小学生のときの登下校は印象的な出来事がいっぱいある。
低学年の時は姉とその友達と登校しとって、毎日渡る横断歩道のない道路があって、渡った先に大きい一本の杉の木があって、それが不気味やから花子さんの木とか言ってよんで、よくわからんおまじないみたいなのを心の中で唱えながら渡とった。
いつもみたいに二人の後ろを追いかける形でその道路を渡ろうとしたら、道路の真ん中ですずめが横たわってて、動かない状態。
動かんすずめを初めて見た。だからなんか、いつもと違う気持ちで、どうしよう、ってなってた。一旦木の方まで渡ったけど、やっぱりどうしようって気持ちのまま道路のほう戻って、もっかい見る。
目つぶっとった。くちばしがあって身体はまるっこくい、ふくらみのある感じですこし湿って?ちょっと羽が濡れてるようにみえて、動物って感じ。生身の動物って感じ。晴れとったのになんで濡れとったんやろな。
私がついてきてないのに気付いて姉たちが近くまで戻ってきたけど、私がその物体みとるのを見て「やめね!」って言ってきたのをよく覚えとる。聞いとったけど聞いてない感じも。
低学年のころは母がいつもティッシュ持たせとったから、ティッシュにすずめのせて、あの木の下は土やから、そこに移動させて寝かせた。コンクリは硬いけど土はやらかくてよさそうやしね。
その間も姉とその友達はずっとその様子見て、「触らんときね」「やめね」って言ってた。汚いからかな。死んだら汚い。動物は汚い?みたいなかんじ。その感覚は分かるけど、でもなんで同じ環境で育ってきたのに私は大丈夫やったんかなって、時々思いだして思う。なんでかはもちろん分からん。
そもそも育った環境が同じだから同じはずって考える事象ではないんかもな。
死んだものに触るのって、抵抗あるね。死んだら、もう生き物じゃないし、初めて会う別の何かの感覚になるから。(私はそう。他の人は知らん)初めてみた人の死はひいおじいちゃんやったけど、その時も同じ感覚になった。
見た感じ分かるのは乾いてて、(すずめは濡れとったけど)もう人じゃないって思った。じいちゃんの時も、その日の午前中に会ってたけど、亡くなって時間経っておくられてく準備されてくようになった頃には、もう人じゃないってなってた。
だから法話で坊さんが言ってた、亡くなったら人は仏になるって話、よくできた話やなと思った。
低学年の時は姉とその友達と登校しとって、毎日渡る横断歩道のない道路があって、渡った先に大きい一本の杉の木があって、それが不気味やから花子さんの木とか言ってよんで、よくわからんおまじないみたいなのを心の中で唱えながら渡とった。
いつもみたいに二人の後ろを追いかける形でその道路を渡ろうとしたら、道路の真ん中ですずめが横たわってて、動かない状態。
動かんすずめを初めて見た。だからなんか、いつもと違う気持ちで、どうしよう、ってなってた。一旦木の方まで渡ったけど、やっぱりどうしようって気持ちのまま道路のほう戻って、もっかい見る。
目つぶっとった。くちばしがあって身体はまるっこくい、ふくらみのある感じですこし湿って?ちょっと羽が濡れてるようにみえて、動物って感じ。生身の動物って感じ。晴れとったのになんで濡れとったんやろな。
私がついてきてないのに気付いて姉たちが近くまで戻ってきたけど、私がその物体みとるのを見て「やめね!」って言ってきたのをよく覚えとる。聞いとったけど聞いてない感じも。
低学年のころは母がいつもティッシュ持たせとったから、ティッシュにすずめのせて、あの木の下は土やから、そこに移動させて寝かせた。コンクリは硬いけど土はやらかくてよさそうやしね。
その間も姉とその友達はずっとその様子見て、「触らんときね」「やめね」って言ってた。汚いからかな。死んだら汚い。動物は汚い?みたいなかんじ。その感覚は分かるけど、でもなんで同じ環境で育ってきたのに私は大丈夫やったんかなって、時々思いだして思う。なんでかはもちろん分からん。
そもそも育った環境が同じだから同じはずって考える事象ではないんかもな。
死んだものに触るのって、抵抗あるね。死んだら、もう生き物じゃないし、初めて会う別の何かの感覚になるから。(私はそう。他の人は知らん)初めてみた人の死はひいおじいちゃんやったけど、その時も同じ感覚になった。
見た感じ分かるのは乾いてて、(すずめは濡れとったけど)もう人じゃないって思った。じいちゃんの時も、その日の午前中に会ってたけど、亡くなって時間経っておくられてく準備されてくようになった頃には、もう人じゃないってなってた。
だから法話で坊さんが言ってた、亡くなったら人は仏になるって話、よくできた話やなと思った。