寝転んで空を見る

山高きを厭わず 海深きを厭わない

エピソードから見る信長の実像② かほどの餅おば、いかほど喰やらん?

2013年08月31日 | 信長公雑記

若狭国の守護であった武田氏の使者(家老)が安土城を訪れた。

今は落ちぶれたとは言え、清和源氏の名門らしく、

礼装に威厳を正し、広間で信長を待っていた。

 

時代は下克上の世、織田を初めとする成り上がり大名達は礼法に疎い。

一方、若狭武田氏は家の格式しか誇るものが無くなって居た。

この使者は、信長に侮られない為、必要以上に礼法・作法を身に付けている事を誇示していたのだろう。

 

そこへ通りかかった信長の家臣市橋長勝は、使者の様子を目にするや、

その取り澄ました態度が癇に障ったらしい。

 

市橋長勝は使者の前に歩み寄ると、仰向けに 寝そべり、大股を開き、

袴をたくし上げて裾から睾丸を取り出し使者に見せた。

その睾丸を平手でペチペチと叩きながら

『御使者殿、かほどの餅おば、いかほど喰やらん』(これ位の餅なら幾つ位食べれます?)

と言い放った。

 

信長の家臣で、名門の出である細川藤孝は市橋のこの行為を醜悪であると批判しているが・・・

(因みに藤孝は、後の肥後熊本藩主忠興の父にして、第79代内閣総理大臣細川家18代細川 護熙氏の祖)

 

織田信長は、他出から戻りこの話を聞くと笑い転げ、笑いが止まらなくなったと伝わる。

(使者の側に居た家臣からか?武田氏の使者から聞いたのだろうか?)

 

現代、他国の外務大臣や大使に対し、この様な態度・行為を行ったなら、大問題になりTVや雑誌を賑すニュースになる事は間違い無い。

確実に市橋は解雇され、逮捕もされるだろう 笑

 

当時でも、いや当時だからこそ、大問題だった筈。

天下人信長の、織田家の評判を地に落とす行為なのだから・・・・。

 

しかし、信長は市橋長勝の罪を問う事は無かった。

 


エピソードから見る信長の実像 無辺の事

2013年08月30日 | 信長公雑記

今回は、信長公記に記された織田信長の『こぼれ話』を御紹介。

信長がどの様な人となりであったか、このエピソードを通して、その人となりを想像して見て下さい。

それが歴史の楽しみ方の一つだと思うからです。

 

無辺の事

無辺と言う諸国行脚の客層が石場寺は栄螺坊の在所に現れ居住すると、次々に奇跡を起した。

無辺が、大切な秘法を授かったと吹聴すると、

心づけを捧げ、噂の秘法を授かろうとする男女が昼夜門前に立ち暮らす程の騒ぎとなった。

信長公は、その無辺の噂を耳にし、『その仁体を見たい』と仰せられ

天正八年三月二十日、安土城の御厩へ呼び出した。

 

信長公は先ず『客僧の生国は何処ぞ?』と尋ねた。

無辺は『無辺(何処でもない)』と答えた。

信長公が『唐人(中国)か天竺人(インド)か?』と尋ねると

無辺は唯『修行僧』とだけ言った。

 

すると信長公は

『人間の生国は、三国(唐・天竺・日本を指し世界の意味)以外には無い筈である、何処の生まれでも無いとは不審である』

『さては、化け物か! 然らば、炙って見るか』と言い

『火の仕度をしろ』と家臣に命じた。

その一言に恐怖した無辺は『出羽の羽黒の者』と、その生国を言った。

 

信長公は『やはり売僧であったか』

『貴様は、生まれも無く、住む所も無く、弘法(仏の教えを世間に広める事)だと言い』

『人からの進物を一切受け取らない事から一見無欲に見えるが、その宿へ何度も世話になっているさまは、無欲とは言えぬでは無いか!』

『とは申せ、汝は奇特な技を持っていると聞き及んでいる。その技を見せてみよ』と迫った。

しかし無辺は、その奇特な力(超能力)を見せる事が出来なかった。

 

すると信長公は『惣別、奇特不思議なる力を持つ人は、形から目色、人となりも優れた二人と居ない様な者であろう』

『おぬしの卑しさたるや、山賤(山仕事を生業とする身分の低い人)にも劣る』

その卑しい身なりで『女子供を騙し、無駄に金を使わせるとは曲事なり!』

『この上は、無辺に恥をかかせよ』と命じて、

僧侶らしからぬ長かった髪を所々ハサミで切り落し裸にしたうえで縄を懸け、町で晒した後、追放した。

 

