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南大東島・沖縄の旅情・離島での生活・絶海の孤島では 2012年

沖縄から南東に400キロ。太平洋に浮かんだ絶海の孤島でも人々の暮らしがありました。2012年の情報をお知らせします。

宿、「民宿金城」、古いタイプの離島での宿泊施設でした。

2012-12-08 12:20:59 | 日記

 島には、かって「民宿金城」という有名な宿がありました。「あった」というのは、この宿は2012年9月の台風による破損で廃業してしまったからです。昔のガイドブックや旅行体験記には必ず出てくる宿です。1泊2500円の素泊まりであり、貧乏学生や離島マニアの御用達であったようです。その昔は、金持ちは「ホテルよしざと」に、貧乏人は「民宿金城」に区分けされ、それぞれが独自の領域を持って営業していたようです。
 廃業になった理由は台風による被害なのですが、そもそも経営者が高齢化していて廃業を考えていたようで、台風がそのきっかけになったようなものです。窓ガラス越しに室内を見たのですが、どうも畳敷きであり、設備にはあまり金をかけなかったようです。近くでサザンクロスが新規開業し、顧客がそちらに流れていったため、経営はじり貧になったことも原因でしょうか。私も、貧乏学生の時代であったら金額の安さに引かれて宿泊したかもしれませんが、今となってはチョット考えてしまいます。

食事、冨士食堂、島で唯一のファミリーレストラン。

2012-12-07 18:37:36 | 日記




 島で食事をすることには少々の問題があります。食堂が極端に少ないからです。私が確認できたのは「富士食堂」と「光食堂」の2か所だけでした。島内で配付している(南大東村商工会が制作したもの)パンフレットなどによれば、この他にも食事を出す店や喫茶店、パン屋があるというのですが、いずれも開店休業の状態でした。開業している食堂が2店舗だけ、というのはそれで需要と供給のバランスが取れている状態だからでしょう。人口が増えたり、公共事業が発生して島外からの出張者が増えれば、休業している店舗も営業を再開することになるのです。
 富士食堂は南大東島のガイドブックや観光パンフレットには必ず掲載されている、超有名な(南大東島だけですが)食堂です。その理由は、島の中心部にある唯一の食堂であり、観光客が昼食をとるにはここしか利用する所が無いからです。ホテルよしざととは道路の反対側に位置していて、昼食が出ないホテルの宿泊客のほぼ全員はこの食堂を利用せざるを得なくなります。
 建物は木造平屋で質素な外観です。看板には大きく「大東そば」とあり、最初はそば専門店かと思っていたら、屋根の上に「富士食堂」の看板が出ていました。店内は極めて広く、テーブル席がざっと40席、10畳ほどの座敷がありました。島の面積に比べてこんなに広い食堂では採算が成り立つのか疑問に思うのですが、この富士食堂は島内では重要な給食施設なのです。顧客の主体は観光客ではなく、主な顧客は地元の会社に勤める会社員や付近に住む居住者なのであり、この食堂が閉鎖となったとしたら途端に島内で調理した料理を供給してくれる施設が無くなり、島での生活が機能しなくなります。独身者や長期滞在者にとっては、生活の基盤となる食生活を支援してくれる唯一の施設と考えて良いでしょう。味や内容はともかく、島では食べることができるのが重要なのです。
 この日の昼食に入店しましたが、店内には役場に勤める公務員や独身者で混んでいまさいた。家族連れも見かけられ、さながら、島内のファミリーレストランと言った雰囲気でした。

食事、名物の大東そばを食べました。

2012-12-06 18:39:21 | 日記


 さて、「富士食堂」の店内にはメニューの札が下がっていました。金額的には内地とあまり変わらないものでした。そのメニューの下を見ると、「年中無休」とあり、この食堂が島内の独身者の生活を支える支援機構という立場が明確に理解できます。
 その横に、営業時間が掲げられていて、
  朝食   6:00~ 8:30
  昼食  11:45~14:00
  夕食  18:00~20:00
 とあり、年中無休なのですが牛丼の吉野屋のように24時間営業ではありません。時間が限られているので、この時間帯に入店しないと食事にはありつけないことになります。この時間帯を外れた場合はどうなるか、と言えば、弁当やパンを買うしか方法がないのです。運営している店側からすれば、空いている時間が休息と仕込みの時間なので致し方ありません。家族経営で運営してるのですから、年中無休だけでも大変なのに、24時間調理していたら身体が持ちません。島の人達にとっては、「腹がへったから食堂に出掛ける」というのではなく、「食堂が開いている時間に合わせて食事をする」、というのが島の掟なのです。



