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直列☆ちょこれいつ

最近は神社や神道などの古い文書の解読をしています。
研究のまとめはカテゴリ『自作本』から。

タイムカプセルと未来の夢

2017年07月26日 | ちょこのひとかけ


現在の体の不調などの原因が過去にあるかもしれないので
なにか大きな出来事があったかどうか思い出してみるといい
といったようなことを言われたので、最近すこし昔を思います。

中学二年のころまではクラス全員の名前と顔がわかっていたのに
中学三年ではクラス半分くらいの名前と顔がわからず、
常にクラスにはよくわからない人々がいた記憶があります。
だから中学のクラスにはほとんど思い入れもないので、
わたしはクラス会には出ていません。

その他も牛乳飲んだらおなかを壊すとかも
そこらへんから始まった気もします。

そこで事故にでもあったんじゃないかと訊かれましたが
特に何もなかったように思います。
でも、前、旅行に行って、完全にデジャヴュを感じて驚いた
まったく見覚えのない場所が、
実はわたしがすでに行っていたところだったということもあり、
わたしの記憶や意識にものすごい欠損があることも否定できません。


そんなこんなでちょこちょこ昔について考えていたら、
中学のときタイムカプセルで埋めた紙のことを思い出しました。
前に掘り出す催しがあり、そこで受け取ったものです。

紙には『未来の自分へ』といったような欄がありました。
掘り出した紙は手分けして配ることになったので
わたしも掘り出しついで、配りついでに他の人の紙を見てみたら、
見る人はみんなそれぞれに思い思いのことを書いてありました。

一方で、わたしは何も書いてありませんでした。
未来の自分なんてまったく想像できなかったし、
むしろ自分の未来をまったく信じていなかった気がします。

そういえば、と思い出したのが小学校の卒業アルバム。
あれにも『将来の夢』とかなんとかで、
クラスみんなが何かしら書かされたはずです。

みんなは『○○になりたい』とかばかり書いていた横で
わたしが書いたのはたしか『生きたい』か『生きていたい』だったような。

今思うと、みんなは生きているのは考えるまでもなくあたりまえで、
わたしはその当たり前のところにいなかったので、
わたしの望みは他人の前提条件でしかなかったのだと思います。


改めて考えると、みんなすごいです。
わたしが今に至るまで結局未来を何も考えられずにいる中で、
周りの他人はきらきらわくわく明るく楽しい未来に思いを馳せ、
希望に胸膨らますことをしていたのかと思うと、
自分との落差に愕然とします。

そうやって適当に楽しんで生きて、
笑い話になるようななんでもないちょっとの苦労もしてみて、
今頃には結婚してこどももいて社会でもいい地位にいて、
あかるい未来設計など描きながら順調に歩いていて。

一方でわたしは将来も未来も考えられず、
誰かを愛する概念さえわからず、
無理やり考えたとしても未来なんて最終的に一人で死んで、
腐って床の染みになることくらいです。

そういえば昔、一度だけラブレターを送られたことがありましたが、
わたしが読む前に勝手に他人に取られ、教室で読み上げられ、
破かれて捨てられました。
その破り捨てた人間は、中学の同級生と恋愛結婚して
今も楽しく暮らしているようです。

なんでわたしは他人に邪魔されなきゃいけないのでしょうか。
何かを求めてすごく努力はしてみても
常に望みに裏切られるだけの人生で
何か欲しいものができた時、それを求めるのではなく
真っ先に諦める癖もつきました。

人間は人生でやるべき課題があって生まれてくると言います。

最近は、わたしの今生でやるべき課題は
『どれだけがんばっても何ひとつ報われることなく、
決して届かないと知りつつも、
無駄にあがいて手を伸ばしつづけて惨めに死ぬ』
ではないかと薄々感じてきました。
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