太田南畝の頃のひとです。年令は南畝よりもはるかに上のひとですが、
いわば狂歌の先輩筋にあたります。
今の新宿のあたり、内藤新宿の辺で煙草業を営んでいましたが、
教養も相当あり武家の子供に学問を教えていたとか言われています。
当時の教養である漢文や和歌に長けていて平賀源内とも親交がありました。
何故この人物のことを取り上げたかというと、太田南畝のことについて
調べているとこの平秩東作という人物がしょっちゅう出て来るのです。
一緒になって狂歌を作ったり飲んで歩いたりしている。
南畝は御家人といっても徒歩職ですから暇です。毎日仕事があるわけでもなく、
当時の狂歌人の先頭になって狂歌ブームの仕掛け人みたいな存在になって
東作と余った時間を過ごしています。南畝のまあ学問の先輩みたいな存在です。
仲の良い兄貴といったところでしょう。
ところが、ある時この東作が江戸からいなくなってしまいます。
しばらく経って江戸に戻ってきますが、実は秘密の頼まれごとを受け
はるばる蝦夷地に行っていたのでした。
身分的に単なる煙草商人が蝦夷地まで行くことは異例なことでした。
東作はかねてよりの知り合いで勘定頭土山宗次郎の依頼で蝦夷地まで
足を運んだのです。また土山はその上司である勘定奉行松本秀持に東作の
蝦夷地の報告書を手渡し、さらにそれが田沼意次に渡り、これをもとに
意次は蝦夷地の調査を決定するに至るのですが、東作の蝦夷地探検記は
「東遊記」と題し今に残されています。
このあたりのことは学校の歴史教科書にはあまり出てこないと思います。
後になって田沼意次は失脚し、松平定信が登場して寛政の改革を行い
事情も時勢もガラッと変わり、ついには宗次郎は死刑になってしまうの
ですが。。
田沼政治から寛政の改革のあたりのことは南畝にも影響を与えてますので
また今度にします。
で、東作が蝦夷地に行く、このあたりのことをもっと知りたいとずっと
考えていたらちょうど良い本が手に入りました。
照井壮助氏による「天明蝦夷探検始末記ー田沼意次と悲運の探検家たち」
と題されているもので影書房から出版されています。
寛政の改革により蝦夷開拓計画は潰され、そのための現地報告書であった
「蝦夷拾遺」はやがて歴史の中に埋まり忘れらていきます。
このいわば元本を発見し苦労の末に現代語に直し世に問うたのが照井壮助氏
でした。
東作のことはほんの少ししか出て来ません。しかしこの蝦夷地探検に
係わる顛末は、おそらくはそれ以降の日本の歴史や経済に大きな影響を
与えるべきもので、世間に誤って伝えられている田沼意次のイメージをも
再考する意味で歴史的に価値のある内容になっています。
いつの歴史でも勝者に都合の良いことしか残されず、弱い側の歴史は
塗り替えられ作り変えられてしまうものですが、知られざる蝦夷地探検記、
一読の価値があります。
ちょっと高いですけど(3800円+税)、このあたりに興味のあるかた
にはおススメです。
いわば狂歌の先輩筋にあたります。
今の新宿のあたり、内藤新宿の辺で煙草業を営んでいましたが、
教養も相当あり武家の子供に学問を教えていたとか言われています。
当時の教養である漢文や和歌に長けていて平賀源内とも親交がありました。
何故この人物のことを取り上げたかというと、太田南畝のことについて
調べているとこの平秩東作という人物がしょっちゅう出て来るのです。
一緒になって狂歌を作ったり飲んで歩いたりしている。
南畝は御家人といっても徒歩職ですから暇です。毎日仕事があるわけでもなく、
当時の狂歌人の先頭になって狂歌ブームの仕掛け人みたいな存在になって
東作と余った時間を過ごしています。南畝のまあ学問の先輩みたいな存在です。
仲の良い兄貴といったところでしょう。
ところが、ある時この東作が江戸からいなくなってしまいます。
しばらく経って江戸に戻ってきますが、実は秘密の頼まれごとを受け
はるばる蝦夷地に行っていたのでした。
身分的に単なる煙草商人が蝦夷地まで行くことは異例なことでした。
東作はかねてよりの知り合いで勘定頭土山宗次郎の依頼で蝦夷地まで
足を運んだのです。また土山はその上司である勘定奉行松本秀持に東作の
蝦夷地の報告書を手渡し、さらにそれが田沼意次に渡り、これをもとに
意次は蝦夷地の調査を決定するに至るのですが、東作の蝦夷地探検記は
「東遊記」と題し今に残されています。
このあたりのことは学校の歴史教科書にはあまり出てこないと思います。
後になって田沼意次は失脚し、松平定信が登場して寛政の改革を行い
事情も時勢もガラッと変わり、ついには宗次郎は死刑になってしまうの
ですが。。
田沼政治から寛政の改革のあたりのことは南畝にも影響を与えてますので
また今度にします。
で、東作が蝦夷地に行く、このあたりのことをもっと知りたいとずっと
考えていたらちょうど良い本が手に入りました。
照井壮助氏による「天明蝦夷探検始末記ー田沼意次と悲運の探検家たち」
と題されているもので影書房から出版されています。
寛政の改革により蝦夷開拓計画は潰され、そのための現地報告書であった
「蝦夷拾遺」はやがて歴史の中に埋まり忘れらていきます。
このいわば元本を発見し苦労の末に現代語に直し世に問うたのが照井壮助氏
でした。
東作のことはほんの少ししか出て来ません。しかしこの蝦夷地探検に
係わる顛末は、おそらくはそれ以降の日本の歴史や経済に大きな影響を
与えるべきもので、世間に誤って伝えられている田沼意次のイメージをも
再考する意味で歴史的に価値のある内容になっています。
いつの歴史でも勝者に都合の良いことしか残されず、弱い側の歴史は
塗り替えられ作り変えられてしまうものですが、知られざる蝦夷地探検記、
一読の価値があります。
ちょっと高いですけど(3800円+税)、このあたりに興味のあるかた
にはおススメです。
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