憲法9条の会・西区(大阪府大阪市) 

「憲法9条の会・西区」の取り組みの内容をお知らせします。
 

韓国平和ツアー その5

2010-10-06 20:23:30 | 行事
 私にとって、2006年11月に大阪労連女性部など共催の「ソウル平和ツアー」のうち一部の日程に合流参加のため、休暇がとりにくい韓国語ができない3人だけで出かけて以来4度目の韓国である。この時も(今回も)、多くの友人にはもちろん(笑)、「(韓流スターの)誰を見に行くの?と言われた。この時は、今回の日程のうち、歴史を知らずあくまで観光のつもりで行った「景福宮」と、「西大門刑務所」に3人で地下鉄に乗りチケットを買って出かけたものだ。(みごと!)ちなみに「西大門刑務所」には直前の9月に日本の政党の党首として初めて日本共産党の志位委員長が訪れていた。
さて、今回、日程決定の当初から「暑いだろうな」と思っていたのが、現地は比較的涼しかったのと、到着後すぐにガイドの車貞愛さんから「ずっと雨の日が続いている」と知らされたけど、雨にも私たちの行程はあまり邪魔されずにすんだこと、まず、よかった!!!
初日の8月29日、11時ソウル着、昼食はプデチゲ。食後天安へ直行、「独立記念館」へ、韓国の全国民からの募金活動で集め、5年もかけて建設されたということに、朝鮮民族の日本人とは比較にならない歴史を知り、歴史に学ぼうとする思いの強さが伝わる。400万平方メートルの広大な敷地内に並ぶ展示館を、車さんの詳しい説明に耳を傾けながら、日本人として重い気持ちもかかえて歩く。七館続く展示館、一つ一つがあまりに詳しくわかりやすい。(車さんの説明から察するところだが)後の世代に伝えたい強い民族の心がひしひし感じられた。
 ソウルからはかなり遠かったが高速を、6人以上乗った車の特権で、隣の渋滞路線を見ながらすいすいと怖いぐらいのスピードのおかげで無事こなせた天安行きだった。夕食は梨泰院(イテウォン)で夕食、骨付きカルビでしたが、追加注文でおなかいっぱいに・・・20分後にホテルに到着後、女性軍は、ホテル近辺を散策、清渓川(チョンゲチョン)の噴水や、町のライトアップを楽しむ。旅行中に車さんの説明で、結構好きだった「梨泰院」の語源が、豊臣秀吉等の出兵文禄・慶長の役のあとに多く生まれた混血児たちのための施設に由来し、当初「異胎院」と呼ばれていたというのは少しショックだった。
2日目、朝食はバイキング、オムレツが作りたてでおいしかった。2日ともいただくことに。9時集合、出発。目的地は景福宮(キョンボックン)歩いてもいける距離。まず前回遭遇し、一度ゆっくり見学したかった王宮守門将の交代式の見学がまさか今回叶うとはラッキーだった。最後は韓服を着た人と写真を取りまくる。キョンボックンの見学はガイドさんの詳しい説明つきで明成皇后=閔妃(ミンピ)の日本人による殺害現場やオンドルの煙突を生かした庭園、チャングムが散歩した公園、カササギのいる公園などたくさん歩いた。建設(1395年)後200年目の文禄の役での全焼、その後270年間の廃墟を経た後、明成皇后の殺害後再度王に嫌われた宮殿が、ほんとに長い歴史を経た後、今過去の栄華を物語っているのは不思議な気さえする。
そのあと、昼食は漢一食堂で冷麺とちぢみを賞味、ちぢみは前日よりおいしく、出されたものだけでおなかいっぱいに、お店の追加のお誘いには始めにきっぱり断ることと認識。夜も海鮮なべだけで終える。
