のはら 寄り道日和

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のはらが2015年に映画館で観たのは「ゼロの未来」だけでした

2015-12-30 14:02:49 | えいがの事

お久しぶりでございます。
放置もいいところのこちらのページも、見てみるとちょこちょこと覗きにきてくださる方がいて
本当にありがとうございます。

今年もいろいろありましたが大きな病気やけがはなし、
普通のレベルで笑ったり悩んだりしながら暮らしてます。
高校生になった娘は、勉強はイマイチで困っていますが
先生と友達に恵まれ、学校は楽しい模様です。

今年が終わるので一応映画のことを書いておこうかと思いました。
自宅観賞本数も乏しく、、、、
とか言いながらBSイマジカ入ってるしツタヤディスカスも入ってるし。
結構見ているような気もします。
前は睡眠時間も削って映画の世界に入って行きましたが
40代中盤、眠さに負けるようになりました。
健康第一っすよ。

映画館で観たのはこの一本というテヘぺロ状態です。
が、長いこと追いかけているギリアム作品だから、というだけでなく
心に深く刺さるものを持つ忘れがたい作品で
私にとって、今年はこれ以上のものはありませんでした。

テリー・ギリアム「ゼロの未来(The Zero Theorem/2013)」

(以降はわたくし的解釈になります。)
「12モンキーズ」で精神病院の患者に
「自分には恐ろしくリアルな世界、他人には見えなくても。」
とその世界について語らせた監督。
いつでも心の中の(他人から見れば狂気)別世界にこだわる監督。
今作は心の病に患った主人公の目を通した世界、と理解しました。

典型的ワーカホリックで、名前も覚えてくれないような上司(デビット・シューリスさすが!)になじられ
コンピューターの世界に縛られ、ああしろこうしろとうるさい組織の命令に縛られ
そのうち何のために仕事しているのか分からなくなる。
職場に対する強烈な思い出。
上の写真でも頭や腕にチェーンがついていて
コンピューターの研究世界にプラグインするためなのか
仕事に縛られていることのイメージか
(現在も使われているか不明ですが)拘束衣をイメージしているのか。
(追記:これはチェーンじゃなくてコードですね、テキトーなこと書いてごめんなさい)

いつも教会で仕事しているのは、病院に礼拝堂があるからなのか。
キリストの首がカメラに挿げ替えられているのを見たとき
「ポゼッション(1981・ズラウスキー監督)」で
狂気のイザベル・アジャーニがマリア像に抗議しているシーンを思い出しました。

奥さんから心からの涙と抱擁を送られてもそれを拒否し
(ネットポルノに出てきた女の子と同じ女優さん、彼の心の拠り所)
仕事を手伝った少年は病気になり去っていく。
(自分のせいで早世した息子あるいは弟のモチーフ?)
時折コンピューター画面に出てくる妙な女性(ティルダ・スウィントン)は
病院の担当医師、あるいは看護師ではないかと思いました。

ずっとずっと無表情の主人公が安らぐのは、だれにも邪魔されない世界。
いつでも晴れ渡った自分だけの南国ビーチ。
パジャマ姿(夢の住民、自分だけの世界)で飛び込んで、
もうスタンダードな世界に戻る気はありません、という悲しい終わり方でした。
「俺って、変なヤツでしょ?」と歌う主題歌。
自分は青空は似合わないと思い込む人の心情が染みました。

観賞した人の大体の評価は「訳が解からず物語が崩壊」という感じでしたが
常軌を逸脱した人のフィルターを通して語られる世界なので
理解できなくて当然なんだろな、と思いました。
「マルホランド・ドライブ」と同じような感覚です。
そして、弱い人の心のなかに息づく世界に光を当て
憧れと恐怖の入り混じった感覚を長年伝え続ける監督はやはりすごいです。
そんな世界に魅かれ、これはDVDとかBlu-ray 買っておかないと、と
映画館の席を立つときに既に思った私です。
まだ買ってません。現実世界は、ボーナスの額厳しいです。

飽きもせずご覧下さってありがとうございます。
自分にも家族にも、ここに来られた方みんなにも
新しい年が、今年以上に光を感じられる年でありますように。



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