しかし、後々良く調べさせた所、無辺は『丑時(夜中の秘法)を伝授する』と言っては子宝に恵まれない女や病気の女に対し

『臍くらべ』と言う秘儀(現代でも宗教関係者が女性信者に良くやる卑猥な秘儀)を行っていた事が分かり

信長公は激怒なされ『先々の為だ』と分国中の国主達に命じて、追っ手をかけさせた。

やがて捕らえられた無辺を召し寄せ、自ら糾明し、誅(処刑)した。

 

その後、無辺を泊めていた宿坊『栄螺坊』に対して信長公は

『何故、城周りにあの様な徒者(いたずら者)を置いていたのだ』と問うと

『石場寺御堂の雨漏りを直したき故、無辺が集めてくる勧進(修復の為の寄付)欲しさに置いておりました』と答えた。

それを聞き、信長公は銀三十枚を与えた。

 

 

以上、現代風に訳すと、こんな感じでしょうか。

 

信長の一生は戦いに明け暮れたものでした。

でありながら、家老達の意見を聞かず、多くの政戦両略の判断を自ら決し、執っていた事は有名で

日の出前に起床し、一人夜遅くまで策を練り、執務を執っていました。

そして戦場へ出ては、その指揮を執り、時には最前線で槍を振るい、足に銃弾を受けたりしています。

戦国一激務をこなしていた人物と言って間違い無いでしょう。

 

その激務の間に『無辺』の噂を聞けば、当人を呼び出し、その奇跡の真贋を正しています。

そして後日、民をだまして居た事が分かると、再び自ら糾明し、処刑している事に驚きます。

信長について調べると、こんな小さな事にまで自ら指示を出しているのか!?と驚く事が多くあります。

 

一つ例を上げると

当時日本では人身売買が盛んに行われていましたが、信長は人身売買を禁止していました。

人身売買をしている女主人(堺だったか?)を捕えろと御触れを出した話が残っています。

因みに、武田信玄はもとより、義将として有名な上杉謙信ですら、人市場を立てて拉致してきた人々を売りっており

当時ヨーロッパへ売られた日本人も50万人以上いたと云われています。

信長は人身売買を禁止した最初の戦国大名であり、世界でも稀有な存在だと思われます。

もっと評価すべき事だと思うのですけどね?

 

この様にその行政区を担当する領主や奉行が行うべき事柄も、自ら命令しているんですね~

 

 

信長の実像はNHK大河などTVの姿とは違います。

己が激務をこなしている為、家臣の怠慢には厳しいですが、失敗=死刑なんて事は有りません!

実は、えこひいきが無く、ユーモアが有り、民や家臣・女性に対する優しさを持った、公明正大な人物であり

日本で初めて『自由や平等』と言う思想を持っていたのは織田信長では無いか?と思える人物です。

 

今後、それを現す様な、エピソードも少しずつ紹介して行きたいと思います。


明日はオダワラー

2013年08月22日 | その他

デジカメが無いから楽しい事があっても・・・

 

ブログ更新する気にナレマセン!

 

カメラ買おうと思っても、安いのは~なんか勿体無い気もする?

高いの買っちゃうと、秋に北アルプス行けない。

 

とりあえず、明日は休みなので小田原へ行くつもり!

(海見て釣りしたり、ブラブラしてきます)

 

久しぶりに天守上っちゃおうかな?


カメラに続き・・・

2013年08月10日 | その他

2年前に購入したアウトドアウオッチ、スント コア・オールブラックには、気温計測機能が付いている。

実はこれ、腕に付けている状態で気温を測っても体温を拾ってしまい、正確な気温を測る事は出来ない。

 

これは先日の話、職場の休憩室が暑かったので、その機能を使い『ピッ』と測ってみた。

 

なんと室温は218℃!

 

いや、もう、どうりで暑いと思ったよ~

 

って、おい!

 

 

どうやら、デジカメと時をほぼ同じくして、ぶっ壊れたみたい・・・・

 

この時計には、方位計・気圧計・温度計を初めとする機能が付いており、

それらを組み合わせる事で更に高度な機能、ストームアラーム・気象予測・高度計等を使えるのだ。

 

登山で良く使う高度計は、気圧&気温から高度を割り出す仕組みになっている。

と、言う事は?

 

試しに機能を高度計に切り替えてみた所・・・

 

標高28000mを表示したり、時には-9000mと表示されるようになりました・・・・・・。

 

 

2年以上使っていると色々気付く所も多いのだが、ホントこの腕時計

ダメです 笑

 

10気圧防水を歌っている割に、裏蓋をゴムリングで防水している為?

水は入って来るし・・・(コレが原因だろう)

裏蓋が開かなくなる!

 

カシオ プロトレックの方が機能的に優れている事は分かっちゃ居たんだが~

やっぱり電波受信&ソーラー充電が+されている、カシオ プロトレックにしとけば良かったと

 

後悔先に立たず?