 さて、午後はタプコル公園(別名パコダ公園)日本に植民地支配されていた、1919年の「三・一独立運動」の発祥の地となった場所で、公園中心部には独立宣言書が刻印された八角亭があり、周りには独立運動の過程などが描かれた12枚のレリーフ、3・1運動記念塔、3・1運動祈念壁画、義庵孫秉熙の銅像などがある。公園中、とくに八角亭をとりまくようにたくさんのお年寄り(ほとんどが男性)が、世間話や囲碁をして交流を深め合っている。日本人よりいい定年後の日日かもしれない。ゆっくりと見て回った後、すっかり疲れた様子で、夕食までホテルに戻り自由行動の提案もあったが、車さんの足のマッサージに同行組と明洞(ミョンドン)散策組に別れ行動することに。ロッテ免税店に寄ってから明洞のマッサージ店で解散、マッサージ組の泉田さん除く女性群で散策に、私はクォン・サンウのお店「テアーズ」の前で写真を写したり、Tシヤツをみたりしながらフェイスショップへ。店員の話のうまさに全員がなにか買ったのにはちょっと驚き。付き合ってもらってよかったのか悪かったのか・・・。その後南大門市場へ。まったく雰囲気が違うのがよくわかった。南大門は鶴橋のコリアタウンを広く大規模にした感じ主婦層が多い。明洞は心斎橋風で若者の多い繁華街。1日100万人が訪れるとも聞く。私はソウル行きの3回とも訪れている。
夕食後、ハンガンクルージング(韓江遊覧船)は、初めの計画にはなく、私は大喜び。たくさんの橋、高級マンションの多さとライトアップの見事さに驚く。おまけに時間的に、「もしや」と期待していた盤浦大橋の「虹の噴水」まできっちり観ることができて、花火とライトアップ大好きの私には、すごい成果。
最後の日、一度は訪れたかった「ナヌムの家」(わかちあいの家)と、併設されている「日本軍慰安婦歴史館」へ。まず目につくのはハルモニが描いた絵をモデルにし『手折られた花』(咲ききれなかった花)と名付けられた銅像。ボランティアの日本人学生はこの銅像の真下の地下に私たちを導いた。そこには慰安所が再現されていて、過去の苦しみを地下に沈め、現在の生活は空に向かって前向きに過ごせるようにという願いを込めて設置されたと説明される。また、歴史館入り口扉の元日本軍『慰安婦』の女性たちの苦しみを表わす絵と出口レリーフの一対になっている作品「だれがこの人たちに…」ハルモニたちに「もし生まれ変われるなら、どうしたいですか」と聞けば、「結婚して幸せな家庭をもちたい」と答える人が多いそうだ。出口ではそのささやかな夢をテーマとしている。現世で苦しんでも、あの世では幸せになって欲しいという思いがこめられているという。二つのモニュメントは未来を向いていた。日本政府の対応などを考えるともどかしさが募るばかりだが、日本の若者の貢献ぶりやお会いした二人のハルモニの明るさにも少しほっとした思いがした。午後は西大門独立公園にある「西大門刑務所博物館」へ。1908年に京城監獄として始まり、西大門監獄、西大門刑務所と名称を変え、戦後も刑務所や拘置所として、1987年まで使用、1992年、西大門独立公園が開設され、歴史館は1998年にオープンしたとのこと。日本支配下で独立運動家たちが多数収容され、命を奪われた場所、日本による過酷な支配とそれに対する抵抗、独立の意義を伝える博物館として位置づけられている。リニューアル工事中で、前回で印象的に残っている、各種拷問疑似体験の場が少なかったが、展示などはほぼ通常どおり見られるようになっていた。私は前回の記憶もあり中はさっと観た。前回、一番心に残っていたのは庭の一角にある死刑の家とその傍らにそびえる「慟哭のポプラ」それに続く屍躯門(シグムン)(日本政府による事実隠蔽のため一時封鎖されていたのを入口から40mが復元された)の話だった。今回その直前に死刑囚が味わう運命に、もっと深い痛みを感じた。それは、散歩中に突然、声をかけられ横道へ曲がることを求められる。死への分かれ道だ。前回一緒に行った二人に話すと、驚きと一緒に、前回の旅の意義を再確認し、思い出を語り合った。
 私たちのたっぷり3日間の「平和ツアー」は、ガイド車さんのおかげもあり、中身が濃く、観光部分もたっぷり、二度と経験できそうにない、ソウル行きになった。感想文を求められたが、旅日記風に綴ってみた。

