日本の軍歌、唱歌

日本人が歌い注いできた軍歌、戦時歌謡、唱歌などをご紹介します。

【紀元節】萬の国に類いなき日本国

2020-02-09 18:43:43 | 軍歌、戦時歌謡など
今日ご紹介するのは「紀元節」です。
紀元節は今の建国記念日を指します。

紀元とは、以前も書きましたが神武天皇のご即位を示すものです。
神武天皇のご即位は1月1日なのですが、なんだかんだで今の2月11日(建国記念日)になりました。

神武天皇のご即位を祝う祝日の歌として作られたのがこちらです。

1、雲にそびゆる髙ちほの
  髙ねおろしに艸も木も
  なびきふしけん大御世を
  仰ぐけふこそ樂しけれ

2、うなばらなせるはにやす
  池のおもよりなほひろき
  めぐみのなみにあみし世を
  仰ぐけふこそたのしけれ

3、天つひつぎの髙みくら
  千代よろづに動きなき
  もとゐ定めしそのかみを
  仰ぐ今日こそたのしけれ

4、空にかがやく日の本の
  萬の國にたぐひなき
  國のみはしらたてし世を
  仰ぐけふこそ樂しけれ


「大御世を」「あみし世を」「そのかみを」「たてし世を」の部分は雅楽みたいにゆっくりこぶしを回すように歌います!
と、合唱の先生に教わりました!(*´∀`)


歌詞の内容は神代の時代から続く日本を讃え敬う歌です。

この歌は高崎正風作詞、伊沢修二作曲の唱歌で、文部省によって祝日大祭日唱歌に選定されました。
ということは、国民が学校で必ず習い、当日に必ず歌う歌だったのです。

それがなぜ、いま日本では歌われなくなったのでしょうか。

それは「国民が歌わなくなった」のではなく、敗戦後、「占領軍が歌えないようにした」からです。

学校で教えることもなくなり、メディアで流されることもなくなりました。
日本国民の記憶から消そうとしたんですね。
ひどい。ひどすぎる。
そういう歌や日本語が本当に沢山あります。

当時の政府もそこまで反発せず、それが今の教育にも繋がっているわけですが、当時の日本国民は粘り強い努力を続け、建国記念日を復活させました。

当時は「早く憲法改正を!」という声も多く、今の憲法を保つことは恥であるという風潮でもあったのです。
それは憲法改正の歌(中曽根康弘)でご紹介しますね!

2月11日は紀元節を歌い、日本の歴史を思い返しましょう♪


▪️蛍の光▪️知らないと思うけど歌詞は4番まであるよ

2019-12-17 08:46:51 | 軍歌、戦時歌謡など
▪️蛍の光▪️

皆さんは蛍の光を知っていますか?
と聞くと、「小学校で習うわ当然やろ!」と怒られるかもしれませんが、実は知っている人しか知らないのです。

歌詞が4番まであることを。

とりあえず見てみてください。↓

1.蛍の光 窓の雪
書(ふみ)よむ月日 重ねつつ
いつしか年も すぎの戸を
明けてぞ けさは 別れゆく

2.とまるも行くも 限りとて
かたみに思う 千万(ちよろず)の
心のはしを ひとことに
幸くとばかり 歌(うと)うなり

3.筑紫(つくし)のきわみ 陸(みち)のおく
海山とおく へだつとも
その真心は へだてなく
ひとつに尽くせ 国のため

4.千島のおくも 沖縄も
八洲(やしま)のうちの 守りなり
至らんくにに いさおしく
つとめよわが背(せ) つつがなく
 

はい。
「国のために尽くせ」とか領土問題的な歌詞が出てくるので歌われなくなったと考えられます。

4番は日清戦争や日露戦争後に領土が変わるたび、台湾や樺太などに歌詞を変えて歌ったそうです。
また、Wikipediaによると3番は
つくしのきはみ みちのおく
わかるゝみちは かはるとも
かはらぬこころ ゆきかよひ
ひとつにつくせ くにのため
でしたが、「かはらぬこころ ゆきかよひ」が男女の心を歌ったものでは、という指摘が入り変更されてしまったようです。

4番の「つとめよわが背」の「背」は夫とか兄とかの訳がありますが、3番の流れで「夫」という意味にすると、男女が一筋に恋を実らせる&家族となり一筋に国に尽くす感じが出て素敵だと思うのですが…

ま、とにかく、共に学んだ学友が卒業してみなそれぞれの道を歩むことになりバラバラになっても日本という国のために心をひとつにがんばろうではないか、という涙が止まらないほどいい歌詞です!!
歌いましょう!!
4番まで!!笑

【海ゆかば】日本人の心を歌う歌

2019-12-15 23:18:29 | 軍歌、戦時歌謡など
海ゆかばは日本の国民歌謡であり、大伴家持が詠んだ長歌の一部を抜粋しメロディーをつけたものです。
平安の世の時代から、日本人が持っている気概は今も変わりません。
神様が造られた素晴らしい国、日本を讃える歌です。

