僕は、契約金なしの元プロ野球選手です

昨今、プロ野球選手の契約金問題が巷で話題になっています。契約金なしでプロ野球選手になった僕の人生を振り返ります。

阪神タイガース・総務部長

2012-04-16 18:19:31 | 日記
平成13年3月8日に、阪神タイガースの社長は、高田順弘社長から野崎勝義社長になりました。


その翌日の3月9日、神戸検察審査会が、僕の死を生田警察が自殺としたことについて、(1)自殺の動機が見当たらない、(2)不審死であるにもかかわらず、司法解剖がなされていない、(3)現場検証は聞き込み捜査が十分でないーと指摘し、再捜査の必要性を認める「不起訴不当」の議決を発表しました。

朝日新聞は、「元阪神エース渡辺さん転落死-不起訴、「不当」と議決」という見出しで、このニュースを取り上げました。このニュースを受けて、森井関西大法学部教授(刑事訴訟法)が「被疑者不詳の殺人容疑での告発をめぐり、不起訴処分が検察審査会で不当と議決された例は聞いたことがない。一般有権者から選ばれた審査員に、捜査の不備を指摘されたことは、捜査機関に対する市民の厳しい目を示しているのではないか。発生から時間が経ち、証拠保全などで再捜査には難しい点があるが、捜査機関は当時の捜査が適切だったかどうかを見直す必要がある」と、朝日新聞の取材に答えておられました。




僕の推測ですが、この直後、沼沢総務部長が阪神電鉄から出向してきました。野崎社長から、直近の最重要課題を、「渡辺省三の不起訴不当問題の鎮静化」と問題提起され、この課題が君のミッションだと、げきを飛ばされたのではないかと思います。阪神球団としては、捜査が開始されては困るのです。阪神タイガースのイメージダウンになるようなことは、球団としてマイナスになることばかりですから。

実質的には、部下の福島広之総務次長が沼沢総務部長に託され、ミッションを受け継がざるを得なくなったのだと思います。結局、検察審査会の「不起訴不当」の議決を受けて、神戸地検は再捜査しましたが、平成14年3月22日に再度「不起訴処分」となりました。


僕の娘、直子は、この再捜査期間中に、ジャーナリストの今西憲之さんに出会い、今西さんが鹿砦社の社長の松岡利康さんと知り合いだということで、紹介を受けたようです。検察審査会の動きを受けて、芥川賞作家の高橋三千綱さんが僕が亡くなった件について、小説化したいなどと申し入れがあったり、「不起訴不当」の事実は、いろんな意味で第3者の心を刺激したようでもありました。

松岡さんは、親身に直子の話を聞いてくれ、本を出したらどうかと提案してくれたと言います。直子は、それまで原稿などを書いたことがなかったのですが、とりあえず書いてみようと思ったようです。松岡さんは、直子が書きあげた原稿を読んで、「これって、事件だよね。実名出して、挑発して、訴えてきてくれた方がいいいのにね」と言ったそうです。直子は、これを聞いて、松岡さんは、僕の死の真相究明より、末永らが名誉毀損で訴えてくれば、話題になって目立った宣伝になり、自分のところの会社の本が売れるようになるのを期待しているだけだと思ったようですが、書いてみようと思ったと言います。

本のタイトルは、松岡さんが「タイガース」という言葉を入れる方がいいと言い、3つのタイトル候補を挙げてくれ、そのうちの「タイガースの闇」というタイトルが一番すっきりしたタイトルだったので、これを選んだということです。「タイガースの闇」は、平成14年4月10日に兵庫県西宮市甲子園の甲子園球場近くに本社がある「鹿砦社」から発売されました。


「タイガースの闇」の出版は、直子とジャーナリストの今西憲之さんとの出会いをきっかけに、実現したものでした。通常、一般人が商業ルートにのる本を出版することは難しいことです。自費出版などは、お金がかかると言われています。直子は、出版にあたり、どのくらいの費用がかかるのかなど、最初に心配になって聞いたところ、松岡さんは、本は5000冊つくる。執筆料は、60万円渡す。素人なので今西にゴーストライターをやらすので、60万円のうち、半分の30万円は今西に渡すこと。印税は規定通り支払う。直子自身が本の原稿を書くなどを条件として、直子の費用負担は一円もないということでした。結局、この時の条件提示はあってないようなもので、執筆料の30万円は、ゴーストライターの今西さんが、執筆後間もなく、吐血したとかで、急きょ、病院代が必要になったというので直子の30万円を今西さんに渡したと、松岡さんから説明を受けたそうです。

