goo blog サービス終了のお知らせ 

sanctuary

てま・ひま・くらし。ていねいな毎日。

北海道、牛肉といえば・・・・

2007-06-24 16:00:09 | 社会科
ミートホープ社の偽装事件は、社員たちも知っていながら「雲の上の人」に逆らうことができなかったらしい。クビを覚悟で苦言を呈したならばやっぱりクビになりました、という人もいたのだろうか。
いずれにしてもワンマン社長の下にはイエスマンしか残っていなくて、保身に走って黙っていた社員も同罪、見て見ぬフリはいじめの構造と同じ、と非難したいところなのだけれど、他のところが気になる。

ワンマン社長が一代で成長させた同族会社がどうしてこうも次から次と摘発されるのか。

鳥インフルエンザのアサダエッグ・ペコちゃんの不二家・そしてミートホープ・・・・。

ワンマン社長、同族会社は風通しが悪くなり内部から腐っていくことは分かる。
しかしどうも釈然としない。

もしかして地元有力議員さんに大口献金とかできていたら状況は変わっていたかも、献金ケチったからこんなことになったんちゃうのん、と思うわたしは偏見満載?

北海道といえば新党大地のムネオ、ムネオといえば食肉のドンとの不穏なおつきあい。

で、ここは24日の「たかじんそこまで言って委員会」の冒頭から。ホラ吹きかっちゃんいわく

内部告発した人が役所にお肉を持ち込んだのにケンもホロロだった。朝日新聞でもDNA検査できたことをなぜ役所はしないのか。
ここから食肉業界の圧力についてTBSの“ピンポン”でコメントしようとしたら「食肉業界のことには触れるな」と事前に念押しされた
とか。

あ、北海道といえば鳩山ユッキーも地盤。

かなり以前に内部告発されていたというのに、選挙直前に偽装事件発覚、


このタイミング、なぜかしらっ。




選挙前に沖縄入り。なんかムカつく。

2007-06-23 15:50:47 | 社会科
正しい歴史って、何でしょう。

縄文、弥生時代のことは発掘された考古資料から考察するしかないだろうし、文書が遺されている時代のことはそうしたものから推察するしかない。

でも、ほんの60年前のこと、まだ生きている人たちがいる時代のことなら証言者の言葉がいちばん強いのではないか。現場の「空気感」のない記録は意見書であって歴史ではない。

わたしが当事者ならじぶんの生きてきた凄惨な経験、思いを否定されているようでやりきれない。
亡くなっていたら安陪さんを呪って出るかもしれない。

沖縄戦の集団自決は軍の命令ではないって。
軍人のひとりが「言ってない」からだって。
そのとき「やらざるを得ない」空気をつくったのはやはりその場を仕切っていた軍人だし、軍人は生きて虜囚の辱めを受けず、切腹こそ日本人の美学と死ぬのがあたりまえと言わんばかりに人々を抑圧していた。

「死なざるを得ない気持ちにもっていった」のは誰か。
なぜそうなってしまったのか、その場にいた人たちの言葉、感じたことを無視した記述は「正しい」?

一連の教科書問題の根底には「自国を卑下するような記述はどうか」ということらしいのだけれど、集団自決や従軍慰安婦の記述を削除することで国家の誇りが回復するとは到底思えない。


安陪さんの愛国心が命とり(になればいいな♪)

2007-06-22 16:13:31 | 社会科
いま思うに、コイズミさんって明るいヒトやったわぁ。どうしょうもなくゴーイングマイウエイなおっさんやったけど、なんつーか愛嬌があり、それがまぁワタシの母をはじめ全国の中高年マダムスのハートをワシ掴みにしたというか。

ウチの母は安陪さんも好きです。「サラブレッドだから」(うう、お血筋に弱いヒト)。

しかし、安陪さんは暗い。しかも深窓のボンで庶民感覚ゼロゆえワタシのようなビンボー国民の感情を逆撫でするようなことばっかりする。

にほんの教育・憲法と子どもから高齢者まですべての生き方にかかわる大切なことをドンドコ強行採決する。
国民がアワアワ言うてる間のスピード決済、ええんか?