 この店の名物は「大東そば」なのですが、これはそばではなくうどんなのです。店内には写真入りで麺を作る作業や能書きが出ていました。要するに、手打ちうどんの一種であり、ダシが独特のもの、ということです。私も名物の大東そばを試食してみました。つゆは塩味で透明感があり、麺は太くて腰のあるものでした。以前食べたことのある宮古島そばとほぼ似ています。不味い、ということはありませんがびっくりするようなものでもなく、それなりの味でした。ただ、だしは油っぽくなく、毎日食べても飽きないのではないかと感じられました。

 この店では「バイキング」という料理もありました。何種類かの料理があり、どれを食べてもいいよ、ということで、おかずの食べ放題といった感じです。定食が無いため、毎日あれこれとおかずを出して、来店する独身者に飽きさせないようにしているのでしょうか。地方都市では見かけることない、この島独特のメニューでした。


食事、光食堂、地元の人しか利用しない食堂です。

2012-12-05 18:40:59 | 日記



 もう一方の食堂「光食堂」は、島の中心部から少し離れた位置にあり、歩いて出掛けるには少々不便でした。こちらは鉄筋コンクリート造りの平屋で、こじんまりとしています。店主一家3人で運営しているようです。夜は居酒屋にもなるようで、酒瓶も置かれてました。昼食には近所の建築会社の社員や農協の職員などが利用しているようですが、あまり来客が多いとは思われません。食事をしていた会社員たちは、午後1時ぴったりになるとスーと会社に戻っていき、店には客は居なくなりました。すると、店内はたちどころに店主達のまかない飯の場となり、この切り替わりが素早いものでした。

 ここでもそばを注文しましたが、味や内容は富士食堂のそばと変わらないような気がしました。もしかすると、光食堂では富士食堂から麺を購入しているのかもしれません。

 この食堂はリゾート風ホテル「きらく」の指定食堂となっていて、「きらく」の宿泊客はここで三度の食事を摂ることができます。「きらく」ホテル自体には調理設備はないため、徒歩3分の近さにあるこの食堂がホテルの食事処になってます。離島ならではの異業種協調なのでしょう。雨の日に、傘をさしてホテルから食堂にでかけるのも乙なものではないですか。

 


弁当と閉店した食堂。

2012-12-04 12:43:03 | 日記



 島内でまともに営業している食堂は2店舗だけでしたが(居酒屋などがランチを提供している場合もあるらしいが未確認、多分、2、3軒はあると思われる)、営業時間内に食堂に辿り着けなかった場合はどうなるでしょうか。食堂の休憩時間では閉店していて、食事にはありつけなくなります。そのため、島の雑貨店では弁当を販売していました。早い昼飯や遅い夕食などには弁当で食欲を満たすことになります。
 2つの写真は別々の雑貨屋の店内で販売していた弁当です。500円弁当の他に、寿司、いなり、サンドイッチ、惣菜などがあり、品数は少ないが種類は豊富でした。これなら独身者であっても食生活に困ることはありません。では、これらの弁当を始めとする加工食品はどこから供給されているのでしょうか。それは、近所の居酒屋でした。弁当・惣菜専門の「ランチボックス」という店もありますが、そこだけで全ての弁当類を賄うことはできません。そこで、調理場のある居酒屋が副業で弁当を製造し、雑貨屋に卸しているのです。つまり、居酒屋としては客の少ない暇な夜に弁当を製造し、それで売上げを補っているのである。良く言えば、生産能力のある者がそれを必要としている小売店に供給していて、両者が共存していることになるのです。実際、私が或る居酒屋にいたとき、調理場では明日出荷する大東すしを調理している作業を見かけました。しかし、これは悪いことではなく、人口の少ない島では、それぞれの能力に合わせて仕事を回し、全体の社会生活が成り立つような仕組みに自然となっていったのでした。

 先程、食堂は2店舗しかなかった、と記載しましたが、歩いていたら集落の外れに「ソーキそば」と書かれた看板のある食堂を見つけました。しかし、私が滞在していた間は一度も営業をしていませんでした。多分、一度は開業したのですが、顧客が少なくて経営が成り立たず、休業したのではないでしょうか。なお、隣には「ベレン」という居酒屋があり、こちらは朝5時まで営業している、深夜営業の居酒屋でした。深夜の社交場となっているようで、夜がふけると飲み客が増えていました。ママさんはフィリピン人でした。