい理由は幾つでも出てきますが、なーんかしっくりと腹落しません。なので深掘りしていきました。

まず、夫との共同生活についてです。夫も私も「ちゃんとしている」ことを大切にする性質があります。家庭の中のことで言えば、料理以外の家事は役割分担をしていて、(お互い再婚同士なので)結婚する前は一人でやっていたことを、同じクオリティで半分だけすれば良くなったので楽チン三昧。特に洗濯物の干し方やたたみ方や扱い方(脱いだものを脱いだ所に脱ぎっぱなしにしない、たたんだものをたたんだ所に置きっぱなしにしない)が妥協や無理なく合っている事は、私たちの共同生活の幸せポイント=ストレス軽減ポイントが一番高い所です。

家庭の運用方法の中で夫と私に目立った違いがあるとすれば、夫は料理をしない代わりに「ちゃんとしてますか?パトロール」をしてしまいがち。あまりにも「ちゃんとしている」ことが当たり前過ぎて、「自分はちゃんとしてますけどあなたはどうですか?」的な圧が無いことも無く、私の場合は夫が「できない」と言い張る料理をしているので、「私は料理をしていますが何か!」という別の圧を返して均衡を保っています。

先日の件でも夫は「ちゃんとしてますか?パトロール」中に上着が落ちていたら気になるし、自分が落としたのでなければ私が落としたことになるので、「あー落としたー(落とした人が拾って元に戻すことは当たり前ですよね)」と言ってしまうのです。夫と私の共同生活の中では、このコメントに悪意はないのです。それでもやはり、その犯人探しみたいな視点と言い方、どうにかならないだろうか?ということを伝えてみました。

それまで夫がパトロール中に悪意なく放って来た言葉の数々にも、受け流す前に一旦我慢を挟んでいたのでしょう。せっかくそれが意識の表面に上がってきたので、これからの共同生活を少し良いかたちで継続していくために夫に改善を促した。この一連の流れが私を新境地へ誘い、この次の日に自分に対して「もう生産性のない我慢をすることをやめよう」という宣言をしました。

生きていく上で、必要な我慢もあるんだと思います。捉え方次第だとも言えますが例えば、何か欲しいものがあるからしばらくは節約をするというのは生産性のある我慢。ひとまわり大きな目標を達成するために、目の前のことを我慢するケース。生産性のない我慢というのは、自分が飲み込んでしまえば荒波立てずに済むケース。つまり「無かったこと」にする我慢。

私はこの狭小新境地で声高らかに「美容院を変えちゃうぞ!」ともう少し具体的な宣言をするのでした。


引っ越しし過ぎ

2022-12-08 14:11:52 | 更年期のお悩み

 これまでの人生、引っ越しを20回しました。19歳で実家を出る前が2回、それ以降が18回。なので18回は自分の意思で引っ越しをしており、最後の20回目の引っ越しは4年前で、その時は転勤と再婚のタイミングを合わせて、再婚相手が住まう地方に越してきました。

 それまではずっと日本国内では関東圏の都会近郊で生活していたことと、19歳から30代前半までは海外に住んでいたので、「地方」に対して無意識に偏見を持っていたような気がします。越してきてしばらくは、視界に高層ビルがないこと、駅に人がまばらなこと、満員電車が走っていないこと、個人経営のお店が多いことなど、プラス面の環境変化が新鮮でした。それ以降は、やっぱり探しても探しても文化的なインプットと刺激が絶望的に無いことが、ダラダラと気になっています。文化も実家も果てしなく遠い。これが20代・30代の頃だったらとても苦しかったはずです。50代を目の前に控えた今は、文化は旅費というプラスαを支払って取りに行けばいいと考えてはいます。でもそこまでするのが億劫で、インプットを求めて活発に出かけることも少なくなりました。

 30年間で20回も引っ越しをするとどうなるかというと、私の場合、モノへの執着が少なくなり、物事と選択の優先度を可動性と効率で見るようになりました。いつでも身軽でいようという意識が常にあります。本のページを捲りながら読書をすることは大好きでしたが、本は引っ越しとの相性が良くないので、余程の思い入れがない限り都度処分してきました。ここ数年はもっぱらKindleで読んでいます。荷造りと荷解きが異様に速いことが自慢です。出張や旅行から帰ってきたら、一息つく前に全ての荷物を瞬時に片付けます。