さらに教科書から沖縄集団自決を削除して沖縄の慰霊碑に手をあわせに行く厚顔無恥。

ついでにまだまだやり残したことがあるとばかりに法案通過のために国会会期延長。これで選挙費用2~3割増しですと。人の言うコト聞かへんコイズミさんも周囲は「やりづらい」ヒトだったんだろうなぁと思うが、偏向した思想のおじじたちの言うコトばっかり聞いてる深窓のアホぼんもどうやら永田町では使いづらくなっているもよう。

年金問題は自分の責任やからとボーナス「一部カット」って・・・・こういうことは遠慮しないで「全額いりません」って言えばいいのに。「全額」っていったら選挙対策かと詮索されるのがイヤで「一部」にしたんちゃうのー。ウラのウラかいてるカンジがする。(あたしも偏見だなぁ)

そういえばジョンイル死亡説さえ流れる中、ヒルさんが電撃北朝鮮訪問。核実験関係の調整とともに「拉致問題もよろしくね」と最後にコメント。

選挙直前にナイスなお節介ですこと

安陪さんって、ある意味、考えてることがよくわかる。しかもあんまり立ち回りがうまくない。(幼少のみぎりから周りが立ち回ってくれたんやろね。ボンやから)こうやってみるとこの方のゆるぎない愛国心って、案外と自民党にとって危険かも~。



プロに学ぶコツ

2007-06-09 16:18:16 | 社会科

マダム軍団には圧倒されましたが、本では微妙にわからない部分をパティシエの先生に教えていただきました。

メレンゲをどれくらいしっかりとたてるのか、しぼり袋の中身を無駄なく使いきる方法とか。パテの使い方とか。

ロールの巻き方だけは練習でコツをつかむしかないみたい。

さっくりと軽い仕上がりのビスキュイ生地もいいですね。

ちなみに上はせんせいのお作品 。下はわたくしの。

ちがいは歴然~・・・あたりまえか。


 


フリーエージェント時代に必要な能力とは?

2007-06-07 11:31:40 | 社会科


2001年にアメリカで出版、日本版は2002年4月に初版発売。

10年前のアメリカの労働環境が記されているのに「いまの日本、そのまんまやん!」というものが多く見受けられてとても興味深い。

こんなに縛られた働き方をしているのは日本人だけかと思っていたら、自由の国アメリカでも企業利益のためにさまざまな犠牲を強いられているのにはちょっと驚いた。

本書ではフリーエージェントを「インターネットを使って自宅でひとり働き、組織の庇護を受けることなく自分の知恵だけを頼りに独立していると同時に社会とつながっているビジネスを築きあげた人々」と定義し、フリーランサーで働く人も、起業家も、非正規雇用の人々もフリーエージェントに組み込んでいる。

「テンプ・スレイブ」といわれる非正規雇用の人々の状況にも日本の現状と共通するものがあるが
「テンプ・スレイブが劣悪な条件で働かされているのは、その人たちが臨時社員だからではなく、正当な扱いを受けるための技能や交渉力をもっていないからなのだ。今日、職場における不平等を生み出しているのはその人が会社員であるかフリーエージェントであるかではない。不平等を生むのは需要のある技能をもっているか否かの違いであり、新しい人材市場における交渉力をもっているか否かの違いなのだ」(P.262)

生きることに必死で交渉まで手が回らない人、教育の機会から遠ざかってしまって、自分のチカラで稼ぐことしか信じられない人、行政や企業と交渉の機会を持とうとして追い払われて傷つき、諦めてしまった人たちはどうしたらいいのかなぁ。

