僕がレコーディングに執拗なコダワリを持つのは、ライブとは別物だからだ。
貴方のご自宅のステレオ・システムで心地良く響く音源はすなわち架空の立体感を表現しているもので、実際のライブ会場で聴くものとは別物である。実際のライブ会場(JAZZのライブハウスの様な小さいスペースに限るが)での生音ってのを正確に録音するなら、最近のポータブル・レコーダーは最大のパフォーマンスを発揮してくれる。でも、それを自宅のステレオに繋いで聴けば、ベースは小さいし、細かい音は聴き取れないし、心地良さとはかけ離れている。だから、実際のミックス作業では色んな所をエンファサイズして、バランスを取ったり、リバーブなどの空間系のエフェクトを施して立体感を表現するワケだ。これは、所謂、真の「生々しさ」ではない。バーチャル・リアリティーなのだ。これらのテクニックは、レコーディングという技術と文化が始まって以来、沢山の技術者達が長い歳月をかけて培って来たもので、それらを普通にリスナーとして聴いて来た我々現代人にとっては既に当たり前のモノであるが、僕にとっては憧れでありリスペクトの対象である。だって、バーチャル・リアリティーの世界を見せて「生々しい」と思わせるのだから。
僕はそのバーチャルな世界観を決して「嘘」だとは思わない。ライブのみが「現実」だとも思わない。表現方法が違うだけなのだ。いくらライブ・レコーディングで、音楽家や客席の息遣いを録音した所で、それを聞かせるには強調が必要だ。何かを強調すれば、「嘘」という事になるのだろうか?僕にとってはNOだ。ライブをレコーディングした所で、自宅のステレオで聴いて心地良いものは、全てバーチャル・リアリティーでしかない…と感じるだけだ。
僕はライブ・ミュージシャンとして演奏するわけだが、その時のサウンド・チェックの価値観はレコーディングやミックス時と当然大きく違う。長年、良いミュージシャンに囲まれて演奏して来れたので、お互いの価値観やバランス感覚も良く分かる。お客さんに求められているものも理解した上で、店の「ハコ鳴り」も考慮しながら音作りをして行く。レコーディングを何度もやって来たミュージシャンなら、全員理解している事だが、「ライブとレコーディングは違う」のだ。当然、皆、ライブとレコーディングそれぞれの価値観もしっかり持っている。
昨今、ライブに足を運ぶ人は減り、CDも売れなくなっている。僕にとって、この2種類の「音」はいつまでも魅力的であり、無くなって欲しくない物だ。僕の育って来た環境では、この2種類の「音」は、全く異なる物だからこそ共存して来た様に思える。
いくら完成度の高い演奏を聴かされてもCDと全く同じ演奏ならライブに行こうなどと思えるだろうか?逆に、ライブ的で面白い演奏でも、内容が荒っぽ過ぎて余りにも美しさに欠けたCDを何度も自宅のプレーヤーでかけるだろうか?一度幻滅してしまったモノに「もう一度」は僕にはあまり無い。そこは、瞬間に消えゆくモノと一生残るモノとの大きな違いである。この大きな違いを僕の大好きなアーティスト達は皆、すべからく理解し利用すべしとして来たと感じる。僕もそうなりたいと思って来たのだ。
僕には、それが基本概念に有るので、アルバム制作は緻密に丁寧にしたいと常々思う。かと言ってレコーディング中のハプニングを全て排除はせず、音がひっくり返ったり、変な音が入ってもそのまま残したりする事は多い。そこはJAZZだから。(笑) でも、自分を含め、メンバーのちょっとした音の外れは、何度も聴いて貰う上で不愉快にならない様にする為にある程度は修正を施す。女性のお化粧の様な気持ちでね。そこは商品としてのクオリティー基準の問題である。でも、やはり「本質」を見失なう程のケバい化粧は逆に魅力を損なうので、そこにもセンスは要求されるのだ。必要以上に修正する事は、いくらテクノロジーが発達したとは言え、自分ではなくなり個性も殺してしまう。
よく「CDよりライブの方が良いね!」とお客さんに明るく言われる事が有る。僕にしたら、アルバムも緻密に作って来たので、そう言われると悲しかったのだが、今はとても嬉しく思う。その人は、家で金も掛けずにステレオで僕の音楽聴いてても良いところを、わざわざライブハウスに駆けつけ、チャージと飲み代を支払った上で「やっぱりライブは最高!」と仰ってくれているのだ。とても有り難い事だ。
でもその一方で、CDは僕が行けない場所に運ばれて行き、僕の代わりに何度もリスナーの為に演奏を繰り返し、僕とリスナーの架け橋となってくれる。それは、将来、僕がこの世から居なくなっても、手から手へと渡る事によって永遠と続く事にもなる。そう思うと決していい加減なものは作れない。だから徹底してコダワリたいのだ。
基本、僕という人間はライブだろうとレコーディングだろうと何も変わらないし、演奏内容が大きく変わるわけでもない(アドリブの内容が同じという意味ではなく、表現の仕方という意味)。レコーディングだからと言って、お行儀良くする事は出来ないし、ライブだからってんで、ノッてもないのにノリノリで演奏する事はない。音楽をする上では正直でいたいとも思う。只、ライブとアルバムでは、心地良さの基準が大きく異なるので、リスナーにもそれぞれの心地良さを100%届けたいと思うのだ。
幸いな事に多くのレコーディングに参加させて頂き、昨日もミックスに立ち会わせて頂き、改めて、この僕のライフワークとも言うべき作業の楽しさや生き甲斐を感じつつ、少しでも長く、この今のライブとアルバム制作という異なる表現方法が続けられれば…と心から思った。