韓国平和ツアー その4

2010-09-25 09:30:37 | 行事

            韓国平和ツアーに参加して 

日本政府によって韓国が日本に併合されてちょうど100年目の年、憲法9条の会・西区主催の平和ツアーに参加しました。 

1日目29日午後、天安市の「独立記念館」、七つの館で構成されており、韓国の歴史、日本の侵略の状況、そして、いかに国を守り、独立したか・・・・ 

2日目、朝鮮王朝の宮殿「景福宮」へ。8月15日光化門が復元されたばかり。王朝もの韓流ドラマを観ていたので、興味深く・・・広大な敷地、りっぱな建物・・・いかに絶対的で強い権力だったかを改めて思いました。 

午後、独立運動発祥の地、パゴダ公園(現タプコル公園)へ。お年寄りがたくさんいて囲碁を楽しまれていました。 

3日目、「日本軍慰安婦歴史館」「ナヌムの家」(わかちあいの家)。「ナヌムの家」には現在83歳から92歳の8人のハルモニが暮らしている。そのうち2人にお会いした。 

午後から「西大門刑務所博物館」日本語の案内書に「屈辱的な過去の歴史を克服するために、国を愛し民族を愛する志を学ぶ場」となるように、とありました。 私にとって近くて遠い国だった韓国。行く前から、日本軍がムチャクチャした後を見る「しんどいだろうな」と、しかし一度は行かなければと思って参加。改めて9条の大切さ、教育の大切さも再認識した旅でした。


韓国平和ツアー その3

2010-09-18 21:09:57 | 行事
      外国で実感する、9条を守る重み !
         ~ 韓国平和ツアーに参加して ~
韓国平和ツアーに、行く前は、久しぶりの海外旅行とウキウキした気分で参加しました。が、結果は「九条」の重みをしっかりと認識させられた旅行でした。「独立記念館」「ナヌムの家」「西大門刑務所歴史館」など、日本の軍隊が韓国の人々に対して行った残虐の行為の数々、韓国人民の民族独立の運動と日本軍の弾圧、今回の平和ツアーで日本帝国主義が韓国で行ってきたことを、しっかりとこの目で見てきました。日本帝国主義によって命を奪われたアジアの人々は2000万人といわれ、日本国民も310万人の命がうばわれました。「憲法9条」は、こうした人々への“約束”であり、アジアの国々に向けての“約束”なのだとあらためて実感しました。そしてこれは絶対に守って行かなくてはならないのだと思わされた次第です。
 日本が過去アジアの人々に何をしてきたか、日本の若者はほとんど事実を知らないし、知らされてきていません。それも、あの戦争を始めた責任者たちがアメリカの占領政策のもと、中途半端にされ、処罰もされず、戦後は、日本の政治を担ってきたからなのです。「ナヌムの家」で、「この戦争を起こした責任者を罰するまでは死ねない」と「天皇を罰する絵」を書いて亡くなった「オモニ」の画をみて、日本がアジアの人々にちゃんとした戦争責任をとらず、中途半端に終わらせようとしているのを実感しました。
 一方、「ナヌムの家」で、日本の若者がボランティアやスタッフとして活動しています。私たちと同じ時に学生が7,8人「ナヌムの家」に来ていたことは「日本にもこうした若者もいるのだ」とうれしくなりました。若者たちもいやがおうでも、憲法9条の重みをしっかり受け止めることになるでしょう。
 韓国の平和ツアーは「憲法九条の会・西区」の活動の重みを噛みしめることになった研修旅行でした。大変良かったです。企画していただいた佐野事務局長に感謝です。ありがとうございました。