などと、ネガティブが先行しちゃいましたが、新しい働き方を考えるうえではとても役立つ一冊です。

陣内・紀香にみる「結婚という自己肯定の装置」

2007-06-05 12:14:11 | 社会科
ようやく録画していた陣内・紀香の結婚披露宴を見た。
ひさびさに「これはみたいっ」と思った披露宴中継だった。世間の皆さまも同じ気持ちだったらしく視聴率40%超とは、まぁ。
ひろみGO&友里恵の華燭の典も永久保存版にしているので有名人結婚式の歴代高視聴率ワンツーフィニッシュ達成だわっ、ふっ、ふっ、ふっ。

ま、そんなアホな自慢はさておき主役の「陣内・紀香」である。
別にどちらかの熱狂的なファン、というわけではない。陣内智則はいま若手の中では注目株の芸人さんで好きだし、藤原紀香は私にとっていつも「どうして?」がつきまとう、気になる女優さんだ。
「エンタの神様」に陣内智則が出演していたら必ずチェックするけれど、紀香のドラマも彼女の国際貢献的な活動もあんまり興味がない。きれい過ぎてウソっぽい。「なーんかさぁ、女優でイマイチだから文化人めざしてんちゃうの。オードリーになるには代表作がないしねぇ」とまぁ、性悪なフィルターをかけまくっている。

藤原紀香という女優には魔物が棲んでいない。
同じようにお嬢さん育ちの米倉涼子は海老蔵から「それ」をもらって大化けした。

毒も傷みもない女優はつまらない。勿体無いなぁと思う。

しかし、メディアはやたらと「格差婚」を強調する。冴えないオトコに天女が舞い降りてきたかのような大騒ぎ。
陣内自身も「ボクなんか」と言い、周囲も「陣内なんかと」と笑いをとる。

まあ、たしかに阪神間のお嬢さん学校で中学から大学までを過ごし、ミスコングランプリの看板をひっさげて芸能界入りした女優と同じ兵庫県生まれでも播州の田舎で公立育ち、芸人になってからは「ベースよしもとでいちばん面白くない芸人」といわれた冴えないオトコ(テレビでは「ふたりの生い立ち」をそんなふうに紹介していた)の結婚である。

この生い立ちから結婚までのナレーションはまるっきり往年の「少女マンガの王道」の逆バージョンだった。

学校で一番人気者の男の子がこれといって特長のない平凡な女の子と結ばれる。
会社で営業成績トップ、学歴、家柄申し分のない青年が素朴なOLと結ばれる。

主人公の女の子は物語の中で必ず1回は「彼が“私なんか”好きになってくれるわけないわっ」などとつぶやく。しかし最後はオトコマエが「そんなキミがいいんだよ」てなことを言って、目に星、背中にバラをしょってハッピーエンド。
こんな物語の中で乙女たちは「いつか、こんなワタシのままでいいという人が現れる」と固く信じていたのよ。
現れなかったけど。

モテない男が幸せになるドラマといえば「電車男」がある。ヲタク青年がヒロインエルメスと結ばれるというストーリーだったけれど、この物語には彼を応援する心あたたかいヲタクたちがいた。奇跡というより電車男はみんなの声に励まされながら努力して成長していく。この物語はネットという新しいパッケージの友情物語だった。

ところが、紀香・陣内が結婚をきめた「59回目のプロポーズ」というドラマは、まったく冴えないヲタク青年に紀香が「そんなあなたが好きなの」と最後には冴えない男のすべてを受け入れるという物語だったらしい。「そのままのあなたでいいの」というのがミソですな。

「ワタシなんか」と口にするのは男子で「そのままのキミでいいんだよ」というのが女性なのだ。

ところで、少女マンガの中で憧れの男子は主人公の少女を、あまたいる女子のなかから「選んで」いた。女子は「選ばれる」ことを待ち、その思いが成就する。なので乙女な読者だった私はすんごい達成感を覚えたわけなのだけれど、逆のパターンはどうなのだろう?

