更年期の箱の中

更年期の毎日の中で思うことなどを書いています。

二重螺旋の心理 2

2023-02-03 17:55:46 | メンタルヘルス

前回の同タイトルのブログでは、カウンセリングを受けていること、カウンセリングを受け始めたきっかけ(人生の棚卸しと困った知人への対応策)、知人にはパーソナリティー障害の特性が見られてとても不安定な状態であること、知人のパッシブ-アグレッシブ(受動的攻撃性・行動)に振り回されて疲弊してしまうこと、そしてカウンセリングの2つの目的が連結し始めたことを書きました。

つい最近、例の知人が我が家に数日間滞在して帰って行ったので、続きを書こうと思います。

まず、私のカウンセリングですが、やっぱり50年も生きると人生の棚卸しはとてもしんどいものです。日常のルーチンで蓋をして見向きもしなくなっていた若かりし頃の記憶に集中し、掘り起こし、その時の感情に想いを馳せる。この非移動型タイムマシーンの旅は脚力が要るものでした。どういう意味かというと、過去の記憶や感情に焦点を当てようとすると、自分の存在の足元が揺らぐ感覚に陥ってしまい、カウンセリングセッションの後は異様に疲れるということがありました。そしてなぜか顔が真っ赤になるという現象も起きました。カウンセリングの時間内に自分で言葉にできなかったことは、その後も引きずって考えていたので、通常の更年期障害の目眩に更に高速スピンをかけたような感じでした。また自分の意識の奥にある感情の領域に接続した心理状態はとても無防備で、メランコリックというのか、刺激に弱くて傷つきやすい心を抱え、身体がまたまたフラフラするのでした。こういった反応は全て想定の範囲内ではあったものの、10代の頃の実家での生活や、当時の感受性と同期して両親を思ったりすることは、まぁ痛々しい作業でした。

というのも、私は父との関係性が上手く築けないまま大人になってしまって、今でも父と二人きりで語らうことができません。父は厳格な人で、その厳しさは躾の範囲を超えていて、幼少期のかなり早い段階から父には何を言っても一言目に否定されると感じるようになり、直接話し掛けた記憶はほぼありません。ただやはり親娘は複雑で、私は父を心から尊敬し愛しています。父に認められたい思いは人一倍強かったと思います。私には兄弟がいますが、父との関係が拗れているのは私だけです。

そんな家庭の中で、いつも父とのコミュニケーションの橋渡しをしてくれていたのが母です。私は父に直接話しかけることができなかったので、父への相談事はいつも事前に母に話し、夕飯の時間に母が口火を切って話を振ってくれて、父の反応次第で私が話し出すという段取りになっていました。母は、父が仕事から帰宅した瞬間にその日のご機嫌を察知し、父のその日のお臍がどこにあるか、ジェスチャーで報告してくれました。お腹の真ん中にある時は機嫌が良い(今日は話をするのに良いタイミング)、お腹の横にある時は不機嫌・職場で何かあったらしい(なので、父への相談事やお願い事は別の機会にした方がいい)、お臍が背中まで回っている時はお怒りモード(なので、夕飯の時間は静かにしていた方がいい)という風に。

それで上手く行っていたかというとそうでもなくて、母が話を振ってくれても父の顔を見るのも怖くて話せないこともあり、そうすると、父に相談をせずに決断や物事を進めてしまって、後日、事後報告を受けた父に烈火の如く怒られるというパターンが多かった気がします。当時は、父はやっぱり私の一挙手一投足が気に入らないんだと、この世の終わりのような被害者モードに入って心を痛めていましたが、今思えば、父はただ単に相談してもらえなかったことが寂しかったのではないか?と、自分も親になり、そういう視点も持てるようになりました。

カウンセリングの中でこういったエピソードを丁寧に掘り起こし、成長期の自分自身の物事の捉え方が、今の私の自己イメージと自尊感情、それらをもっての社会性にどう影響しているのかという分析を行ってきました。

このワークを続けて行くと、時々知人の姿がチラつくようになりました。彼女の「何もできない」アピールとパッシブ-アグレッシブ(受動的攻撃性・行動)が、昔々に私が母を通してやっていたことと重なって見えてきたのです。彼女の目線に立って、彼女の今の状態に思いを寄せることができなくもないことに気づきました。

