前回の同タイトルのブログでは、カウンセリングを受けていること、カウンセリングを受け始めたきっかけ(人生の棚卸しと困った知人への対応策)、知人にはパーソナリティー障害の特性が見られてとても不安定な状態であること、知人のパッシブ-アグレッシブ(受動的攻撃性・行動)に振り回されて疲弊してしまうこと、そしてカウンセリングの2つの目的が連結し始めたことを書きました。
つい最近、例の知人が我が家に数日間滞在して帰って行ったので、続きを書こうと思います。
まず、私のカウンセリングですが、やっぱり50年も生きると人生の棚卸しはとてもしんどいものです。日常のルーチンで蓋をして見向きもしなくなっていた若かりし頃の記憶に集中し、掘り起こし、その時の感情に想いを馳せる。この非移動型タイムマシーンの旅は脚力が要るものでした。どういう意味かというと、過去の記憶や感情に焦点を当てようとすると、自分の存在の足元が揺らぐ感覚に陥ってしまい、カウンセリングセッションの後は異様に疲れるということがありました。そしてなぜか顔が真っ赤になるという現象も起きました。カウンセリングの時間内に自分で言葉にできなかったことは、その後も引きずって考えていたので、通常の更年期障害の目眩に更に高速スピンをかけたような感じでした。また自分の意識の奥にある感情の領域に接続した心理状態はとても無防備で、メランコリックというのか、刺激に弱くて傷つきやすい心を抱え、身体がまたまたフラフラするのでした。こういった反応は全て想定の範囲内ではあったものの、10代の頃の実家での生活や、当時の感受性と同期して両親を思ったりすることは、まぁ痛々しい作業でした。
というのも、私は父との関係性が上手く築けないまま大人になってしまって、今でも父と二人きりで語らうことができません。父は厳格な人で、その厳しさは躾の範囲を超えていて、幼少期のかなり早い段階から父には何を言っても一言目に否定されると感じるようになり、直接話し掛けた記憶はほぼありません。ただやはり親娘は複雑で、私は父を心から尊敬し愛しています。父に認められたい思いは人一倍強かったと思います。私には兄弟がいますが、父との関係が拗れているのは私だけです。
そんな家庭の中で、いつも父とのコミュニケーションの橋渡しをしてくれていたのが母です。私は父に直接話しかけることができなかったので、父への相談事はいつも事前に母に話し、夕飯の時間に母が口火を切って話を振ってくれて、父の反応次第で私が話し出すという段取りになっていました。母は、父が仕事から帰宅した瞬間にその日のご機嫌を察知し、父のその日のお臍がどこにあるか、ジェスチャーで報告してくれました。お腹の真ん中にある時は機嫌が良い(今日は話をするのに良いタイミング)、お腹の横にある時は不機嫌・職場で何かあったらしい(なので、父への相談事やお願い事は別の機会にした方がいい)、お臍が背中まで回っている時はお怒りモード(なので、夕飯の時間は静かにしていた方がいい)という風に。
それで上手く行っていたかというとそうでもなくて、母が話を振ってくれても父の顔を見るのも怖くて話せないこともあり、そうすると、父に相談をせずに決断や物事を進めてしまって、後日、事後報告を受けた父に烈火の如く怒られるというパターンが多かった気がします。当時は、父はやっぱり私の一挙手一投足が気に入らないんだと、この世の終わりのような被害者モードに入って心を痛めていましたが、今思えば、父はただ単に相談してもらえなかったことが寂しかったのではないか?と、自分も親になり、そういう視点も持てるようになりました。
カウンセリングの中でこういったエピソードを丁寧に掘り起こし、成長期の自分自身の物事の捉え方が、今の私の自己イメージと自尊感情、それらをもっての社会性にどう影響しているのかという分析を行ってきました。
このワークを続けて行くと、時々知人の姿がチラつくようになりました。彼女の「何もできない」アピールとパッシブ-アグレッシブ(受動的攻撃性・行動)が、昔々に私が母を通してやっていたことと重なって見えてきたのです。彼女の目線に立って、彼女の今の状態に思いを寄せることができなくもないことに気づきました。
知人が育った家庭環境は複雑で、様々な事情から、彼女の父親の絶対的な支配のもとに家庭がやっと回っていたと聞いています。子供らしく振る舞ったりわがままを言ったりということも難しいと感じることが多かったそうです。一方で、彼女が結婚する前には「私はお父さんみたいな人と結婚する」と言って憚らない一面もありました。彼女がメンタル不調を見せ始めたのは、就職のために実家を出た頃からだそうです。
これは、私の想像の中だけの解釈ですが、彼女が私に対して執拗に「何もできない」アピールとパッシブ-アグレッシブ(受動的攻撃性・行動)をするのは、自分を認めて欲しい、注目してほしい、助けて欲しいという愛情を求める心の叫びなのではないか?両親からの安定的な愛情を受けて健全な自己イメージを形成することができずに大人になってしまい、実家から離れて生活し始めた途端、それまでは物事の判断の絶対的な指標であった父親の存在がない中で、自己イメージをどこへ投影すれば良いかわからなくなってしまったのではないか?つまり、だいぶ飛躍しますが、自己認識の評価の軸が完全に父親依存になっているのではないか?
