久しぶりによく寝れた。
昨日の続きから
そんなメンテナンスに5月から異動してきた しかも本社務めだ
今までいた工場から離れ新たな人達がいる
工場にいた時は全員が敵だと思って誰とも仲良くしようとか話そうとか思わなくて話したりたまに飯に行って愚痴をこぼせるのは1つ上の先輩ぐらいだった
本社に来るとたまに朝礼や飲み会で会っていた陽気なおっさんらが居て会話が弾んだ というより常にボケをかましながら話をしててこれが面白い
そして優しい
そしてメンテナンスという所に来たら今までの病みというものが晴れた
メンテナンスに来た当初、僕のいた工場から1人可愛い人妻が人が足りないからとメンテナンスで働いていた
※備品の管理や消耗品等制作業務をしていた。
その人は僕が製造でやってた頃を見ているし知っている
なので、なんかあったの?と聞いてくれたり心配してくれた。
そしてコレコレこうでここに来たんですよ(小声)と相談したりした。
そうしたら人妻が大丈夫!〇〇君なら絶対大丈夫 仕事出来るよ!若いし動けるし!と応援してもらって素直に嬉しかった。
よし、行けそうだな!と感じた
実際雑務から始まって徐々にメンテナンスの仕事が始まっていくわけだが
7月までは本当にノンストップで行けた。
ストレスもZEROという素晴らしい状態で行けた のも束の間人妻のお手伝いが人手不足解消and元にいた工場が次に忙しくなり工場へ戻っていった。
そして僕は異動してきてから部品の名前や直し方そして業務の進め方あらゆる事を学んで行った。
工場と違って日によって仕事内容が変わる
これによって臨機応変という能力も問われる
そして電話の受け答えの仕方も学んだ
事務作業したかったがこういう所は全然知らないというド素人ぶり
最初は緊張で冷や汗、脂汗をかきまくった
(てか最後まで慣れなかった緊張していた)
そうこうしてるうちに夏が来たわけで
俺は5月に入ってとにかく初めての経験が多く工場に居た時に
メモを一切取らずその場でやっていたのでこれが原因で覚えられずミスりまくってたなと思い、
改善しようと、とにかくメモって頭に叩き込んだ。
もう電話対応のためにマニュアルなんて貰えないから自ら自分用のマニュアル本を作って1字1句書いた。
この時もまだ自分が発達障害だって事を忘れているのだが自分のやり方や得意、不得意な部分は何となく分かるので自分に分かりやすいよう説明書を作る
まあ、ある種そこも特有のあるあるというやつが出てるという訳だ。
それもそのはずパワハラで有名な係長のパワハラを受けたくないがためにだ
危うい時もあったがなんとかパワハラには避けてきた。
この時までは…ね…
それからメンテナンスってのは製造がミスったり不良品のままお客さんの所へ出ていってしまったものを対処するのも
ここメンテナンスの仕事なのだ
そしてその不良品を対処すると
そう
俺が製造に居た時何かミスった際、不良品が出てしまったらメンテナンスの係長が飛んでバチ切れしに来たが
それが係長と俺が製造に行ってどうなってんだ!!?と叱れるという事も仕事の1つなのである
なので今まで散々製造のおっさんに言われてきた事を倍返しだ!!という感じで不良品出たぞ仕事してんのか!?と大義名分を抱え報復出来るのだ
とは言ってもチキンな僕
なんも言えず
というか製造がどんな思いで苦労してるのかも痛い程分かるので
むしろ俺が裏で係長にバレないよう
公に出ないようもみ消した案件何個かある
ただそうする事によって見えてきたものがひとつあった。
そう、やはり連携が取れていない
今どこの部品を使ってるから壊れやすい、ここがこうでこうだから不良品出る、対処を製造でしてる等
一切製造からの声や情報が上がってこないのである
だから扱いが最悪だったんだと気付いた
仕事あいつらちゃんとしてねえなと勘違いが生まれる
そんな製造を遠目から見れたおかげでやはり離れて良かった
という感情が湧き出た
それと同時にメンテナンス業務が本格的にスタート それが7月
各地方、修理に行ったり 電話対応、始まりから完結までの修理業務の遂行
ここから雲行きが怪しくなってきた。
まず部品の名前がパッとでてこなかったりする
電話対応も緊張して丸腰
突発的なことが起こるとパニックになる
修理説明や場所の説明が下手
部品違うもの送ってしまったり
入れ忘れたり
そして部品の準備発送 業者への修理依頼書のfax、メール
どれかひとつ工程や動作を忘れて抜けていたり…
そう、製造時代と同じ過ちをおかしている
最初の1ヶ月間は係長も2度同じ失敗したらダメだが1回目は許すと言っていたが
どうやっても上達しない、忘れる 何言ってるか理解不能
そして係長の指示も本当に曖昧で分からない
難しい言葉も敢えて使ってくるから尚更だ
なので自分でも何とか出来るようになりたいと工夫するわけだ
聴き直したり自分でも分かるようさらに、メモって事細かく書く
だけど上達しない
よし出来るぞ!ってなると係長が揚げ足取って邪魔する
そう、パワハラ係長が発動だ!