【ナヌムの家】
【日本軍「慰安婦」歴史館】
 ソウルから車で2時間あまり、かなり田舎に「ナヌムの家」はありました。 畑仕事がしたいという彼女たちの願いを聞いて「田舎」にわざわざ建てたそうです。驚いたのは日本の若者たちがボランティアで活動していたことです。「ナヌムの家で、1年間のインターン契約でスタッフとして活動している日本人の女性スタッフが私たちに説明してくれました。他にも現役の日本の女子学生が、1ヶ月間ここでボランティア活動をしてから日本に帰ると言ってました。見学には私たち以外にも早稲田や他の大学の学生が7,8人も来ていました。日本の若者もすてたものではない」と一人うれしくなった次第です。「オモニたちは日本人と話しするのを喜ぶので、是非、会って話して下さい」と言われ、「どうして?」との質問もできないまま、1時間ほどの見学を終え、二人のオモニたちとの話し合いが始まると、その意味が分かりました。日本政府を相手に謝罪と保障を求めて戦っている彼女たちにとって、日本から訪ねてくる日本人は自分たちのことを理解してくれる「仲間」と思ってくれるのでしょう。日本での生活のこと、いろいろ話してくれました。ここまでになるには、これまでに多くの人たちの取り組みがあったからでしょう。10年前に韓国に旅行した人の話ですが、「独立記念公園」で見学していたとき「何しにきた帰れ」と地元の老人たちに怒鳴られたそうです。
私たちが、次の予定があるので帰ろうとすると、「もう帰るのか」と別れを惜しむのです。「オモニ」たちはもっと話をしたがっていました。部屋を出て車まで見送りに出て来る「オモニ」に手を振りながら、「ナヌムの家」を後にしました。
 
【西大門刑務所歴史館】
 一旦解体された施設ですが、この建物がなくなると「日本軍が行った歴史的な記録がなくなる」と保存運動がおこり、立て直されたそうです。この刑務所は最初から独立運動家を入れるために作られたそうです。当初は、韓国独立を唱える人々は、捕らえたその場所で見せしめに民衆の前で処刑していたそうです。その写真もありました。あまりにも残忍なことから国際的な批判をうけ、刑務所をつくり形式的な裁判だけで処刑していったそうです。絞首刑の罪は「独立万歳」と叫んだことです。韓国のジャンヌダルクと言われた少女は17歳で、捕らえられ拷問の末、虐殺されて遺体が帰されたそうです。彼女が通っていた学校の先生が外国人だったからだそうで、相でないほとんどの人は裏山に埋められたそうです。日本国内でも「天皇制を批判する思想」を持っていると疑われた小林多喜二が虐殺されましたが、韓国では独立運動家たちは有無をいわさず虐殺されました。このような話をこの目で見て聞いて知ったことは良かったと思います。

【独立記念館】
韓国に対して日本は豊臣秀吉時代から侵略してきた、そうした歴史が記録されていました。独立を勝ち取るため多くの国民が血を流したこと。民族の独立を勝ち取った歴史をしつかり伝えていました。伊藤博文を暗殺した「安重根」は日本ではテロリストですが、韓国では独立運動の英雄として独立記念館に銅像が建っていました。彼は熱心なクリスチャンで教養の高い人だったようですが、当初は人を殺したことでクリスチャンとしては認められなかったそうです。ローマ法王が彼の行為は殺人にはあたらないとしてクリスチャンとして認めたため、安重根の銅像がたったと説明していました。
韓国の真の独立は祖国の統一が実現する日、一刻もはやくその日が来るのを祈ります

第12回「平和を考える市民の集い」に協賛

2010-09-06 14:00:11 | 行事

 第12回「平和を考える市民のつどい

  ・とき  10月5日(火) 午後4時

  ・ところ 大正区泉尾「順教寺」 ・参加費500円

       大正区泉尾1-33-26(電話06-6551-8573)

   講演 「沖縄の基地問題を考える」-沖縄を平和の島に-

      講師 上地 武 氏(大正めぐみ教会牧師)

   沖縄の舞踊と音楽

      出演 「はいさい」伊佐 光、伊佐多惠、伊佐玲那さん

         フォークシンガー 野田淳子さん

   主催 大阪宗教者平和協議会


西区平和展やります

2010-09-06 10:46:56 | 行事

    第28回「西区平和展」

   10月3日(日) 11時~17時

        大阪市立 西区民センター

  おもな催し(予定)

   日韓併合から100年の韓国を訪れて

   かわさきゆたか「愛と平和のミニライブ

過去・現在を見つめ直し、未来の日本と世界の平和を考えて見ませんか・・・・

            是非お越し下さい。