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サイト制作日誌
歴史系サイト「南風博物館」の制作に関する感想、途中経過、その他の情報を日誌形式で掲載します。
 



どうも、「南風博物館」館長の南風です。
本日は、キーボードでの執筆中にふと思ったことを述べたいと考えます。

休日のわたしは、ひたすらキーボードの前に座り続けます。
その目的は「原稿の執筆」ですが、自分のサイトに掲載する論文を執筆しているわけで、
何も仕事をしているわけではありません。いわば、趣味で執筆をしているのです。
サイトに載せるコンテンツのほとんどは文字ですので、わたしの場合はそれを、
ワープロソフトまたはテキストエディタを使ってキーボードから入力します。
「執筆」とは申しましたが、いわゆる原稿用紙に万年筆というスタイルではありません。
今どきの執筆活動は、もうほとんどがこうした「キーボードとモニタ」に移行しているのです。

わたしは執筆をする際に、推敲を同時に行います。それがパソコンのいいところです(´ー`)ノ
文章はだいたい段落に分けられていますので、ひとつ段落を書き終わったところで、
必ず見直すようにしています。そうしないと、文章の意味がつながらない場合もあります。
どんなに文章がうまい人でも、この推敲というものは欠かさず行っているはずです。
かく言うわたしも、推敲をしなければ、とても皆さまにお見せできる文章は書けません。
何度も何度も見直して、ようやく完成した文章が、わたしのサイトに上梓されるのです。

しかしわたしは、本当の意味での「書く」という作業もまた大事にしています。
このブログ以外にもわたしは日記を書いているのですが、それは万年筆です。
1冊2700円(1年分でこの値段)という高価な日記帳に、毎日びっしりと書くのです。
万年筆ですから、推敲などできません。修正液などは邪道だとわたしは思っていますので、
間違えても書き直したりはしません。「書く」という作業には緊張感も必要です。
万年筆を紙の上で走らせていると、本当に書くということの悦びを実感できます。

「書く」という行動は、人類のみに与えられた特権だと思います。
わたしにはさらに幸せなことに、学生時代に鍛え続けた文章力が備わっています。
この文章力も、一朝一夕には完成し得ないものです。血のにじむような努力を重ねて、
ようやくわたしがこの手で獲得したものなのです。しかしそれもまだ、完璧ではありません。
わたしにとって「書く」ということは、生涯のテーマなのかもしれません。

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どうも、「南風博物館」館長の南風です。
今回の投稿では、わたしの執筆状況について語りたいと思います。

わたしは物書きをなりわいとしている者ではありません。一介の会社員です。
そんなわたしが執筆活動を行えるのは、サラリーマンらしく週末の休日だけなのです。
つまりホリデーライターというのは、「休日にしか執筆活動ができない人間」の総称です。
必然的に執筆速度は遅くなります。また執筆日一日に割り当てられる文字量も相当なものです。
それでもわたしは3年にわたって、ホリデーライターを続けてきたのです(T_T)

モバイル環境が整えば、執筆もしやすくなるのでは? と思ったこともありました。
実際に電車内などで小型のノートパソコンを開き、無心に何かを打ち込んでいる人を見ますと、
わたしにもそうした環境があるならば、電車の中で文章が書けるじゃないか、と思ったものです。
その環境の一端でも安価に実現しようと、PDAにポータブルキーボードという環境を整えました。
キーボードは折りたたみ式で超薄ですが、テンキーなしのフルサイズだったりします(´ー`)
ところが迂闊なことに、キーボードの重量がPDAの重量を下回っているのです。
これでは揺れる電車内で安定などするわけがありません。打ち込むどころか、必死に抱えなければ、
膝の上から落ちてしまいそうなのです。これはまったく計算外で、情けなかったですね(TεT)

でもノートパソコンを電車内で開いて、優雅に執筆という夢を諦めたわけではありません。
いつかはお金を貯めて、ニューマシンを購入しようと思っています。
オンラインストアであれば、10万円を切るほどの安価なパソコンが登場しましたので(´ー`)ノ
そうすれば、わたしの執筆速度は格段に向上するものと、自分のことながら期待しています。

…その前に、自宅のパソコンがそろそろ旧式化してきたんですがΣ( ̄□ ̄;)

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どうも、「南風博物館」館長の南風です。
先日に引き続いて、CSS(Cascading Style Sheets)について思うことを述べたいと存じます。

W3C(World Wide Web Consortium)では、「Web標準」という運動を進めています。
今までWebサイトといえばHTMLで記述して、ブラウザで見るというものだったんですが、
最近はXHTMLやJavaScript、PHPとかVBScriptやらの技術がどんどん進歩しており、
今度はCSSが標準の記述スタイルとして定着するだろうなんていう話もあります。
「どのブラウザでも見られる情報源」といったWebサイトの価値はとっくに忘れ去られ、
今や視覚的に印刷物と同様のクオリティをもった美麗なWebサイトだとか、
もしくは「Web上で動くアプリケーション」の技術を世界中が追い求めているように感じます。
未だにHTMLにJavaScriptがちょっと混じったようなホームページを運営しているわたしは、
とっくに世界最先端の潮流からは置いてきぼりをくらっているわけですよ(TεT)