知人が育った家庭環境は複雑で、様々な事情から、彼女の父親の絶対的な支配のもとに家庭がやっと回っていたと聞いています。子供らしく振る舞ったりわがままを言ったりということも難しいと感じることが多かったそうです。一方で、彼女が結婚する前には「私はお父さんみたいな人と結婚する」と言って憚らない一面もありました。彼女がメンタル不調を見せ始めたのは、就職のために実家を出た頃からだそうです。

これは、私の想像の中だけの解釈ですが、彼女が私に対して執拗に「何もできない」アピールとパッシブ-アグレッシブ(受動的攻撃性・行動)をするのは、自分を認めて欲しい、注目してほしい、助けて欲しいという愛情を求める心の叫びなのではないか?両親からの安定的な愛情を受けて健全な自己イメージを形成することができずに大人になってしまい、実家から離れて生活し始めた途端、それまでは物事の判断の絶対的な指標であった父親の存在がない中で、自己イメージをどこへ投影すれば良いかわからなくなってしまったのではないか?つまり、だいぶ飛躍しますが、自己認識の評価の軸が完全に父親依存になっているのではないか?

私にとって非常に面倒なのは、彼女が愛情を求める対象は彼女の両親であり、決して私個人ではないにも関わらず、代替案として私にパッシブ-アグレッシブをして要求を満たしていることです。彼女の人間関係の中で、私が親っぽい存在に一番近い機能を持っていると狙いが定まり、ターゲットになったのだと思っています。

彼女の私への意思伝達方法であるパッシブ-アグレッシブについて、ものすごく簡単な例を挙げておきます。例えば、外がめちゃくちゃ寒いので彼女は出かける前に私のコートを借りたいと思っているとします。その時に彼女は「あー、外寒そうだな、こんな薄着で大丈夫かな?」「心配だな、大丈夫かな?」「ねえ?外すっごく寒そうだよね?大丈夫だと思う?」と、私の後をチョロチョロついてきてずっと喋り倒します。「厚手のコートを持ってきていないから、コートを貸して欲しい」と言えないのです。いつもこの方法で要求を執拗に伝えてくるので、いつからか癪に触るようになってしまいました。以前の私は、彼女の体調のこともあるので、外が予想外に寒いと感じたら「コートを貸してあげようか?」って自ら提案したりしていましたが、最近では、彼女がコートを借りようとしてパッシブ-アグレッシブを始めると、それをスルーしようという意地悪も混ざった考え方をするようになりました。

それから、距離の取り方にも問題があります。彼女は私と二人きりの時はずーっと、私にピッタリとくっついて自分のことを喋り続けます。例えば、私が仕事から帰宅してお風呂掃除をするとします。すると、お風呂場の入口に立ってずーっと喋り倒します。こちらが何をしているかとか、家の中の動線には全く無頓着なのです。もう一つの例として、私がリビングでソファに座っているとします。そうすると私の目の前にオットマンを引っ張ってきて、目の前1メートル以内の位置にラッチオンして私の視界を完全に独占して喋り倒します。これが家族だったとしてもかなりの圧迫感で不快になる距離です。

これらのエピソードはあくまでも他愛のないものです。実際には、もっとおどろおどろしい展開が満載なのですが、そこは割愛します。こんな彼女が数日間家にいると、それはそれは疲れました。これまでは、彼女が帰った翌日は確実に仕事を休んで一日中放心することが必要でした。頭の中はモヤモヤして、彼女とのやり取りを反芻しては、一人でイライラしてそれをどうにもこうにも処理できなかったのです。

今回、カウンセリングを受け始めて初めての知人対応を終えて、様々な改善が見られました。まず、彼女のメンタルの状態は彼女自身が気づいて自分で解決しなければいけない問題であり、私には関係ないという線引きを、心の中でできるようになったこと。「線引き」は難しいです。でも、この宣言文を頭の中に刻んでおくだけでも、心の乱れがだいぶ落ち着くことが実感できました。それから、彼女の実際の言動の中で、私の心に特に引っ掛かりを残した事実、その事実を私がどう解釈したか、私が取った対応、所感、それを細かなエピソード毎に表に書き出して整理しました。それから、パーソナリティ障害の分類の中から、彼女の言動に当てはまるものを私個人の解釈で紐づけました。境界性、自己愛性、依存性、強迫性、それからパーソナリティ障害の分類の枠外ですが、受動的攻撃・行動。主にこの5点の特性の中に当てはまるものが多いので、整理をしました。

それには時間とかなりの労力を費やしました。書き出したものを読み返すと、頭の中のモヤモヤが晴れて行って、翌日には彼女のことを悶々と考えることをしませんでした。なんということでしょう!もちろん、仕事を休む必要もありませんでした。驚異的です!

