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猫津波日記

開田 あやのノンキな暮らしを綴ります。

今日の桜

2011-04-12 17:49:47 | 日記
町内のお寺の桜。









だいぶ散り始めて、葉っぱも出てきた感じ。

花びらがチラチラ散りかかるのを眺めながら、お弁当を食べました。
お寺の境内はご近所の憩いの場になっているので、若い兄ちゃんのグループに元気なお爺さんが話しかけておしゃべりしていたり、お父さんに連れられてきた小さい子がはしゃいで駆け回ったり。

染井吉野はもう散ってしまうけど、次は八重桜が咲くし、その後は菖蒲の季節になる。
それに桜の葉っぱが生えそろって、おひさまにつやつやキラキラ光ってるところも好き。

桜を眺めてると、良いお出汁で煮た煮物が食べたくなるのよねえ。
そういえば、まだ今年は竹の子茹でていないなあ。
干し椎茸と昆布で煮るのが好き。

乾物屋さんのモニターに応募してみた。
当たったら煮物作ろう。

岩手産の乾椎茸「どんこ」10名様モニター募集




気分は上下するけど

2011-04-12 11:54:50 | 日記
楽しいことも、いやなこともあるけど。

10日は北千住の河原でサイエンスシートでした。

ちょっと早起きして、オツマミ色々作って、お弁当に詰めて。
もちろん、その前に選挙で投票所に寄って。

よい天気で、緑の河原にシートをひいて飲み食いしながらおしゃべりは、とても楽しかったです。
KEKの藤本先生にKEKBの被害状況をうかがったり。

KEKB、被害は受けたけど、スーパーKEKBへの改造作業中で止まっていたのが幸いして、致命的ってほどではないとのこと。
でも、電力不足の方が影響大きいのではということでした。
科学は電気が必需だからなあ……。

駅まで歩く道筋の桜並木がきれいでした。



二次会、三次会と飲み続けたんだけど、途中で石原当選の報を聞いて、気分落ちて悪い酔い方になってしまった……。
反省。


11日は気功教室でした。
師匠がhana先生にかわって3周年になりました。
二日酔い気味の身体をしっかり動かしてリフレッシュ。
打ち上げ食事会では3周年を祝って乾杯し、色々おしゃべりしました。

この二日間、色んな事を教えて貰っておしゃべりして、思ったのは、どんな状況になっても、自分は自分のできることをやるしかないのだなあ。
と、いうか、それしかできないんだから。
じゃあ、いつもの暮らしってことじゃん?

気分が落ちそうになると、この動画をみて、一緒に口笛吹いています。

http://www.youtube.com/watch?v=JrdEMERq8MA


全然、話違うんですけど、山本海苔店と山本山が違う会社って知ってた?

【先着500名様にプレゼント!・海苔茶漬『梅の友』モニター大募集!】

カイダの誕生日

2011-03-26 21:29:37 | 日記
セレビューティさんの募金イベントに参加しました。

【ご協力のお願い】あなたのブログ記事が100円の義援金になります。 ←参加中


今日はカイダの誕生日でした。
晩ご飯はカイダのリクエストでJR駅前まで歩いていってモスバーガーで食べました。
モスバーガーは安全であれば被災地の野菜も排除せずに使うと声明を出してくれたので、応援の為にも食べに行きたいねって言っていたのです。
高円寺の小さな店舗のモスバーガーはなかなか混んでいましたよ。

食べ終えてのんびり歩いて帰り、お気に入りの洋菓子屋「周五郎」でケーキを買って、帰宅後、紅茶を入れて、ささやかにお誕生祝いをしました。





カイダ、お誕生日おめでとう!

良い絵がたくさん描けますように!
楽しいこと善いことが、いっぱいありますように!

地震の後、無事に生きて歳をとっていくことができるのは、とても運がよくて、とてもありがたいことと、前よりもいっそう強く思うようになりました。

私たちが生きていられるように、力を尽くして働いてくださっている皆さんに、心から感謝します。

オマケ、ケーキに興味を示したオマメちゃん。


真っ黒で顔がわからないですねえ……。

その時、その後

2011-03-16 08:55:10 | 日記
3月11日、私とカイダは日暮里駅前のタワーマンション38階にいました。
このマンションはカイダが小島健一さんと「未来見学展」をやらせていただいた多目的イベントスペースプロモボックス!の入っているところ。
ここの上層階からだとスカイツリーが真正面にバッチリ見えるのです。
マンションの居住者だけが使える展望室という、眺めの良い豪華な応接室のようなスペースがあって、そこをプロモボックス!オーナーの慶野さんにお願いして入らせてもらい、カイダの作画資料としてスカイツリーを撮影しまくろうという目的です。

展望室というだけあって、部屋の二面は大きな窓で都内が一望!
ベランダもあるので、窓ガラス越しでない風景が撮影できてカイダは大喜び!
私は慶野さんと雑談しながら、素晴らしい景色を眺めていたのですが。

ふいにユサユサッと揺すられるような揺れを感じました。
「あら、地震?」「地震ですね」
と、言っている間にガンッと揺れが激しくなり、立っていられない状態に。
部屋の壁のインターホンから、キュイーンという警報と「ただいま地震が発生しています」という放送。
同時に窓の外、地上からキュイーン、ビー、といくつもの警報と「地震が発生しています」という警戒放送が重なって沸き上がるように聞こえてきました。
私はよろけるように座り込み、それでも揺さぶられて四つんばいで床に手をついた状態。
カイダはそんな状態なのに、時折窓の外にカメラを向けているし。
慶野さんは、すぐに携帯で奥様と連絡を取り(ご自宅も同じマンションの35階)「リビングに居なさい。モノが落ちてこない場所にジッとして。ここは免震構造だから、大丈夫だから」と伝えていました。