しかし仕事でWebサイトを作っている技術者でもないわたしは、自力で勉強するよりありません。
最近はわかりやすい参考書なんかも出てきていて、初心者であってもテキストエディタさえあれば、
何とか形になる程度のプログラムを書くことはできるようです。
ところが誤って難しい専門書なんかを買ってしまった日には、もう悲惨です(T_T)
難解な専門用語の羅列と、「さあこれを応用してみよ」といった態度で掲載されている例文。
それを見た時点で、わたしの頭は秒速で「JavaScriptなんか知らんでもいい!」と判定してしまいます。
…最近、書店でとてもわかりやすいJavaScriptの本を見つけました。バカだなオレってσ(TεT;)

とまあ、こんな弱音を吐いてみたところで、誰かが助けてくれるわけではありません。
CSSやJavaScriptを理解するには、まずビジュアルで作成してみることだ、と最近は思っています。
HTMLだって、ホームページ作成ソフトが自動的に書いてくれるソースをまじまじと見て、
じっくりと理解してきたわたしですから…邪道だと笑わば笑えです( ̄人 ̄)
今度もお金をかけて、自動的にCSSを書いてくれるソフトを買うつもりです。

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どうも、「南風博物館」館長の南風です。
今回の投稿では、南の楽園・サイパンについて考えたいと思います。

天皇・皇后両陛下がサイパン島へ慰霊の旅に出られると、新聞に出ていました。
今までどうして慰霊の旅が実現しなかったのかわかりませんが、ぜひサイパン島だけに限らず、
さまざまな場所で慰霊していただきたいと思います。かつて皇室の安泰のために戦った数多くの英霊も、
地下ではどれほどそれを望んでいることか。彼らもそれで浮かばれるでしょう。
わたしもいつの日にか、南の島へ慰霊の旅に出るのが夢です。
その前に、南方の蒸し暑さに慣れることから始めなければいけないでしょうけどね(;´・`)>

「サイパンで泳いできた」とか「日光浴してきた」という話はよく聞きますが、
太平洋戦争時代の戦跡へ行ってきたという人とは、残念ながら出会っていません。それもそのはず、
ツアーにはかろうじて「バンザイクリフ」が組まれている程度で、ジャングルまでは行けません。
しかしジャングル地帯にこそ、一般の日本人が知らない現実が眠っていると思うのです。
危険だからと封鎖されている洞窟には、数多くの白骨化した遺体と、かつて彼らが所持していた、
おびただしい量の兵器や生活道具が、錆びついたまま放置されているはずなのです。
中には赤さびに覆われた戦車や、空を睨んだままの対空砲などもあるんでしょうね。
その場でいかに多くの日本人が祖国の空を仰ぎながら、無念の涙を呑んで散っていったか…。
今は明るく楽しい観光地ですが、そんな過去が隠されていたんですよ。

でも今回の天皇・皇后両陛下の慰霊によって、悲惨なサイパン島の忘れられた一面が、
少しでも無知なわが国民に知らされればいいと思っています。特に、若年層にです。
たった3時間でひとっ飛びに行ける観光地に隠された過去を、ぜひとも白日のもとにさらし、
平和というものの大事さを考えるきっかけにしてほしいと願っています。
そうすることが、無念にも散っていった軍人、一般民衆の願いでもあったはずです。

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どうも、「南風博物館」館長の南風です。
今日はちょっと、自分のマニア心理について考えてみたいと思います。

わたしは太平洋戦争の歴史を研究しています。
研究している割には論文をまったく書いていませんので、実を言うとただマニアなだけです(-_-;)
マニアになるためにはその対象物をこよなく愛する必要がありますが、わたしはどうして、
戦時下の日本の歴史なんかを好んで研究しているんでしょう? わたしにもわかりません(;´・`)>
しかしビールの王冠を集めたり、骨董品を収集したり、フィギュアをコレクションしたり…、
他人に理解されそうもない趣味をもつ人は案外たくさんいるものですが、わたしもその一員です。

第二次世界大戦を題材に研究しているわたしですが、不思議と日本軍にしか興味がありません。
ドイツ軍マニアが恐ろしく多数いるのにも驚かされましたが、わたしはドイツ軍には興味がありません。
それはやはり同じ日本人だからなのか…それとも当時の日本人が輝いていたから好きなのか…?
考えてみればその両方が理由です。わたしも含め、無気力で生活だけに汲々とする現代の日本人と
同じ民族とは思えないほど情熱的で、狂信的で、エネルギーにあふれた戦中の若者たち。
わたしは彼らが好きで、太平洋戦争時の日本軍を研究しているのかもしれません。