女性が冴えない男性に「そのままのあなたでいいの」と言うときの気持ちは、少女マンガの間逆と考えていいのだろうか。

今回の披露宴で紀香から感じたのは「ディスカウント」だった。
夫を見下しているのではなくて、自分自身をディスカウントしてるなぁ、という感じ。
陣内智則という芸人さんは、才能のある人だと思う。きっとこれからますます活躍が期待できるだろう。
しかし、紀香はその可能性を信じたのだろうか。
ひな壇に座っている2人を見ていると、わたしは紀香の方から「私なんか」という心の殻を感じてしまう。どこか心もとなくしぼんだ自己価値を陣内の「ボクなんか」という言葉で膨らませたのではないか。

三歩下がって芸人の妻として夫についていくそうだけれど、いつか陣内がグンと売れて「ボクなんか」と言わなくなったとき、紀香はどうなるのだろう。

結婚や恋愛が自己肯定感を高める装置の役割を果たしている場合があるのではないか。
ムーディー勝山のお祝いムード歌謡の登場に血中濃度をあげつつ、そんなコトを考えた。

おかんとおばぁと時々おじい

2007-05-24 10:19:11 | 社会科


母の編み物トモダチのOさん、娘夫婦とは同じ敷地内でスープの冷めない距離に住んでいる。ここんちの孫息子くんが昨年、大学生になった。

娘夫妻は健在で、私学とはいえ進学費用に「とっても困っている」わけではないのだが、じいちゃんが「ウチの跡継ぎや、ワシが面倒みたる」と太っ腹な宣言して、学費はじいちゃん、生活費は両親が面倒をみている。

スポンサーであるおかあちゃんは当然のように息子のアパートに行く。せっせと冷凍おかずをつくり、掃除と洗濯して帰る。もうひとりのスポンサーであるばあちゃんも、おかあちゃんとは別の日に来てはお小遣いを置いて帰る。

「いつ行っても部屋が汚くて洗濯物がどっさりあってねぇ」と困った顔で言いつつ、Oさんは嬉しそうなのだとか。

母のそんな話を聞いてると、フト「純情きらり」(NHKの朝ドラ)のボロアパートを思い出した。
昔の大学生さんの下宿に親が来てかいがいしく面倒をみてるシーンってないよなぁ。

うちのばぁさんは強烈な過干渉ババで、父が大阪の大学に通っていた頃(終戦直後の話です)、朝の3時に起きて弁当持たせて送り出していたそうだけど、下宿にかわってからは一度も行ったことがなかった。京都に下宿していた叔父のところには米や野菜を送っても自分が行って面倒みてやるということはしなかったらしい、と母。

そうか、あの過干渉ババでさえ、息子の下宿に行ったことがなかったのか。

息子が家を離れることはどのような形態であれ「自立」であり、自分には分からない、テリトリーの外に出たとみなして手を出さなかったのだろうか。

交通事情も悪く、ヨメがしばしば家を空けることなんて言語道断、田舎のおばさんがひとりで息子の下宿に行くというのは、一大イベントだっただろう。
(うちの母も一人で神奈川に住む姉夫婦のところに行くのに10年かかった。ああ、そういえばこのヒトにとっても一大イベントだったわ)

行ってやりたいけれど、私の力ではどうにもならん。せめて僅かのお金と米を・・・というもどかしい母の愛、祖母の愛はいまや「思いのままに」実現できる時代になった。
遠いところに住む息子の下宿も自分のテリトリーになった。

これも女性に力がついた証なんやなぁ、なんてことを納豆トーストを食べながら考えた。



オレ様化してる日本人 

2007-05-21 16:21:16 | 社会科
騒然!浅草・三社祭、担ぎ手次々と禁止の“神輿乗り”(読売新聞) - goo ニュース

これはもう「ありえへん!」事件だ。

けんかまつりの本場、灘のおっちゃんたちやったらボコボコにどつきまわしてまちがいなく村八分やなぁ。

日ごろ「ひとを排除しないまちづくりが素敵やわぁ」などと言ってるワタシがこんなことを口走るのはどーかと思うが、でもやっぱり祭りのお神輿に乗るのはあほんだらの大馬鹿たれで、二度と来るなと塩まいて追い出したい。