パーソナリティ障害について調べると、どの記事や資料にも、治療には本人の自覚と主体的な取り組みが大前提ということが書かれています。今の彼女には、自分を客観視することは難しそうです。かと言って私から何かを示唆することは考えていません。あくまでも私の中で、彼女の特性についての情報と自分なりの対応方法を持っておくことが必要だと考えています。私が自分の心の健康を守るための手段です。

私のカウンセリングはまだまだ続きます。これはもう、自分のメンテナンスのために、美容院に行くのと同じ感覚で続けたいと思っています。とても相性の良いカウンセラーさんに出会えたことにも感謝です。50歳にもなる今だからこそできる贅沢なのかもしれません。

いつか私の知人も、人生の中で難しいと感じることにパターンを見出して、自ら専門家のサポートを求めて行って欲しいなと思います。それまでは、周囲の人を巻き込んで依存しながら生きていくのかもしれません。それで彼女が困っても、それは彼女自身の問題であり、私みたいな人が薄っい母性で反応して、彼女の屈折した要求に応え続けることでは、決して彼女の状態を改善することはできないのだと、今は割と冷静に理解することができています。

今回で調子に乗ってしまわないように、ガードを高く頑張っていこうと思ってはいます。

 


お米パンと発達障害グレーゾーン

2023-01-16 17:18:15 | メンタルヘルス

週末のお昼ご飯は、パンを食べることが多いです。食べるパンは決まっていて、某ショッピングセンターに入っているパン屋さんのお米パンです。このお米パン、ずっしりとしていて、噛みごたえと程よい甘さに優しい安心感があります。

私はパン屋だけでなくレストランでも、「このお店ではこれ」というものが決まっています。多分、初めて行った時に選んで食べたものが美味しければ、「このお店ではこれ」が決まるので、それで安心してしまうのだと思います。季節限定とか新商品とかに手を出すことはまずありません。メニューであれば他のものにも挑戦したり冒険したりをほとんどしません。

ちなみにお店も限定的になります。お米パン屋はここ、このパン屋ではドライイチジクが入った全粒粉のハード系パン、インドカレーはここ、お蕎麦はここ、などなど。オリジナルのマイルールがあって、例えば出張で他都市に行った時はどうするのかと言えば、49年も生きてると大体のジャンルのレストランを経験してるので、ジャンルごとに頼むものリストが頭に入っていて、そこに当てはまるものから選びます。当てはまるものがなければ、謙虚に謙虚に謝ってお店を出ます。リストに無いものを食べると落ち着かなくて頭が暴走してしまったことがあるので、それを回避するため仕方がないのです。それでも年齢とともに頭の中のリストが充実してきたので、一旦入ったお店を出ることは最近ではありません。これでもだいぶ良くなった方だと思います。

選ぶものや頼むものに悩むことはないのでとても効率的!と本人は思っているものの、その反面、つまんない人間だなと思うこともありました。

つまらない人間といえば、私は小中学校の時から几帳面だったり時間厳守を徹底していたり、忘れ物や物を失くすこともなく、それができない同級生に寄り添うことも共感もできないタイプの本当に可愛げのない子供でした。

同級生たちと血液型の当てっこが始まると、「絶対A型だよね」と私が答える前に確定しました。両親も弟もA型のA型家族、もちろん私もA型で大正解なのですが、それがいつからか「あなたはつまらなそうな人」と言われていると感じるようになりました。その後、高校に入ったくらいの時でしょうか、初見でA型だと当てられないようにするという行動改革を開始しました。目指していたのは”O型”です。O型っぽい感じを自分なりにイメージして、抽象的な表現になりますが、A型の角を取りたいと、当時は切実に願ったものです。