バッドエンドで終わるドラマは嫌いですが、歴史の片鱗に匂う悲劇性は肯定する。それがわたしです。
歴史はすべてがハッピーエンドなわけではありません。むしろ苦難と悲劇に満ちたものなのです。
それらを知ることがわたしを興奮させ、さらに人生の指針ともなっていくのです。
しかしそれと同時に、みずからの運命に従い、任務に殉じていった幾多の先輩たちが、
わたしの足元にいるのです。彼らの犠牲があってこそ、現代の日本が存在しているのです。
歴史マニアであり、太平洋戦史マニアでもあるわたしは、それらの一端をなすエピソードを知り、
さらに後世へと伝えることが、自分の責務だと考えています。

わたしがつづる拙い文章が、読者の皆さまの向学心を少しでも刺激できるのでしたら、
マニアをやっていてよかったと、マニアである自分を悦びとする次第です。

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どうも、「南風博物館」館長の南風です。
本日はいわゆる「物を書く」ということについて、しばし閑談しようと思います。

わたしは2000年を期して、日記を毎日書くようになりました。
それまでは三日坊主の見本のようなわたしでしたが、驚くことに、今でも続いています。
2700円もする高価なハードカバーの日記帳を購入し、万年筆で書くのです。
万年筆とは言っても、自分が文房具店から選んできた、せいぜい5000円の安物ですが( ̄Д ̄)y-~~~
それでも万年筆を紙の上に走らせるというのは、「物を書いている」という気にさせるのです。

しかるに、わたしはすっかり、キーボードで文字を入力する方が、手で書くよりもずっと
速くなってしまいました。疲労度や筆圧の関係などさまざまな要因はありますが、これが現実です。
ところがわたしはそれをまったく不思議とも思わず、むしろキーボードで文字を打つ行動を、
何とはなしに「書く」と言いならわしています。これは考えると、不思議なことだと思います。
紙の上にペンを走らせるのはもちろん「書く」ことに違いないのですが、同じように文字を
画面上につぎつぎと繰り出していくのも、やはり「書く」という動作に違いはないのです。
この現象の奥底には文化の変遷や機械文明の進歩などが隠されているのでしょうが、もっとそれ以前に、
現代人はペンで物を書くということをもはやしなくなってしまうのでは…と危惧するのは、
よもやわたし独りではないと拝察します。

それでもペンを走らせると、初心を思い出します。
夕暮れの小学校の教室、居残りで書き取り練習をさせられたあの頃。
マス目が描かれたノートに、同じ文字をくり返しくり返し、何度もつづった思い出。
初心に帰るということは、人間生活のゆとりを取り戻すうえで、必要なことだと考えます。

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どうも。「南風博物館」館長の南風です。
最近は夜遅くなることが多いのですが、それはもちろん、仕事のためです。
しかも遅くなるどころの騒ぎではなく、深夜にタクシーで帰宅することもあるのです。
終電の時間に間に合わなかったからですが、実際のところ、電車よりも早く到着したりします。
昼間に乗るタクシーでは絶対に味わえないスリルも、深夜には味わわされるんですけどね(´ー`)

終電後の駅では、タクシー乗り場に客待ちのタクシーが溢れかえっています。
雨が降ったりすると客が多くなり、タクシーを捕まえるのもひと苦労になりますが、
晴天で平日のタクシー乗り場は、もはやタクシーの飽和状態です。待つ必要なんてありません(´ー`)ノ
そこでわたしはタクシーの後部座席に乗り込み、行き先を告げます。かなりの長距離です。
するとどのドライバーも、まさに「鞭を入れられた悍馬」であるかのようにアクセルを踏み込みます。
そして勝手知ったる我が道と言わんばかりに、裏道へ入っていくわけです。
東京の裏道はかなり狭いです。それでも歩道はしっかりあるので、車道は余計に狭くなります。
そこをまるで大通りを進むかのような速度で、ぐいぐいと通り抜けていくのです。
わたしは後部座席でされるがままに、左に揺れ、右に揺れしながらタクシーの動きに身を任せます。
みずからの生命がかかっているだけに、ヘタな絶叫マシンなどより数倍もスリリングです(≧∇≦)

深夜ですから眠いです。できれば明日のために、少しでも寝ておきたいのです。
しかし深夜のタクシーに乗って、ぐっすり眠れる人はよほどの強者でしょう。
うっかり寝込んだりすると、交差点で右折する際に、嫌というほどドアに頭をぶつけます。
それもそのはず、転回角度が何度であろうと、ノンブレーキングターンなんですから(T_T)
しかしわたしはそんな思いもかけない動きにも、すっかり慣れてしまいました。
そしてあの猛スピードのタクシー内で、眠れるほどにまでなったのです(自慢することじゃないが)。
よほど眠かったのか、優しい運転をしてくれるドライバーだったのか、今となっては不明です。

たいていのドライバーは親切で、わたしは眠そうにしていると、黙っていてくれます。
しかし中には、しきりに話しかけてくるドライバーもいるわけですよ。
これもサービスのうち。わたしもそれがわかるだけに、極力受け答えをします。
でも本当に眠いときなどは、思わず「ウザい!」と口走ってしまいそうにもなりますよ。

後席の客が何を求めているのか、それを察して行動できるドライバーこそ、真のプロですな( ̄Д ̄)y-~~~

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