私にとって非常に面倒なのは、彼女が愛情を求める対象は彼女の両親であり、決して私個人ではないにも関わらず、代替案として私にパッシブ-アグレッシブをして要求を満たしていることです。彼女の人間関係の中で、私が親っぽい存在に一番近い機能を持っていると狙いが定まり、ターゲットになったのだと思っています。
彼女の私への意思伝達方法であるパッシブ-アグレッシブについて、ものすごく簡単な例を挙げておきます。例えば、外がめちゃくちゃ寒いので彼女は出かける前に私のコートを借りたいと思っているとします。その時に彼女は「あー、外寒そうだな、こんな薄着で大丈夫かな?」「心配だな、大丈夫かな?」「ねえ?外すっごく寒そうだよね?大丈夫だと思う?」と、私の後をチョロチョロついてきてずっと喋り倒します。「厚手のコートを持ってきていないから、コートを貸して欲しい」と言えないのです。いつもこの方法で要求を執拗に伝えてくるので、いつからか癪に触るようになってしまいました。以前の私は、彼女の体調のこともあるので、外が予想外に寒いと感じたら「コートを貸してあげようか?」って自ら提案したりしていましたが、最近では、彼女がコートを借りようとしてパッシブ-アグレッシブを始めると、それをスルーしようという意地悪も混ざった考え方をするようになりました。
それから、距離の取り方にも問題があります。彼女は私と二人きりの時はずーっと、私にピッタリとくっついて自分のことを喋り続けます。例えば、私が仕事から帰宅してお風呂掃除をするとします。すると、お風呂場の入口に立ってずーっと喋り倒します。こちらが何をしているかとか、家の中の動線には全く無頓着なのです。もう一つの例として、私がリビングでソファに座っているとします。そうすると私の目の前にオットマンを引っ張ってきて、目の前1メートル以内の位置にラッチオンして私の視界を完全に独占して喋り倒します。これが家族だったとしてもかなりの圧迫感で不快になる距離です。
これらのエピソードはあくまでも他愛のないものです。実際には、もっとおどろおどろしい展開が満載なのですが、そこは割愛します。こんな彼女が数日間家にいると、それはそれは疲れました。これまでは、彼女が帰った翌日は確実に仕事を休んで一日中放心することが必要でした。頭の中はモヤモヤして、彼女とのやり取りを反芻しては、一人でイライラしてそれをどうにもこうにも処理できなかったのです。
今回、カウンセリングを受け始めて初めての知人対応を終えて、様々な改善が見られました。まず、彼女のメンタルの状態は彼女自身が気づいて自分で解決しなければいけない問題であり、私には関係ないという線引きを、心の中でできるようになったこと。「線引き」は難しいです。でも、この宣言文を頭の中に刻んでおくだけでも、心の乱れがだいぶ落ち着くことが実感できました。それから、彼女の実際の言動の中で、私の心に特に引っ掛かりを残した事実、その事実を私がどう解釈したか、私が取った対応、所感、それを細かなエピソード毎に表に書き出して整理しました。それから、パーソナリティ障害の分類の中から、彼女の言動に当てはまるものを私個人の解釈で紐づけました。境界性、自己愛性、依存性、強迫性、それからパーソナリティ障害の分類の枠外ですが、受動的攻撃・行動。主にこの5点の特性の中に当てはまるものが多いので、整理をしました。
それには時間とかなりの労力を費やしました。書き出したものを読み返すと、頭の中のモヤモヤが晴れて行って、翌日には彼女のことを悶々と考えることをしませんでした。なんということでしょう!もちろん、仕事を休む必要もありませんでした。驚異的です!
パーソナリティ障害について調べると、どの記事や資料にも、治療には本人の自覚と主体的な取り組みが大前提ということが書かれています。今の彼女には、自分を客観視することは難しそうです。かと言って私から何かを示唆することは考えていません。あくまでも私の中で、彼女の特性についての情報と自分なりの対応方法を持っておくことが必要だと考えています。私が自分の心の健康を守るための手段です。
私のカウンセリングはまだまだ続きます。これはもう、自分のメンテナンスのために、美容院に行くのと同じ感覚で続けたいと思っています。とても相性の良いカウンセラーさんに出会えたことにも感謝です。50歳にもなる今だからこそできる贅沢なのかもしれません。
いつか私の知人も、人生の中で難しいと感じることにパターンを見出して、自ら専門家のサポートを求めて行って欲しいなと思います。それまでは、周囲の人を巻き込んで依存しながら生きていくのかもしれません。それで彼女が困っても、それは彼女自身の問題であり、私みたいな人が薄っい母性で反応して、彼女の屈折した要求に応え続けることでは、決して彼女の状態を改善することはできないのだと、今は割と冷静に理解することができています。
今回で調子に乗ってしまわないように、ガードを高く頑張っていこうと思ってはいます。