私とカイダの慌て振りに比べて、慶野さんはしっかりと落ち着いていて、頼もしかったです。

しばらくして揺れはゆっくりおさまり、すぐに消防の赤いヘリが飛んでいく(たぶん情報収集)のが見えました。

ぐるりと見える、都内のあちこちから火事らしき煙が出ています。
特に新橋あたりから激しく黒い煙(これはあとでお台場での火事と知りました)。

地上を見ると、近くの学校の校庭に生徒たちが列を作って避難しています。
公園にも真ん中にかたまって避難している人たちがいます。
消防署の消防車が、車庫から半分車体を出して出動準備の態勢をとっていました。

警備センターからエレベーターが停止中と放送が入ったので「エレベーターが動くまで待ちましょうか」と、カイダはまたベランダに出て撮影を始めたのですが。

ズンズンッと突き上がるような揺れ。
また私は慌てて座り込みました。
「カイダ、はやく中に入って!」ベランダに出ているカイダに声を掛けたのが、悲鳴みたいな声になっているのが自分でも判りました。
揺れでサッシのドアが勝手に動いて開いたり閉まったり。
ブラインドカーテンもシャー、カシャッと動いて音を立てました。

「ドアを開けておかないと!」と、言ったのですが、自分では上手く動けず。
慶野さんが、素早く開けてロックを噛ませて、半開きの状態にしてくれました。

「あそこ、火が出ていますよ!」
慶野さんが指す方を見ると、東京湾の湾岸あたり(あとで市原のガスタンクと知った)からオレンジ色の炎が上がっているのが見えました。
「こりゃ、かなり大ごとだなあ」
カイダが言うのを聞いて、私は奇妙なデジャブを感じていました。
金沢で北陸能登地震にあったときも、宿泊していたホテルの窓から外の風景をこんな風に見たのです。
怯えて、でも、まるで特撮映画じゃんって思いながら。

報道らしいヘリが、何台も飛んでいきました。

その後も、大きな揺れがもう一度、小さな揺れは数えきれず。
内部にカウンターウェイトを備えた免震構造の建物なので、揺れの勢いはゆるやかなのですが、ブランデーグラスをまわすような、ゆらゆらフワフワした揺らぎが続き、私は船酔いのように気持ちが悪くなってしまいました。

いつまで待ってもエレベーターは回復しないようなので、階段を使って降りることにします。
階段は私たち以外にも、降りる人登る人がいて「大丈夫ですか_」「気をつけて」と声を掛け合いました。
階段をぐるぐる廻って降りて、頭はクラクラ、足はガクガクになりました。
とりあえず、プロモボックス!で慶野さんが飲み物を出してくださり人心地つきました。
パソコンを繋いでいただき情報収集すると、思っていた以上に大変なことが判りました。
電車が止まっているという報道、外を見ると日暮里の駅前はバスとタクシーの乗り場が長蛇の列。
プロモボックスのまわりにも、行き場を失った人たちがたむろしています。
大きなスーツケースを持った海外旅行に向かう風な人も。

電車は完全に止まってしまい、駅は入り口のシャッターを閉めてしまっています。
都内の交通網は完全に麻痺状態。

私たちは慶野さんのご好意で車で送っていただきました。
車の中から、たくさんの人が黙々と歩いて移動しているのを見ました。
その中には銀色の防災頭巾をかぶった子供達の姿もありました。

車の中のモニターでワンセグ放送を見て、被災地の様子に絶句し、フジテレビのアナウンサーのパニックを煽るような言い方、いい加減なことを言っている有識者とやらに憤り。

道路は渋滞がひどく、日暮里から杉並まで2時間強かかりましたが、無事に自宅に帰り着くことができました。

家の中は私が乱雑に積んでいた文庫本の山が崩れたぐらいで大丈夫でした。
猫たちも、特にショックを受けた様子もなく元気にご飯を食べました。

私たち夫婦がパニックを起こさずに済んだのは、慶野さんが落ち着いて冷静に動いて下さったからです。
本当に有り難かった。
ありがとうございました!

帰宅後、電話も携帯も繋がらないので、ネット経由で親戚知人の安否確認をし、171の伝言を入れました。
カイダの大阪方面の親戚に無事を伝えられたのは、義母の兄にあたる伯父とツイッターで繋がり、義母宛の伝言を頼めたから。
私の実家方面には、ミクシィメッセージで妹と連絡し合えたからです。
ネットを、SNSをやっていて、本当に良かった!

その後はヤシマ作戦に賛同して節電しまくりつつ、いつも通りの生活に戻っています。
今のところ、停電もありませんし、水道も大丈夫。
知人友人たちとも連絡が取れました。

近所の店で保存食が売り切れたりしていますが、特に混乱もなく落ち着いています。
階段を降りたせいで、足が筋肉痛でしばらく痛みましたが、今は平気です。

これからどうなるのかわかりませんが、私はカイダと猫たちとできる限りいつもの暮らしを続けます。
被災地の皆さまにも、1日も早く、いつもの暮らしが戻りますように。
心よりお祈りいたします。

 開田 あや