微妙

散乱する言の葉

あの戦争は何だつたのか

2015年04月14日 18時18分48秒 | 歴史
後述の記事を読んで、野村萬斎独特の「どうか」が印象深かつたこのドラマを思ひ出した。



TBS「シリーズ激動の昭和 あの戦争は何だったのか 日米開戦と東条英機」
「昭和天皇実録」軍部は陛下を「脅しているも同じ」 専門家が読み解いた 〈週刊朝日〉|dot.ドット 朝日新聞出版

(更新 2014/9/18 07:00)

 87年の生涯をまとめた「昭和天皇実録」が、24年5カ月の編集作業を経て公開された。側近の日誌や報道などをもとに天皇の動静を克明に記録。約1万2千ページにも及ぶ実録の見どころについて、磯田道史・静岡文化芸術大学教授(43)が読み解いた。

*  *  *
 今回の実録で、人間性が浮き彫りになるような豊かな表現で描写されているのは、ご幼少の記録です。戦後に関しては、政治への影響を配慮したのか、抑制された記述で、ご動静の記録に近い。

 全般を通じて注目してほしいのは、天皇の発言の手法です。1937年の日華事変(日中戦争)の際もそうですが、昭和天皇の言葉は「○○だと思うがどうか」という疑問形で発せられます。これは、責任を臣下や相手方に帰属させる役割と同時に、最後の「か」によって、間接的に意思を表現しています。日本の天皇の伝統的な会話表現といえるでしょう。

 では、相手はどう答えるのか。その様子がわかるのは、戦前・戦中の臣下や軍部とのやりとりです。意外なことに、軍部や臣下の返答は、陛下の意思に反する答えだらけです。天皇が軍部に対して疑問形で意思を表明し続けますが、軍部は表向き質問に答えつつ、聞き流す。陛下は反問できずに終わるパターンの繰り返しです。

 重要な国策を決定するときに、怒る天皇の描写もだいぶ出てきます。41(昭和16)年に開戦準備をととのえる内容の「帝国国策遂行要領」が御前会議で決まります。ところが実際に、海軍軍令部や陸軍参謀総長らは十分な説明や議論を行わない。昭和天皇は、そこがないのはどういうことだと、怒るわけです。その様子も、実録で読み解いていただきたい。

 顕著な例が、33(昭和8)年の中国・熱河(ねっか)作戦のくだりです。日本が国際連盟を脱退せざるを得なくなる直前に、関東軍が中国と旧満州の境に兵を進めます。

 なんとか中止したいと考える昭和天皇は「統帥最高命令によって作戦発動を中止することが可能か否か」と作戦の中止を奈良武次侍従武官長に打診します。天皇は40分間ほど粘るものの、奈良は「それは閑院宮・陸軍参謀総長がいらしてからに」と帰ってしまう。

 しかし昭和天皇はあきらめず、午後10時すぎに、「さっき聞いたことについてはどうだ」と側近に書かせた手紙を奈良に送りました。奈良は、参内せずに手紙を寄越します。その内容が恐ろしい。

「天皇のご命令をもって作戦を中止しようとすれば、紛擾(ふんじょう)を惹起(じゃっき)し、政変の原因になるかもしれず」というものでした。

 前年に5・15事件で犬養毅首相が殺されています。奈良の返答は、熱河作戦を天皇が止めれば、首相が殺されるか、御所に機関銃をもった将校がなだれ込んできますよと、脅しているも同じです。

 結局、昭和天皇は万里の長城を越えないことを条件に、統帥最高命令の発動を見送ります。昭和天皇は自分が何を言っても、統帥最高命令は発動できないと悟った瞬間です。悔しかっただろうと思います。

 私は、何があの戦争につながったのかという視点で実録を読みました。将棋の用語を使えば、敗北につながる「敗着」の一手を打ったのはこの瞬間でした。昭和20年の敗戦につながった原点でした。

※週刊朝日 2014年9月26日号

(dot.の他の記事も含め、夫々の解釈に全面同意といふわけでもないが、「天皇」を語らせると、却つて天皇よりもその語り手の人格や思想・思考が浮き彫りになるところがあつて興味深く読んだ。)
信長が嫌いだった象徴天皇制、“象徴”をめぐる天皇の歴史 〈dot.〉|dot.ドット 朝日新聞出版

 さらに同書では、太平洋戦争敗戦直後、天皇家の行く末を不安視する気運の中、九条家出身の貞明皇后が「幕末以前に戻るだけだ。心配するな」と毅然とした言葉を残したとされることを綴っている。「彼女の一言はことの本質を言い当てていた」と前出・今谷氏は指摘しているが、事実、神格化された天皇の時代は終わりを告げ、以降は国政を担わない天皇へと回帰している。

つゐでに。
「天皇制」=左翼用語として取締が厳しくなつてゐる今日この頃だが。
昭和天皇のインテリジェンス 国際的フィクサー・田中清玄 〈週刊朝日〉|dot.ドット 朝日新聞出版

「お話し申し上げていて、陛下の水晶のように透き通ったお人柄と、ご聡明さに本当にうたれて、思わず『私は命に懸けて陛下並びに日本の天皇制をお守り申し上げます』とお約束しました」(『田中清玄自伝』)


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