なんなんだおめえはよ!!!
だからお前は要らねえ使えねえんだよ!!!
バイトで充分だ
お前がバイトで面接に来たら採用しねえ
お前はパン工場で餡子だけ詰める仕事しとけ!!!!!
毎日定時すぎたら2時間説教
そしてどうすれば良いかの答えを教えてくれない
説教も説教で今までの係長の経歴や俺は凄かった 凄いんだぞ!
と過去の自慢と立場を分からせるオナニーみたいな言葉ばかり
なので俺がそんなもの到底理解出来るわけなく
成長もしない
頷いて聞くふりだけだ
だって仕事を出来るようにとかそんなものは一切教えてはくれないし
とまあ、散々だ
というか製造のおっさんの時以上だ
恫喝も凄い
アァ!?なんか言えやゴラァ!
ぶっ飛ばすぞてめえ!!!!
等、もう訴えれば勝てる
でも、怒られたから次はミス無いよう努力する
でも係長のお気には召さない
地獄の負のループ
そして10月中に1回でもミスしたらてめえ、製造戻すか仕事与えねえからと言われた。
必死に働いた
一つ一つ確認し確実に仕事をした
遅くまで残り 部品や進め方 作業説明の仕方を勉強し直した
でも、ミスった
そんな姿の俺もお気には召さなかったようだ
ほぼいじめっ子の考えだ
そして11月から俺は電話対応させて貰えなくなった
電話対応させて貰えないということはもうメンテナンスでの仕事はほぼ皆無
部品を調達 帰ってきた部品を直す
消耗品の確保、制作ぐらいだ
これだけ 1日じゃ時間が余りまくる
そう、窓際社員の完成
そしてアイツは使えねえ人間のレッテルまで貼られ会社でつるし上げられた
11月に入ってから俺は何故こんなにもミスったり人の言葉が理解しずらかったり上手く出来ないんだ?人と同じことが出来ないんだ?
そして係長から言われる言葉には
お前はおかしいと
ちょっと考えや捉え方が人とズレてる
物凄く見透かしてるよう言ってきた
そして俺はここで深く考えた。
俺は一体?
そして俺は今までのおかしたミスを事細かくネットで検索した
他にも俺と同じようミスる人が居て
なんでだろ?と考えてる人がいるはずと
そしたら発達障害
アスペルガー、ADHDの文字が出てきた。
それに伴う症状を見た
あれ…俺…じゃね…
てか俺昔アスペルガーって診断されたよな…
ここで俺は今まで忘れていた発達障害という言葉を思い出した。
ついには親に相談した
こういう事が身に起こってるんだと
学生時代は発達障害の事なんて忘れてたし不自由をした事がなかった。
社会に出てからあれ????と思うような事が沢山あるんだけど
って
そしたら親は
やっと気付いた?
〇〇(俺の名前)は発達障害なんだよ
だから人よりも数段色んなことに遅れを取るし不自由な事や思いをいっぱしてるまさに今だって
だから小学校の時病院通ってたんだよ
と言われ初めて俺はここで自分は発達障害という事実を受けいれた。
悔しい情けない
24歳の男である俺は周りと比べると劣っているということに
周りの友達は難なくこなしているのを見ているしバリバリ働いて稼いでるやつもいる
それなのに俺は…俺は…
でもようやく気付けた
ちなみに去年の夏から通ってる精神科へは毎月行って抗うつ薬を貰ってる
その薬が
ミルタザピン 100
ラモトリギン 200
ルネスタ2ミリ
この時点でもう俺は末期
薬無しではまともに生活出来ないレベルに陥ってしまってた。
次の週俺は発達障害である事を明確にするため小学校の頃通ってた病院へ行き当時の先生に相談しに行った
そしたらオブラートではあるがそうなんだよと言われた。
※11月10日付近の事です
12月にウィスクもやる事になった。
さあ、ここから先が現在と繋がってくるというかやっと今の自分がどんな現状かが分かる所です
続く…。