平成14年の3月初めころ、直子が、甲子園球場横のダイエー甲子園店に買い物に行った時、地下2階の弁当コーナー付近で箱崎さんとバッタリ出会い、立ち話をしました。久しぶりにお目にかかった直子は、近々、鹿砦社から本を出版することになっていることを箱崎さんに話しました。直子は、僕が亡くなった直後から2年間くらいは、頻繁に箱崎さんと連絡を取り、独自調査のアドバイスを受けていました。箱崎さんは、「調査、捜査というのは、ハリの穴に一本一本、糸を通すという細かい作業の繰り返しです。お父さんの死の真相解明のために頑張りましょう」と直子を励まし続けてくれていました。僕の目から見て、箱崎さんは、紳士的で、兵庫県警は退職されていましたが、常に第一線の捜査官の目で、何事にも顕著に阪神球団の顧問として仕事をされていたように思います。

箱崎さんは、その場で直子に「最近、球団事務所に神戸地検の事務官から笠間に電話があり、電話口で笠間が大声を出していたよ」と教えてくれました。笠間は、このときのことについて、宮本検事に次のように説明しています。

「平成14年2月中旬ころだったと思いますが、甲子園球場スタンド内にある球団事務所で仕事をしていた際に、私の元に神戸地方検察庁の事務官と名乗る方から連絡がありました。その際、私は、電話で、渡辺省三さんが亡くなられた平成10年8月31日ころの行動について尋ねられました。その時の事務官の話では、渡辺さんの遺族が独自に調査を行い、『渡辺さんが亡くなった現場で笠間の姿を見た者がいる』という申立てがあったので、その確認をしたいとのことでした。私は、全く身に覚えがない話でしたので、そのことを正直に申し上げました。すると、事務官は、渡辺さんが亡くなられた当日の私の行動について、細かく聞いてこられました。ですが、この時点で既に3年以上昔のことであり、根掘り葉ほり聞かれてもすぐには細かい状況などは思い出せませんでしたので、私は、この場では、はっきりした返事ができませんでした。にもかかわらず、事務官は渡辺さんが亡くなられた当日の私の行動を更に細かく聞いてこられましたので、私は何か犯人扱いされているように思い、正直、あまりいい気がしませんでした。そんなことから、つい感情的になって応対する声が多少大きくなったことを覚えています。この時の事務官との電話は10分程度続いたと思いますが、最終的には私の話を納得していただきました。その後、私は、神戸地方検察庁の事務官との電話のやりとりについて、箱崎さんに報告しました」

◆◆◆

箱崎さんは、直子がダイエーで話した内容、つまり、近々本を出版するということを、球団事務所に戻ってから、福島総務次長に話したようです。福島総務次長は、宮本検事にその時の状況について、次のように話しています。

「平成14年3月ころ、私は、箱崎さんから、渡辺省三さんの死亡について取り扱った「タイガースの闇」という表題の本が発行されるという情報を聞きました。このころ、同じような内容の新聞、雑誌の記事を目にした記憶もあります。そこで、私は、さっそく、この本を手に入れました。その中に、「末永さんと笠間さんが渡辺省三さんを殺害した犯人である」とした記述がありました。私は、当初、このくだりを読んで、びっくりしました。それで、さっそく、この本の内容を箱崎さんに伝え、顧問弁護士に本の抜粋コピーを送りました。また、箱崎さんから、実名を出された末永さんと笠間さんに対し、お2人が渡辺省三さん殺害犯人であるとされていることを伝えてもらったのです」

◆◆◆

このように、福島総務次長が、「タイガースの闇」の出版事実を知った経緯は、直子から箱崎さん、箱崎さんから福島総務次長へ伝わっていったことなんです。直子が箱崎さんに伝えなければ、福島総務次長は、「タイガースの闇」の出版事実を知らないで、時が経過したかもしれません。

「タイガースの闇」の出版事実を知った福島総務次長は、問題の鎮静化を図るため、直子に対する刑事告訴を考えたようです。笠間は、直子を刑事告訴することに至った経緯を次のように話しています。

「平成14年の12月ころにかけて、福島次長から、たびたび、渡辺直子は、渡辺省三さんが他殺であるという主張を鹿砦社の「スキャンダル大戦争」という本に連載している。その中にも、実名をあげて、笠間さんを渡辺省三さん殺害犯人に一味とする文章が載っている。その他に、渡辺直子は、インターネットのホームページを作って、自分の言いたいことを書いており、その中にも、実名をあげて、笠間さんが渡辺省三さん殺害犯人の一味であり、当日、現場で姿が目撃されたという内容の書き込みがある。というようなことを言われ、私を殺人犯呼ばわりした、いわれのない誹謗中傷がエスカレートしていることを教えてもらったのです。実際に、それらの本や記事のコピーを見せてもらったり、ホームページの書き込みを印刷したのも見せてもらったりしました。