どんなことをしていたのかというと結構くだらなくて、例えば試験や行事の準備とか、もうとっくに準備万端でスケジュールも全て把握しているのに「全然何もしてない」と言ったり、知っていたりわかっていたりすることも、他の人の発言を待つようにしたり、社会人になってからは、自分一人でやれるかやりたいことも人にお願いしたり頼ったりすることを努力してできるようになりました。つまり、行動改革なんかではなく、周りを見ながら公約数的なコミュニケーションが取れるようになった(と本人は思っている)ということです。

それが功を奏してか、30代では「A型かO型?」と疑問形になり、40代以降はまず「O型でしょう?」と言われます。血液型による性格の分類自体にはそもそもあまり興味がなく、それ自体に特に意味はないとも言われていますが、これは血液型どーのこーのの話ではなく、私が無知ながら自分のアスペルガー傾向に気づき、このままでは周りの人達と上手くやっていけないかもしれないという危険を察知し、自分の特性をマイルドにして、限定的な側面だけかも知れないけれど、少しでも生きやすくなろうと頑張った軌跡として記しておいても良いのでは?と思いました。

ちなみに、私は発達障害の診断を受けた訳ではありません。人生の様々な局面で生きづらさを感じ、自分の考え方の傾向やパターンを自分なりに整理してみたその延長線上で、ASD・ADHD・パーソナリティ障害について調べました。その中に思い当たるふしがいくつもいくつもあったので、定期的に受けている心理カウンセリングの中でテストをしてもらいました。その結果、いわゆるグレーゾーン呼ばれるところにあるようです。こういった特性は、年齢とともに落ち着いて行くのだそうです。40代になって、自分のことを少しだけ客観視できるようにもなったので、これからの人生をどうにか穏やかに生きるために、もう一踏ん張りしたいと思います。

 


二重螺旋の心理 

2023-01-05 12:36:22 | メンタルヘルス

 秋頃から、月に数回心理カウンセリングを受けています。心理カウンセリングを受けようと思ったきっかけは2つ。まず、来年50歳になるし、留学・結婚・子育て・離婚・出会い・別れ・子離れ・出会い・再婚、そしてこの人生の悲喜交々を下支えしてきた仕事など、人生のイベントの中で自分が感じてきたことや考えてきたことについて心の処理が追いつかないまま歳だけ重ねてしまった感覚があって、立ち止まることはできないけれど、一旦このタイミングで人生の棚卸をした方が良いと思ったこと。それから、家族を通して知り合った知人との関係が、相手は30歳手前の立派な成人なのにも関わらず、その人の夫まで含めてなし崩し的に疑似子育てのようなものになってしまい、悩んで相談先を探した結果、たどり着いたところでもありました。

緊急性が高かったのは後者の方で、いろんな経験をしてきた中でも初めて会ったタイプの知人に対して、自分の立ち位置を完全に見失ってしまって、身体的な不調にも現れるようになっていました。

知人は端的に言うと、学習障害のない発達障害、いくつかのボーダーラインと自己愛性の特性が混ざったパーソナリティ障害、それと双極性障害のそれぞれの要素を複合的に持っているように、私には映っています。その言動に振り回されているのが彼女の家族でも友達でもない私なのでした。

知人と知り合ってから5年ほど経ちますが、コミュニケーションの取り方や言動がとても不安定で不自然で、且つ、私に対しては操作的というか、いわゆるパッシブ-アグレッシブな態度を取り、こちらは彼女の機嫌を損ねるとめんどくさいので彼女の意図するままに動いてしまいます。日常生活は明らかに健康ではない状態が継続しています。結婚をしているものの、家事はほとんどできないと言い、寝食のリズムもとても不安定です。

会うのは年に数回とはいえ、彼女と過ごす時間をとても苦痛に感じていることに、最近になってやっと気づきました。不思議なのは、彼女の夫と家族を含む周りの人間はあまり影響を受けていないように見えることです。なぜ私だけが苦痛に感じているのかその理由がよくわからないまま、ただ会うたびに疲弊して彼女が帰った翌日には寝込むほどになりました。

 カウンセリングでは、自分の人生の棚卸しとこの知人に関する困りごとを2つの別々のトピックスとして相談し始めたのですが、その2つが二重螺旋のように連結してきたので、ここに整理してみようと思います。でも難しいので上手く書けるかわかりません。

