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悟りへの道標(悟った人の言葉を紹介していきます)

現在は主にニサルガダッタ・マハラジ(1897~1981)の言葉がメインです。みんなで悟りましょうヽ(=´▽`=)ノ

プロフィール

2016-08-23 02:55:22 | ランジット・マハラジ
ランジット・マハラジは1913年1月4日、ボンベイで生まれた。12歳のときに彼の師である、その時代きっての偉大で無名のグル、シッダラメシュワル・マハラジと出会った。

戸口を訪れ続ける探求者の数が増加していた1983年、70歳になってから彼は教えを説き始めた。彼の教えは彼の師を受け継いでおり、言葉における明快さと率直さに重きを置いている。

マハラジの教えは、その革新的なスタンスと直接さにおいて特異である。「全ては幻。”私”は幻。なので”私”がすることも全て幻です。」つまり、彼は幻を改善するためのいかなる技法も与えはしないのだ。

知識とは、無知という病を癒す単なる薬であり、無知が消えてしまえば、もはや知識は実在しない。「現実のなかには、知識も無知も存在しません。”私”が実在しないとき、”私”がいないとき、だけがおり、それが現実、それが自己なき自己なのです。」

マハラジはよくゼロについて語った。それは認識、つまり”私がいる”という感覚について言及したものである。意識の内に生じたものは全て、認識そのものと異ならず、それを重要視するのは全く無意味である。無に価値を置くことが無知であり、あらゆるものは無であると知ることが知恵である。ゼロは常にゼロである、と証明する必要があろうか?現実が万物のであり、認識を超えた自然な境地、境地なき境地である。ただそれだけが真実であり、マハラジがいつも言っているように、「去来するものは皆ゼロ、偽りです。」なのである。現実は永遠に在り続け、皆現れては消えていく、”私”、体、心、世界、認識から完全に自由だ。熟睡中には何もなく、「私がいる」という認識さえないが、現実はある。正しい知識と、自身に受け入れた誤った自己同一化を全て拒絶することで、無知のヴェールは取り除かれ、我々は自己の本然を悟るのである。「本然を見つけるのは一番簡単なことですよ。あなたはいつでもそれなんですから。」

ランジット・マハラジは2000年11月15日午後6時16分に、ボンベイの自宅で亡くなった。最期の数日に彼が語った言葉は、「もう無用なので、捨てなければいけません。」であった。