私は、箱崎さんから「タイガースの闇」という本の話を聞いた当初、頭にカチンときたものの、あまりに荒唐無稽な話なので誰も相手にせず、無視しておけばそのうち収まるだろうと思い、それほど深刻には考えませんでした。当然ですが、球団事務所の職員も私が殺人犯扱いされていることを広く知るようになり、こうしたことから、私自身、それまであまり意識していなかった他人の目を何となく気にするようになりました。回りの人が鹿砦社の本や渡辺直子のホームページを見て、私が殺人犯であるという書き込みを本気にすることはないだろうと不安に思ったり、痛くもない腹を探られるような感じで神経が落ち着かず、夜、床についてもなかなか眠れない日が続くようになったのです。

そこで、私は、福島次長に悩みを訴え、渡辺直子と鹿砦社に対し、これまでの謝罪と以後のいわれのない誹謗中傷をストップするよう、申し入れてもらうことにしました。しかし、渡辺直子も鹿砦社も福島次長の申し入れを無視したとのことで、事ここに至って、私は、事態の深刻さをはっきりと自覚しました。このまま放っておけば、渡辺直子はホームページで私を父親の殺害犯人の一味であると主張し続けるでしょうし、鹿砦社と協力して同じ内容の本を発行し続けるに違いないと感じたのです。いくら荒唐無稽な話であるにしても、無視するだけで放っておくとデタラメな話がどんどん知れ渡って一人歩きし、いかにも事実であったかのように誤解を生んで、取り返しがつかないことになると思いました。今のままでは、いずれは神経がまいってしまい、私の身体も心もおかしくなってしまうでしょうし、私だけでなく、身内にも大きな迷惑をかけると思ったのです。

そこで、私は、平成15年1月ころ、福島次長を通じて、タイガースの顧問弁護士に相談を持ちかけました。そして顧問弁護士のアドバイスを受け、平成15年2月ころ、顧問弁護士を通じて、渡辺直子と鹿砦社の松岡の刑事告訴に踏み切ったのです」

◆◆◆

末永も、告訴に至った経緯について、宮本検事に次のように話しています。

「私は、タイガースの闇」のことを、箱崎さんや、当時、タイガースの総務部次長をしていた福島広之から教えてもらい、びっくりして言葉を失いました。私は、箱崎さんに対する個人的な手紙や検察庁への嘆願書のような一般に表に出ない書面でなく、誰でも書店で買い求めることができる本に実名入りでデタラメな妄想を書くなどとは、さすがに予想もしていなかったのです。私は、この本を読んで、私の名誉、人格をズタズタにしようとする渡辺直子の悪意を感じました。と同時に、こんな実名入りの本を、当事者の私に何の断りもなく発行した出版社に対しても、同様の悪意を感じたのです。自分の会社が発行した本ですから、松岡は、当然中身を把握しており、その上で発行にOKを出したのだと思います。

私は、渡辺直子や鹿砦社の出版物に関する動向を、箱崎さんから福島次長を通じて知り、「タイガースの闇」、「スキャンダル大戦争」と言った本の記事や渡辺直子のホームページを印字した書面、その他この件に関係する週刊誌等のコピーを、見せてもらうなどしました。ですが、そのうち、家族や兄弟、親戚が、私を殺人犯呼ばわりするこられの情報に触れて、『ひどいことが書かれているね』『bどうなってるの』というようなことを言って心配してくれました。また、友人からも、『どうなってるんや』『何で、こんなこと書かれてるんや』などと言われ、私自身、心苦しく感じたりしました。それで、私は、このままずっと渡辺省三さんの殺害犯人呼ばわりされたままでは、私自身気分が悪いだけでなく、家族や友人にも心配をかけ、終いには人間関係がおかしくなってしまうのではないかと思いました。

そこで、私は、福島次長からタイガースの顧問弁護士の紹介を受け、顧問弁護士らと相談の上、渡辺直子の主張が根拠のないデタラメなものであることをはっきりさせて、これ以上私の名誉が傷つけられないようにしたいと思い、刑事告訴を決意したのです」