 こんな風な生活を30年もして来たからなのかどうなのか確かめようが無いけれど、朝、睡眠から目覚めに向かうほんの一瞬の間に、「今目覚めようとしているのはどこの誰なのか」、情報を集め直す時間が必要な時がたまにあります。場所がわからないだけではなくて、一番近い表現をすると「あれ?今って一体どんな設定でやってるんだっけ?」という感覚です。問いかけているのは紛れもなく自分自身なのだけれど、起きようとしているのが誰なのかがさっぱりわからない、まっさらな空間に覚醒します。その空間には時間の感覚もありません。面白いなと思うのは、自分の設定を思い出すプロセスでは、時代と性別をまず確認しようとします。その次に場所を思い出して「あーはいはい、これね!」となって、はじめて「目覚める」ことができます。ひどい時には目覚めてしばらく経っても窓の外など、視覚的な情報を入れないと季節の感覚がわからないという場合もあります。

 この感覚が起きる頻度が少しずつ増えているような気がします。これは生きている=死んでいくという過程にあるあるな現象なのか、それとも、これも更年期障害の症状なのか。婦人科に行ったら聞いてみようと思いつつ、変なおばさんの話なんかまともに聞いてもらえないような気がして、勇気が出ません。


アイメイク

2022-12-06 16:36:31 | 更年期のお悩み

 平日はほぼ会社と家の往復のみで通勤もバス一本。バスもほぼ毎日同じ顔ぶれの同じ時間のバスに乗るだけなので、ここ数年でメイクの手抜きが加速しました。45歳を過ぎた頃から、瞼の上のシワにアイメイクの粒子が流れ込み、本人が気づかないうちに瞼のシワが余計に際立つ変な色の線と化してしまうことから、アイメイクを一旦引退しました。変な色の線に気がついた初期の頃は、それでも抗おうと小まめにトイレに行って、シワの溝に集まった粒子を指でもう一度伸ばしたり、目の周りを保湿するクリームを塗ったりのお手当をしましたが、めんどくさいのと、何よりも気にすること自体アホらしくなり、アイメイクに関するコスメを全て断捨離して数年が経ちます。

 先週あたりから、なぜか急にアイメイクを再開しました。インスタで同年代の方たちがアイメイクを楽しむ様子を見たからなのか、イギリス人のPodcast番組でコスメに「アンチエイジング」という単語を使うのがタブー視される時代になっていることを聴いたからなのか、視覚と聴覚の刺激が脳内で反応し合ってアイメイクをしたくなる指令信号に変わったような感じです。

 思い立ったら吉日的な行動力だけはあるので、なるべく粒子の細かいシャドウと、ダマになりにくいマスカラと、老眼進行中の目にも扱いやすそうなアイラインを入手して、アイメイクを再開しました。先週1週間は日常生活の中で相変わらず色々あったのに(買い替えた洗濯機が洗濯機置き場には余裕で入ったのに、洗面所のドアに突っかかってドアが閉まらなかったので泣く泣く返品したことなど)、控え気味に言っても気分が良く、これは続けよう!となって、今日はアイシャドウのパレットを追加購入しました。賞与が出たばかりなので、デパコスのカウンターに行きました。欲しかった色合い(無難なゴールド系)をつけてみたら他の色も気になって仕方がなくなり、またアイメイク用の下地があると「発色も持ちも全然違うんですよ」とデパコスのお姉さん(私よりもお若いはず)に言われ、まんまと買ってしまいました。

 アイメイクを再開してまだ間もないけれど、アイメイク無しで過ごした日々よりも、目をしっかり見開いて物を見ているような気がします。マスカラもアイラインもしていると、無意識に目をちゃんと開こうとするものなのでしょうか。そうすると瞼のシワはもっと深くなるのでしょうか。そうであったとしても、今のところそれは別にいいやと思えるほど、とにかくすこぶるでも控えめに、気分がいいです。