第2回ニセコクラシックに出場しました。
結果は「総合-70位」、「年代別-22位」、「S3-19位」でした。
※年代別は40歳代に分類されていましたので、現時点での年齢ではなく、1月1日の年齢なのかもしれません。
春先からコンディションが上げられず、完走すらあやしい状態での出走でしたが、なんとか完走できました。
タイムは去年の方が速くて、「2:23:32」、今年は「2:27:38」でしたので、やはりコンディションは去年と同レベルにまでは戻っていなかったようです。気温が高かったというのも影響したのかもしれませんが、ゴール後のおしっこの出方からすると去年の方が脱水していました。今回は経口補給水のジェルを背中ポケットに2つ忍ばせて、そのうち1つは飲み切りましたので、これの効果があったのかもしれません。
当日は朝4:00に起床し、5:00少し前に出発しました。
比羅夫には6:30頃には到着し、140kmコースの皆さんがスタートラインに並ぶのと、ほぼ同じくらいの時間に蘭越に向けて自走出発しました。
ミルク工房の少し下の道を進み、つきあたりを右折して少し坂を登った後は、5号線までずっと下りでした。脚を削られることもなく40分と少しで会場に到着し、無事に受付終了。
トイレに行ったり、知り合いと話していたらスタート位置に並ぶということで、カテゴリー別に分かれることもなく、選手たちが続々とスタートラインに並びました。
今回は、本州からの参加者も多く、70kmコースでは、200名以上の選手たちが出場していたようです。
自分は、だいたい真ん中あたりより少し前の位置からのスタート。
スタートは、去年同様に最初の坂の頂上付近までの3kmくらいはパレード走行。
パレード走行の時点で、既に選手達の意識は前へ前へとピリピリした雰囲気が漂っていました。140kmコースの進捗によっては坂の上で一旦止められるというアナウンスもありましたが、結局、止められることもなく、何時リアルスタートがきられたのかわからないうちに、急激に集団がスピードアップしました。ここで置いていかれたら、先頭集団で走ることもなくレースが終わってしまうと感じ、けっこう頑張って前へ前へ出てゆき、先頭が見えたところで腰を落ち着けて様子をみることにしました。
去年は、ここで一気に前に出て15秒差をキープしたまま信号を右折してしばらく単独で逃げていたのですが、今回の集団のスピードは去年よりも速く、知り合いも近くに見つからなかったので、飛び出さずにいつでも先頭に出られる位置をキープして走りました。
それでも、我慢できなくて、何度か先頭に出てしまいました。
問題は、先頭に出て、先頭を交代した後です。うまく車列に戻ることができず、どんどん後ろに下がってゆくことが何度もありました。
先頭に出ようとして途中でやめて車列に戻ろうとした時も、なかなかうまく車列に戻ることができませんでした。そのため、長く一列に伸びた集団の右側にポツンと自分が位置するというダメダメな場面が何度もありました。
このあたりは、もっとコミュニケーションをとってゆかなければダメだと反省したところです。
それにしても、これだけ長く一列に伸びた車列を見たのは、初めてです。
本州からの参加者も多く、レース自体のレベルが上がったからなのだと思いますが、自分の経験不足が出てしまいました。
後半の登りに入ったら自分は遅れてしまうのがわかっていますので、前半になんとかレースを厳しくして、後続を振り落とすことを考えました。
そのためには、後ろに付ききれないくらいスピードを上げることが一番効果がありますので、少しスピードが落ち着いたなと感じた時には、積極的に前に出てスピードを上げることに専念しました。
先頭を牽いていた選手に声をかけて「もっとスピード上げるよ!」と伝えたときの「ええっ!」という声と困ったような表情には笑いました。
集団の人数が多くて、後ろの方までは見通せませんでしたが、35kmの平坦区間でも集団は割れていたようで、スピードアップした効果が出ていたのだと思います。
登りに入る前に位置を下げて、登ってゆく集団を見送りました。