 カウンセリングの効果はカウンセラーさんとの相性に大きく左右される気がしたので、定期的な相談が続けられそうなカウンセラーに巡り合うまで、結果的に4人のカウンセラーに同じ相談をしました。おそらくまず最初に私が求めていたことは、知人の症状について、私の見解が的外れではないことを第三者に確かめてみたかったのだと思います。4人からのフィードバックはほぼ、私の見解と同じでした。中には、知人は入院が必要なレベルかもしれないと言う方もいました。この時点で少しだけ、私の気持ちが落ち着きました。家族が関係する悩み事は、なかなか気軽に人に話せないものです。知人に対して気持ちを乱している私がおかしいのではなく、彼女は病気なのだと、そう思うだけでも少し気持ちが楽になりました。誰かに話をすること、アウトプットの手段を持つことの重要さをしみじみと感じました。

それから、定期カウンセリングが始まりました。

続く

 


落とし所

2022-12-07 16:08:37 | メンタルヘルス

 そもそもブログを書こうと思ったきっかけは、ある事情についての自分の頭と心の処理が追いつかなくなって、すがるような気持ちでNoteに浮かぶままを書いてみたら、ケロッと心が穏やかになったというマジカルな経験をしたので、メンタルヘルスを保つ意味でも、アウトプットの手段として取り組もうと思ったわけです。

 いざブログを開設して「よーし、書いちゃうぞー!」と意気込んでみたものの、その落とし所が定まらなくて悩んでいる模様を今日は書いてみることにしました。

 ある事象というのは、知人の言動によってトリガーされまくっている自分の心の動きのことです。

 この知人との関係は4、5年前、家族を介して始まりました。知人は20代後半の女性で既婚者です。Noteには、この知人についての私の極々個人的な分析をたくさん書いてしまったのですが、ものすごくスッキリした反面、知人に対してどこか後ろめたい気持ちがブクブクと膨らんでしまって、結局、記事を全て削除してNoteを退会しました。

 知人とは日常的に連絡を取り合う中ではなく、あくまでも家族を介しての関係なことと、個人的にその人を人類愛的なスケールでも「好き」と思えず、どちらかというと今は関わりたく無いと感じています。相手がどう思っているのかは全くわかりません。

 それなのにここ数年間、私の頭の中でこの知人が占める割合と、この知人のことを考えるために費やすエネルギー量が2倍速で増え続けています。寝ている時間以外は思考のどこかにこの知人がいます。「取り憑かれる」とはこういう状態を言うのかも知れません。知人について嫌だなと感じることを何度も何度も繰り返し思ったり、前回会った時に知人が言った言葉を頭の中でリピート再生したり、こうまでして好きでもなく興味もない人のことを無限ループにハマって考えてしまう私は、いよいよ医療機関に相談した方が良いのかもしれないと、数ヶ月前から心理カウンセリングを受けています。

 私がアウトプットしたいことは、知人に関する愚痴や、彼女の言動に対する個人的な判断や、私が悩んでいることを知っていて放置する家族への恨みつらみではない、それを今朝の通勤途中に思いました。不思議なことに、それを思った時からほんの少しだけ、嫌な気持ちが抜けました。

 心理カウンセリングでは、知人との関係をきっかけに、彼女の何に対して自分自身のどこが反応しているのかを把握して、今後も続くであろうこの関係の中で、もう少し上手く対処できるようになりたいという相談をしています。もしくは、逃げちゃっても良いんだよと誰かに言って欲しいのかもしれません。今は逃げることに強い罪悪感を感じるので、大脱走するとしてもそれはしばらく先のことになるだろうなと思います。

 刻みますが、47歳くらいから、どんな些細な心身の不調もすべて年齢と更年期のせいにするようになってしまいました。実際に婦人科で更年期障害の診断を受けたわけではないのに、なんかもうこの年齢だからこうなっちゃっても仕方ないよねって、極太マーカーで「更年期」と書いてある大きな段ボール箱に、なんでもかんでも投げ入れて片付いた気になっているというか、片づいだと思い込もうとしているので、もう少し丁寧に、結局何が言いたいのかを明確にして行こうと。なんだ、結局落とし所が見つかりませんでした。