貴方のご自宅のステレオ・システムで心地良く響く音源はすなわち架空の立体感を表現しているもので、実際のライブ会場で聴くものとは別物である。実際のライブ会場(JAZZのライブハウスの様な小さいスペースに限るが)での生音ってのを正確に録音するなら、最近のポータブル・レコーダーは最大のパフォーマンスを発揮してくれる。でも、それを自宅のステレオに繋いで聴けば、ベースは小さいし、細かい音は聴き取れないし、心地良さとはかけ離れている。だから、実際のミックス作業では色んな所をエンファサイズして、バランスを取ったり、リバーブなどの空間系のエフェクトを施して立体感を表現するワケだ。これは、所謂、真の「生々しさ」ではない。バーチャル・リアリティーなのだ。これらのテクニックは、レコーディングという技術と文化が始まって以来、沢山の技術者達が長い歳月をかけて培って来たもので、それらを普通にリスナーとして聴いて来た我々現代人にとっては既に当たり前のモノであるが、僕にとっては憧れでありリスペクトの対象である。だって、バーチャル・リアリティーの世界を見せて「生々しい」と思わせるのだから。
僕はそのバーチャルな世界観を決して「嘘」だとは思わない。ライブのみが「現実」だとも思わない。表現方法が違うだけなのだ。いくらライブ・レコーディングで、音楽家や客席の息遣いを録音した所で、それを聞かせるには強調が必要だ。何かを強調すれば、「嘘」という事になるのだろうか?僕にとってはNOだ。ライブをレコーディングした所で、自宅のステレオで聴いて心地良いものは、全てバーチャル・リアリティーでしかない…と感じるだけだ。
僕はライブ・ミュージシャンとして演奏するわけだが、その時のサウンド・チェックの価値観はレコーディングやミックス時と当然大きく違う。長年、良いミュージシャンに囲まれて演奏して来れたので、お互いの価値観やバランス感覚も良く分かる。お客さんに求められているものも理解した上で、店の「ハコ鳴り」も考慮しながら音作りをして行く。レコーディングを何度もやって来たミュージシャンなら、全員理解している事だが、「ライブとレコーディングは違う」のだ。当然、皆、ライブとレコーディングそれぞれの価値観もしっかり持っている。
昨今、ライブに足を運ぶ人は減り、CDも売れなくなっている。僕にとって、この2種類の「音」はいつまでも魅力的であり、無くなって欲しくない物だ。僕の育って来た環境では、この2種類の「音」は、全く異なる物だからこそ共存して来た様に思える。
いくら完成度の高い演奏を聴かされてもCDと全く同じ演奏ならライブに行こうなどと思えるだろうか?逆に、ライブ的で面白い演奏でも、内容が荒っぽ過ぎて余りにも美しさに欠けたCDを何度も自宅のプレーヤーでかけるだろうか?一度幻滅してしまったモノに「もう一度」は僕にはあまり無い。そこは、瞬間に消えゆくモノと一生残るモノとの大きな違いである。この大きな違いを僕の大好きなアーティスト達は皆、すべからく理解し利用すべしとして来たと感じる。僕もそうなりたいと思って来たのだ。
僕には、それが基本概念に有るので、アルバム制作は緻密に丁寧にしたいと常々思う。かと言ってレコーディング中のハプニングを全て排除はせず、音がひっくり返ったり、変な音が入ってもそのまま残したりする事は多い。そこはJAZZだから。(笑) でも、自分を含め、メンバーのちょっとした音の外れは、何度も聴いて貰う上で不愉快にならない様にする為にある程度は修正を施す。女性のお化粧の様な気持ちでね。そこは商品としてのクオリティー基準の問題である。でも、やはり「本質」を見失なう程のケバい化粧は逆に魅力を損なうので、そこにもセンスは要求されるのだ。必要以上に修正する事は、いくらテクノロジーが発達したとは言え、自分ではなくなり個性も殺してしまう。
よく「CDよりライブの方が良いね!」とお客さんに明るく言われる事が有る。僕にしたら、アルバムも緻密に作って来たので、そう言われると悲しかったのだが、今はとても嬉しく思う。その人は、家で金も掛けずにステレオで僕の音楽聴いてても良いところを、わざわざライブハウスに駆けつけ、チャージと飲み代を支払った上で「やっぱりライブは最高!」と仰ってくれているのだ。とても有り難い事だ。
でもその一方で、CDは僕が行けない場所に運ばれて行き、僕の代わりに何度もリスナーの為に演奏を繰り返し、僕とリスナーの架け橋となってくれる。それは、将来、僕がこの世から居なくなっても、手から手へと渡る事によって永遠と続く事にもなる。そう思うと決していい加減なものは作れない。だから徹底してコダワリたいのだ。
基本、僕という人間はライブだろうとレコーディングだろうと何も変わらないし、演奏内容が大きく変わるわけでもない(アドリブの内容が同じという意味ではなく、表現の仕方という意味)。レコーディングだからと言って、お行儀良くする事は出来ないし、ライブだからってんで、ノッてもないのにノリノリで演奏する事はない。音楽をする上では正直でいたいとも思う。只、ライブとアルバムでは、心地良さの基準が大きく異なるので、リスナーにもそれぞれの心地良さを100%届けたいと思うのだ。
幸いな事に多くのレコーディングに参加させて頂き、昨日もミックスに立ち会わせて頂き、改めて、この僕のライフワークとも言うべき作業の楽しさや生き甲斐を感じつつ、少しでも長く、この今のライブとアルバム制作という異なる表現方法が続けられれば…と心から思った。
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