登りに入ってから自分を抜いていった人は数えるくらいしかいませんでしたので、作戦は成功したと言ってよいでしょう。
2つめの登りに入って両足が攣った去年のレースを思い出し、登りに入ってからは無理をせず250W以下をこころがけて淡々と走りました。下りでも極力脚をとめて、2回目以降の登りに脚を溜める作戦でしたが、同じように同じ場所で攣ってしまい、温存作戦は意味がなかったようです。
しかし、収穫もありました。
それまで登りで踏みこんでいたペダリングを、軽いギアに変速してケイデンスを上げたとたんに攣ったのです。常盤から支笏湖へ走るときにも恵庭分岐を過ぎてからの登りで踏みこんで傾斜が緩くなったところでギアを軽くして脚を休めようとしたとたんに攣るという経験を何度もしていますので、踏みこんでいたところからギアを軽くしてケイデンスを上げることに脚攣りとの関係がありそうな気がしていますので、いろいろ調べてみようと思います。
攣ったまま脚を動かしていたため、ふくらはぎとお尻の少し下のあたりの筋肉痛が辛いです。サロベツまでに回復できるだろうか、少し不安です。
両足のふくらはぎと太腿裏側が攣ってしまい、痛みで踏みこめず、止まりそうになりましたが、なんとか痛みに耐えて脚の重さだけでペダルを降ろすことを繰り返して、なんとか頂上まで辿り着くことができきました。
この坂の途中で69歳の選手と話をする機会がありました。
この選手は59歳でエリートに昇格したということです。凄い事だと思います。あと9年後に、自分はエリートに上がるなんてまず無理だと思っています。
50歳になった今シーズンにがっくりと調子を落としている自分が恥ずかしく、あらたな挑戦意欲をもらった気がしています。
この後は、集団で車列を作るわけでもなく、淡々と単独走がゴールまで続きました。
3つ目の坂を登り切って、残り5kmになってからは前を追う気力もなく、ただゴールに向けて走りました。ゴンドラ坂に入ってからもスパートをかけているつもりでしたが、伸びは無く、さびしいゴールとなりました。
リザルトをみると完走しただけのつまらないレースだったように感じますが、レース中の平坦区間は、スピードが速くてとても楽しかったです。残念なのは、ゴール後にサイコンをストップした際に、セーブせずに電源を落としてしまったため、貴重なレース中のデータを失ってしまったことです。今回のように平地区間でのスピードが速いレースは経験したことがなかったので、ピークパワーを更新できていたかもしれず、とても残念に思います。
それにしても、登れないのはまったく改善されませんので、トレーニングがなにか間違っているのでしょう。すぐに解決できる問題ではなさそうですので、今シーズンが終わってからの重点課題とするかもしれません。
ところで、自分の筋肉のタイプに関する遺伝子検査の結果がニセコクラシックの直前に出ていました。予想通り、持久力はそこそこで、スピード・パワー系が強いという結果でした。子供の頃は常にリレー選手でしたし、持久走は嫌いだったので、検査結果は想定内でした。
問題は、「こういう筋肉である」ということがわかったことで、今後は自分はどういう自転車選手を目指すべきか?目標をどっちに向けようか、悩んでいるところです。
超短距離のモエレ沼TTに全てをかけるというやり方も面白そうですし、トレーニングによってはスプリントを残しつつ持久力をアップさせることもできなくはないようですので、もうちょっと登れるようになってロードレースでの上位を狙う方向性もありかなとも思います。しかし、スプリントのトレーニングを久しくやってこなかった脚で、いきなりTTに特化すると言ってもうまくはいかないでしょうし、ゴール前でのスプリントは全く伸びずにいつも沈んでしまうのは、筋肉の性質云々ではなく、走りのメリハリやレース運びがへたくそ過ぎるのでしょう。まだまだ学ぶべきことは多いですね。
この年齢になったら、なんでもかんでもというよりはなにかに特化する事がよいような気がしています。
そういえば、スタート前の会場で「ブログ読んでます」という方に声をかけていただきました。
僕と同じ怪我の経験者ということでした。
怪我に負けず、お互いに頑張りましょう!