最初1880年に作られたメロディーは現在のものと異なり、天長節などに近いものでしたが、その後信時潔によって現在のメロディーが作られました。
当初のメロディーは軍艦行進曲の間奏で歌うものです。

海ゆかば 水漬く屍
山行かば 草むす屍
大君の辺にこそ死なめ
かへりみはせじ





これは軍歌だ、という方もいますが、海ゆかばは軍歌ではなく、鎮魂歌でもありません。
天皇陛下のため、ひいては日本のためならば、命を投げ出しても悔いはありませんという覚悟を歌ったものです。

普通の日本人であれば、この素晴らしい日本という国が危機にさらされたならば命を徒してでも守りたいと思うのが当然のこと。

海ゆかばを普通にテレビなどで流せる日が来て欲しいですね。


【大東亜聖戦の歌】日本の近代歴史が学べる歌です

2019-12-14 19:45:00 | 軍歌、戦時歌謡など
大東亜聖戦の歌は、日本の近代歴史を歌にしたもので、大東亜戦争が真珠湾攻撃で始まったのではないことがよくわかる歌です。

学校でぜひ教えていただきたい歌ですね。
ただ11番と長い。長いですが、不思議と疲れることなく歌えてしまいます。
私は途中から涙が止まらない時があります(笑)
いろんな歌詞のサイトがありますが、間違った歌詞も多いので中尉してください。
間違った、注意してください!

1. 黒竜江の流血に 二十世紀の東洋は
妖雲(よううん)の下(もと)明けゆけど
支那は眠れり朝鮮も
白禍(はっか)の脅威夢の中(うち)

2. 四百余州と大八洲(おおやしま)
共に睦みて栄えんと
声励ませど耳貸さず
泰西人(たいせいびと)に阿(おもね)りて
支那は亜細亜を忘れたり

3. 満漢侵す露を討てと
皇師は進む鶏林(けいりん)を
はた黄海の波分けて
旅順奉天対馬沖(りょじゅんほうてんつしまおき)
屠(ほふ)れる敵は幾万ぞ

4. 萎えゆく東亜救はんと
差し伸ぶ手をば逆恨み
洋夷赤露(よういせきろ)の威を恃(たの)
我を蔑(なみ)する支那なれば
満蒙(まんもう)の地嵐呼ぶ

5. 広袤千里(こうもうせんり)満洲は
扶餘高句麗(ふよこうくり)の昔より
兵争絶ゆる暇なきが
大同協和の国建ちて
興安嶺(こうあんれい)に光さす

6. 銃声響く盧溝橋
隠忍(いんにん)の我侮りて
抗日叫ぶ蒋と毛
わが喉元に刃擬(やいばぎ)す
ABCD包囲陣

7. 遂に来れり決戦の
火蓋切つたる真珠湾
シンガポールもフィリピンも
ジャワも一撃なびき伏す
米英蘭は跡もなく

8. わが皇軍の進撃に
凱歌は上る大東亜
白き鉄鎖を断ち切りて
十億の民起つところ
山河新たに生命あり

9. 満蒙支那に南溟(なんめい)に
はた朔北(さくほく)に山ゆかば
草むすかばね海ゆかば
水づくかばねと若きらが
いゆき捧げしその命

10. 四歳(よとせ)に亘る勇戦も
衆寡(しゅうか)敵せず皇軍は
矢弾盡き果て花と散る
されど揺がず大亜細亜
独立の意気天を衝く

11. 武運拙く敗れしが
見ずや亜細亜のこの歩武を
一髪(いっぱつ)土に残らずも
嗚呼大東亜聖戦の
誇は高しわが心


ちなみに毎年11月頃に靖国神社の能舞台で大東亜聖戦を歌う奉納演奏会があります。よろしければチェックしてみてください。
(2019年11月現在)

▪️広瀬中佐▪️日露戦争の軍神(イケメン)

2019-12-14 09:17:30 | 軍歌、戦時歌謡など
▪️広瀬中佐▪️(軍神広瀬)

広瀬中佐は日露戦争の旅順港閉塞作戦に従事しましたが、その際敵からの魚雷を受け船は沈没。
退避するが、杉野兵曹長がいないことに気づいて助けに戻り、戦死されました。



写真の通りすごくイケメンですよね。
日本だけでなく外国でも人気があったそうですよ!


1.轟く砲音飛び来る弾丸
荒波洗うデッキの上に
闇を貫く中佐の叫び
「杉野はいずこ 杉野はいずや」

2.船内くまなく尋ぬる三度
呼べど答えず、さがせど見えず
船は次第に波間に沈み
敵弾いよいよあたりに繁し

3.今はとボートに移れる中佐
飛び来る弾丸に忽ち失せて
旅順港外恨みぞ深き
軍神廣瀬とその名残れど

男性のバリトンボイスで重々しく歌って欲しい一曲です。

広瀬中佐は大分県竹田市の出身で、地元には中佐を祀る広瀬神社があります。

旅行に行かれる際はぜひ足を伸ばしてみてください。