◆◆◆

このようなことで、末永と笠間は、平成15年2月に、直子を名誉毀損罪の容疑で刑事告訴しました。それから1年経過した平成16年3月11日、福島総務次長の上司の沼沢総務部長が、何を思ってか、突然、テレビ局にFAXを送信し、「当球団の元職員である故渡辺省三の死亡に関し、同氏の長女、渡辺直子さんが運営されているインターネット・ホームページにおいて、当球団職員である末永氏及び笠間氏が、故渡辺省三氏の殺害に関与したかのように述べられている。このように極めて悪質な内容の事実に基づかない記事とともに、当球団職員である末永氏及び笠間氏の個人名が公表され、その名誉が著しく毀損されて本人及びそのご家族が多大な被害を受けているという深刻な事態が続いている。これらに関して、両氏は、既に刑事告訴を実施しており、それにより、現在、検察による捜査が継続されているところである。このような状況下で、万一、この件に関する放映が実施されれば、多くの視聴者がそれを視聴することが容易に想定され、その放映の内容に関わらず、その放映の視聴者がインターネット・ホームページを閲覧することにより、被害が拡大し、更に、深刻な事態を招くことが予想されるところである。つきましては、当球団は、両2名に成り代わり、貴社に対し、如何なる内容であっても、この件に関するテレビ放映をお取り止めいただきたく、切にお願い申し上げる次第である」などと言って、予定している放送を取りやめてほしいと要望しました。

この時のテレビ局が予定していた放送内容は、直子が提起した国家賠償訴訟の第8回口頭弁論が4月13日にあり、僕が死亡した日に生田警察が僕の妻(渡辺タツエ)から聞き取って書いたとされる小野刑事作成の『供述調書』の妻の署名欄の字が、妻が普段書かない「渡邊タツエ」という署名であることがわかり、筆跡鑑定の結果、「韜晦文字」の可能性が出てきて、調書ねつ造の疑いがある小野刑事が裁判所に出廷するということで、マスコミが注目していたのです。

このことがきっかけで、直子は、その1年前に、末永と笠間が直子に対して刑事告訴した事実を知ることになりました。直子は、当時、球団事務所近くに住んでいましたので、末永らが自分を刑事告訴し、すでに取調べを数回受けているという噂は耳にしたことがあったのですが、実際、神戸地検からは、平成12年12月からその時までに、一度も呼び出しなどがありませんでしたので、本当のことは沼沢総務部長がテレビ局に文書を送信するまで、わからなかったようです。

直子はこの事実を知って、大変なことになったと思ったと言います。それは、既に、末永に対しては、平成12年12月の時点で、神戸地検の梅本副検事から、証拠上、名誉毀損罪と殺人予備罪の起訴要件が揃っているという説明を受けていましたので、その該当人物が、被害者の遺族に対して名誉毀損罪の容疑で刑事告訴するということは、逆告訴することになり、末永に誣告罪の容疑もかかると思ったからです。

直子の目的は、僕の死の真実を知ることであって、関係者を罪に陥れるつもりはありませんでした。ただ、球団に事実関係を調査してもらい、真実がわかれば、それでよかったのです。直子は、真実がわかれば、自分の中でそれを封印し、できるだけ、阪神タイガースのイメージダウンになることは避けたいと思っていたようです。

名誉毀損罪は、親告罪です。捜査機関は、被害者の告訴がなければ、公訴を提起できないのです。結局、末永と笠間の直子に対する刑事告訴は、神戸地検特別刑事部の独自捜査に水を向けることになってしまったようです。

さらに、このことがきっかけで、直子は、沼沢総務部長と文書のやりとりをするようになりました。その間、沼沢総務部長は、球団本部長、専務取締役に昇格しました。直子は、平成23年11月、沼沢専務取締役に7年ぶりに手紙を出し、平成17年5月に神戸地検特別刑事部が押収した証拠資料が返還されているかどうか確認しました。返還されていれば、全ての捜査が終結したことになり、返還されていなければ、内偵捜査は継続していることになるからです。

沼沢専務取締役の回答は、「証拠資料は返還されていない」ということでしたので、直子が平成19年3月に神戸地検特別刑事部から聞いている今後の捜査の流れについて、直接会って、伝えようと思ったようです。手紙のやりとりをしたのが、たまたま、年末の慌ただしい時期でしたので、面談は年明けにと、沼沢専務取締役に手紙で伝えました。

年明けの平成24年1月17日、直子は沼沢専務取締役に電話を入れました。直子が、球団事務所に電話を入れたのは、僕が亡くなって以来、この日がはじめてでした。直子は、事務員から沼沢専務が1月1日付けで日本野球機構に、阪神電鉄から出向する形で、勤務することになったことを教えてもらいました。そして、「今後、直子さんとの対応は、私がいたします」と、電話口に出たのは、田付晃司総務部長という人でした。

現在、直子は田付総務部長に、僕が昭和31年に球団に訴えた「藤村排斥事件」についての全容を、調べてもらっています。(文責:渡辺直子)

参考文献:笠間雄二「供述調書」(平成17年5月9日付け)
     末永正昭「供述調書」(平成17年5月16日付け)
     福島広之「供述調書」(平成17年5月13日付け)
     箱崎逸夫「供述調書」(平成17年5月23日付け)
     渡辺直子「供述調書」(平成17年7月21日付け)


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