岸和田のだんじりとか、京都の祇園祭りの「山車(だし)」は人が乗るもの、人が担ぐお神輿には神さんが乗っている。なので悔しいのだが祭りどころでは神輿は神聖なものとされて「女は穢れているのでまたぐな、さわるな」というところも多い。

それはそれで大問題だと思うし、女性側から問題提起していろいろ考えることや、あるいは女人禁制の山にあえてご法度を侵すというのもアリだろう。

でも、今回のように祭りに参加することを規制されているわけでもないオトコが調子こいて神さんを踏みつけるようなことは、異常としか言い様がない。これまでぜったいに「ありえない」ことだった。

お祭りの主催者側は「規制してしまうのは粋ではない」と悩んでいるらしいけれど、山車と神輿のちがいもわからずに神さん踏みつけにする行為はもう粋とか無粋の領域をこえている。第一、自分の住んでいる地域を守ってくれている神様に対して何が無礼か知らない、ということをどう考えたらいいのか。
真の祭り好きなら、ホントに地域に育てられた人なら神輿を踏みつけるなんざ、到底できることではない。

お祭りは地域の人たちの感謝やお願いの「こころのかたち」で、神輿をかつぐことで地域のこころを神様に伝える。
長い歴史の中で培われてきた伝統やしきたりについて問題はわんさかとある。しかし、今回の事件はそうした問題ではない。

文字通り、神をも畏れぬ輩の可視。
オレ様化した日本人が跋扈しはじめた。







たいせつなことはシンプル

2007-05-07 10:17:10 | 社会科

私が知らないだけで、この方の手法を批判したり
あるいは邪魔だと感じている人々もいるのかもしれない。
でも、利害関係や政治の力で排除されるようなことがあれば
多くの人々は排除した側を非難するだろう。

中村哲先生http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/ryakureki.html
に何かあったらアフガンの人々は黙っていない。

思想も宗教も権力もこえて丸腰で戦場に立つお医者さん。
正義のためではなく、そこにいる人々にとっていま必要なことを実践する。
「水さえあれば、子どもたちが亡くなることもありません。
病をかかえる人には申し訳ないが、いま少し待ってもらって
とにかく枯れた大地に水を引かなければ」

大干ばつに襲われたアフガンの地に水を引き、肥沃な大地を取り戻された。

工事がはじまると難民に仕事がうまれた。
もう海外の傭兵やテロリストにならなくてもいい。
水を蓄えた大地に実りが戻ってくる。
畑仕事で生計をたてることができる。
水から食が生まれ、食は健康をつくり、
健康は意欲的にはたらく身体をつくる。
はたらくからだは豊かさをもたらし
豊かさはゆとりを生み出していく。

ああ、思想や理論なんてどうでもいいなと思う。
もっとシンプルに「なにがいちばん大切か」を問うていこう。

その目標を達成するためにわたしは何をする?

それを達成させる意味はなに?

理屈は現場のあとからくっついてくる。

そして、いつも思うことなのだけれど
ほんとうに「おおきくはたらく」方は
どこにその情熱があるのかと思えるほどに穏やかでもの静かだ。
怒っている時間さえもったいないのかもしれない。
怒りや悲しみを抱き込んでなお踏み出した一歩、なのかもしれない。
諍いの感情を生み出すようなことからは何も生まれない。

もちろん、だからアフガニスタンじゃない。
わたしの目の前にあることのために動く、それだけ。

 


便利な時代になりました

2007-04-30 20:48:10 | 社会科

おなつかしや、ピースボートに乗ったときの写真。
これはセネガルの女性たちです。
ウチの印刷機、スキャナ機能を搭載してるのにいまごろ気がつきました。
ぼちぼちとデジタル化してきましょ。